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イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その3

2008年03月18日 | イベント
kan-haru blog 2008

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淡島堂の周辺
猛火にあった大イチョウから浅草寺本堂に向かうと、沙竭羅龍王像の銅像が立つ手水舎があります。この銅像は、高村光雲仏師で1903年(明治36年)に東京市が境内の噴水池に造献したものです。
本堂前を横切って西に進むと、右方に平成6年に、浅草寺中興開山慈覚大師生誕千二百年を記念して建立された影向堂(ようごどう)が見えます。影向堂には、聖観音菩薩像と十二支生まれのご本尊八体が祀られております。
影向堂の隣には、同じく平成6年に移された、薬師如来像を本尊とし、ほかに十二神将像が安置されている橋本薬師堂があります。薬師堂の建物は、浅草寺境内に現存する堂では浅草神社の社殿と同時代のもので、六角堂や二天門につぐ古い木造建築物です。

   浅草寺本堂手水舎         影向堂            橋本薬師堂

・淡島堂
橋本薬師堂の先に淡島堂があり、このお堂の建物は、1945年(昭和20年)3月の空襲によって焼失した浅草寺本堂に代わって仮本堂として建てられ、1958年(昭和33年)に現在の本堂が復興するまで浅草の役に立ってきました。浅草寺本堂は、落慶50周年記念で10月1日から11月25日まで2008浅草大観光祭りが行われます。

その後、影向堂として一時期二天門の近くに移築されていましたが、現在は淡島堂として現在地に移されました。
淡島堂のご本尊は、「阿弥陀如来」のほかに淡島明神の本地仏として「虚空蔵菩薩」、子授けのご利益があるとされる「地蔵菩薩」と共に元日本橋白木屋から移設した「白木観音」、フィリピンレイテ島での戦没者を供養する「レイテ観音」などが祀られています。

   淡島堂(写真拡大)       本堂(写真拡大)   淡島明神と白木観音(写真拡大)

淡島堂では、2月8日に針供養が行われ、江戸元禄年間(1688~1704)に紀伊国(和歌山県)加太の淡島明神を勧請したもので、ご祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」で針才天女とも言われ、裁縫技能の守護神として広く信仰されました。
1958年(昭和33年)の観音本堂再建を記念して建立した写経供養塔には、毎年4月から10月の間伝法院で行われる写経と各家庭で写経された「般若心経」「観音経」を10月28日に納めます。脇にある石灯籠は、「胎内くぐりの灯籠」と称して享保年代に造立したものです。

      針供養塔           写経供養塔       胎内くぐりの灯籠

・天水桶で戦火を免れた観音さま
太平洋戦争が激しくなってきた1943年(昭和18年)11月18日の夜、淡島堂本堂の左手前に大きな天水桶が置かれ、これに浅草寺ご本尊の観音さまを厨子ごと奉安して本堂の地中深く納められました。戦後の1947年(昭和22年)に掘りあげてその無事が確認され、観音さまは戦火を免れました。

・浅草大平和塔
浅草大平和塔は、旧浅草区111町会で戦災にあい亡くなられた1万人余りの霊を慰め、平和を祈願するために、浅草寺信徒、町会やその他の団体の努力により、1963年(昭和38年)に建立され、塔には清水谷恭順貫首の「和」の揮毫が掲げられ、台座にはノーベル賞受賞者湯川秀樹氏の筆による「みたまよ とこしえに 安らかに、われら守らん 世界の和」と刻まれています。淡島堂では、毎年3月10日に大平和塔戦災殉難者法要が行なわれます。

    浅草大平和塔               建設趣意書(写真拡大)

東京大空襲の追悼と平和祈念折鶴の「平和のオブジェ」
浅草大平和塔で平和を祈念して、淡島堂から木馬亭前の奥山おまいりみちを通り、公園本通り商店街を南下し、浅草寺を一巡した伝法院通りと浅草六区通りの交差点を通過して、新仲見世通りに面したファミリーレストランの浅草じゅらく(台東区浅草1-23-9)で昼食休憩をとりました。浅草じゅらくは、20年ほど前に遠来のお客さんと、2階の席で食事をした懐かしいお店です。

      木馬亭       浅草寺を一巡した伝法院通り     浅草じゅらく 

・15万羽の折鶴で作られた平和のオブジェ
午後の戦跡めぐりは、吾妻橋を渡った旧本所の墨田区役所(墨田区吾妻橋1-23-20 地図参照)の1階に、同区が東京大空襲で亡くなった約2万7千人の追悼と平和を祈念して、毎年製作している「平和のオブジェ」壁画を見に行きました。

平和のオブジェは、1992年からボランティアらによって毎年制作しており、今年のオブジェは高さ約12メートル、幅約8メートルもあり、テーマは「平和」-とどけ世界へ宇宙へ が題材の壁画で、ツルが地球から宇宙へ飛び立っていく様子をデザインしたものです。
「折り鶴」そのものを題材にしたのは初めてのもので、区民らが作った約15万羽の折り鶴を重ね合わせて作られており、3月3日に完成しました。
3月10日に、お披露目式とともに平和祈念コンサートが開かれました。

平和のオブジェ(拡大写真)  今までのオブジェ       墨田区役所イベント  

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1 コメント

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こんにちわ (66歳の年金暮らし)
2008-03-19 10:05:30
はじめまして。
興味深く大森空襲を読ませていただきました。

私は、昭和16年6月、東京市大森区で写真屋をしていた家の、長男として生まれました。空襲の記憶はかすかにありますがくわしいことは憶えていません。
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