
kan-haru blog 2011 JR原宿駅
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今年は5月に幕末の絵師狩野一信の仏画の五百羅漢図(「イベント 江戸東京博物館 幕末の絵師狩野一信が描く100幅の五百羅漢図を見るその1~3」参照)と、6月に浮世絵師東洲斎写楽の浮世絵(「イベント 東京国立博物館 江戸三座の役者28図を描いてデビューし10カ月で姿を消した東州斎写楽を見るその1、2」参照)を見る機会がありました。それに続いて6月から太田記念美術館で破天荒な浮世絵を描く歌川国芳の特別展が開催されていましたので、浮世絵には素人ですが国芳の浮世絵は型破りな武者絵・戯画で大衆を魅了したと云われ、それに関心を持ち後期展示の「遊び心と西洋の風」を7月24日に見てきました。
太田記念美術館
太田記念美術館(渋谷区神宮前1-10-10)は、昭和の初めより半世紀以上に渡り浮世絵を約12000点を蒐集した5代目太田清藏(1893~1977)が、生前にコレクションを一般に公開し、教育の発展に寄与することを願っていました。遣族はその遣志を受け、未公開であった作品の展示を行い、広く我が国の美術振興の一助とすることを決意し、1980年(昭和55年)に浮世絵専門の私設美術館を開設しました。美術館の展示環境は、和風の落着いた展示室で中央に石庭があり、左手の奥は一段高い展示室になっています。
アクセスは、JR山手線「原宿」駅の表参道口より徒歩5分で、東京メトロ千代田線、副都心線「明治神宮前」駅、5番出口より徒歩5分です。

太田美術館(左:太田記念美術館アクセス地図、右上:太田記念美術館全景、右下:太田記念美術館入口)
・没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳特別展
没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳特別展は、主催が太田記念美術館、NHK、 NHKプロモーションで、前期(6月1~26日)と後期(7月1~28日)の2期に分けて展示テーマの構成を変えて開催しました。展示は、前期が「豪快なる武者と妖怪」をテーマにして勇:武者絵、怪:妖怪画、華:役者絵の構成で、後期が「遊び心と西洋の風」をテーマにして遊:戯画、爽:美人画、憧:洋風画の構成で展示されました。

歌川国芳特別展パンフレットと入場券(左:パンフレット、右:入場券)
歌川国芳の浮世絵を見るには、図録「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(太田記念美術館販売)の入手がお奨めです。図録にはテーマ別に6構成の浮世絵が255点が収蔵され、全作品の解説が記載されています。また、国芳浮世絵の解説記事として洋画家悳俊彦氏の「国芳の画稿」と、太田記念美術館主幹学芸員日野原健司氏の「国芳の戯画-そのアイデアの源流」などが寄稿されています。

禄没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳図録表紙
また、太田記念美術館ホームページの「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(ここをクリック)で展覧会の構成で20数点の各テーマの浮世絵が見れます。また、「没後150年 歌川国芳展」(ここをクリック)で12点の浮世絵が拡大して見られます。さらに、「歌川国芳- Wikipedia」(ここをクリック)で25点の浮世絵が拡大して見られますので、破天荒の浮世絵師歌川国芳の浮世絵に触れて下さい。
なお、森アーツセンターギャラリー(東京・六本木ヒルズ)では、2011年12月17日から、2012年2月12日まで「没後150年 歌川国芳展」が開催されますので、歌川国芳の浮世絵が見られます。
・歌川国芳
歌川国芳(1798-1861)は、父は京紺屋を営む柳屋吉左衛門の子として江戸日本橋本銀町1丁目(現在の東京都中央区日本橋本石町4丁目あたり)に生まれ、幼名は井草芳三郎で、後に孫三郎となる。国芳は幼少期から絵を学び、12歳で描いた「鍾馗提剣図」が初代歌川豊国(1769- 1825)の目に留まり15歳で入門したといわれる。合巻『御無事忠臣蔵』表紙と挿絵(1814年頃)が初作とされ、画号を一勇斎、朝桜楼、採芳舎と号す。

歌川国芳の自画像(拡大図Wikipedia)
師の豊国没後の1827年頃に発表した大判揃物『通俗水滸伝豪傑百八人』という『水滸伝』のシリーズが評判となるり“武者絵の国芳”と称され、人気絵師の仲間入りを果たした。『東都名所』などの西洋の陰影表現を取り入れた名所絵(風景画)にも優れており、美人画や役者絵、狂画(戯画)にも多くの力作を残している。
1841年に、老中水野忠邦による天保の改革。質素倹約、風紀粛清の号令の元、浮世絵も役者絵や美人画が禁止になるなど大打撃を受ける。そこで、『源頼光公館土蜘作妖怪図』(1843年)は、表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものだが、江戸幕府の理不尽な弾圧を黙っていられない国芳は、絵のいたるところに隠されている悪政に対する風刺を描いて、江戸の人々は謎を解いては溜飲を下げて喝采しました。
『宮本武蔵と巨鯨』(1848 - 1854年)は、浮世絵3枚分に描かれた大スペクタル絵画は、鯨と戦わせて武蔵の強さを伝える、度肝を抜く武者絵で国芳を称える声が満ち溢れた。
国芳は西洋の銅版画を集め、遠近法や陰影の付け方の研究に励んで、『近江の国の勇婦於兼』(1830年)で、画面左の女性は伝統的な美人画の技法で描き、対する馬はまるで西洋画のようにリアルな立体感が陰影によって描かれている。
この時代、公儀に逆らった赤穂浪士を称えることはご法度で、『赤穂浪士』(1852年)に西洋画を学んだ国芳は、実在の人物としてリアルに描いた像は、当時の人々にとって写実的な肖像画は受け容れられなかった。

忠臣蔵十一段目夜討之図(拡大図Wikipedia)
国芳の作品は役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたり、中でも歴史・伝説・物語などに題材を採り、大判3枚つづりの大画面に巨大な鯨や骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。反面、肉筆画の作品の種類は多彩だが、現存数が少ない。現在確認されている作品数は、二千数百点に及ぶ。華々しい武者絵の世界を築いた国芳はひとつの時代の終焉に合わせるかのように1861年に65歳の生涯を閉じた。(Wikipediaから)
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(8月分掲Indexへ)
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今年は5月に幕末の絵師狩野一信の仏画の五百羅漢図(「イベント 江戸東京博物館 幕末の絵師狩野一信が描く100幅の五百羅漢図を見るその1~3」参照)と、6月に浮世絵師東洲斎写楽の浮世絵(「イベント 東京国立博物館 江戸三座の役者28図を描いてデビューし10カ月で姿を消した東州斎写楽を見るその1、2」参照)を見る機会がありました。それに続いて6月から太田記念美術館で破天荒な浮世絵を描く歌川国芳の特別展が開催されていましたので、浮世絵には素人ですが国芳の浮世絵は型破りな武者絵・戯画で大衆を魅了したと云われ、それに関心を持ち後期展示の「遊び心と西洋の風」を7月24日に見てきました。
太田記念美術館
太田記念美術館(渋谷区神宮前1-10-10)は、昭和の初めより半世紀以上に渡り浮世絵を約12000点を蒐集した5代目太田清藏(1893~1977)が、生前にコレクションを一般に公開し、教育の発展に寄与することを願っていました。遣族はその遣志を受け、未公開であった作品の展示を行い、広く我が国の美術振興の一助とすることを決意し、1980年(昭和55年)に浮世絵専門の私設美術館を開設しました。美術館の展示環境は、和風の落着いた展示室で中央に石庭があり、左手の奥は一段高い展示室になっています。
アクセスは、JR山手線「原宿」駅の表参道口より徒歩5分で、東京メトロ千代田線、副都心線「明治神宮前」駅、5番出口より徒歩5分です。

太田美術館(左:太田記念美術館アクセス地図、右上:太田記念美術館全景、右下:太田記念美術館入口)
・没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳特別展
没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳特別展は、主催が太田記念美術館、NHK、 NHKプロモーションで、前期(6月1~26日)と後期(7月1~28日)の2期に分けて展示テーマの構成を変えて開催しました。展示は、前期が「豪快なる武者と妖怪」をテーマにして勇:武者絵、怪:妖怪画、華:役者絵の構成で、後期が「遊び心と西洋の風」をテーマにして遊:戯画、爽:美人画、憧:洋風画の構成で展示されました。

歌川国芳特別展パンフレットと入場券(左:パンフレット、右:入場券)
歌川国芳の浮世絵を見るには、図録「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(太田記念美術館販売)の入手がお奨めです。図録にはテーマ別に6構成の浮世絵が255点が収蔵され、全作品の解説が記載されています。また、国芳浮世絵の解説記事として洋画家悳俊彦氏の「国芳の画稿」と、太田記念美術館主幹学芸員日野原健司氏の「国芳の戯画-そのアイデアの源流」などが寄稿されています。

禄没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳図録表紙
また、太田記念美術館ホームページの「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(ここをクリック)で展覧会の構成で20数点の各テーマの浮世絵が見れます。また、「没後150年 歌川国芳展」(ここをクリック)で12点の浮世絵が拡大して見られます。さらに、「歌川国芳- Wikipedia」(ここをクリック)で25点の浮世絵が拡大して見られますので、破天荒の浮世絵師歌川国芳の浮世絵に触れて下さい。
なお、森アーツセンターギャラリー(東京・六本木ヒルズ)では、2011年12月17日から、2012年2月12日まで「没後150年 歌川国芳展」が開催されますので、歌川国芳の浮世絵が見られます。
・歌川国芳
歌川国芳(1798-1861)は、父は京紺屋を営む柳屋吉左衛門の子として江戸日本橋本銀町1丁目(現在の東京都中央区日本橋本石町4丁目あたり)に生まれ、幼名は井草芳三郎で、後に孫三郎となる。国芳は幼少期から絵を学び、12歳で描いた「鍾馗提剣図」が初代歌川豊国(1769- 1825)の目に留まり15歳で入門したといわれる。合巻『御無事忠臣蔵』表紙と挿絵(1814年頃)が初作とされ、画号を一勇斎、朝桜楼、採芳舎と号す。

歌川国芳の自画像(拡大図Wikipedia)
師の豊国没後の1827年頃に発表した大判揃物『通俗水滸伝豪傑百八人』という『水滸伝』のシリーズが評判となるり“武者絵の国芳”と称され、人気絵師の仲間入りを果たした。『東都名所』などの西洋の陰影表現を取り入れた名所絵(風景画)にも優れており、美人画や役者絵、狂画(戯画)にも多くの力作を残している。
1841年に、老中水野忠邦による天保の改革。質素倹約、風紀粛清の号令の元、浮世絵も役者絵や美人画が禁止になるなど大打撃を受ける。そこで、『源頼光公館土蜘作妖怪図』(1843年)は、表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものだが、江戸幕府の理不尽な弾圧を黙っていられない国芳は、絵のいたるところに隠されている悪政に対する風刺を描いて、江戸の人々は謎を解いては溜飲を下げて喝采しました。
『宮本武蔵と巨鯨』(1848 - 1854年)は、浮世絵3枚分に描かれた大スペクタル絵画は、鯨と戦わせて武蔵の強さを伝える、度肝を抜く武者絵で国芳を称える声が満ち溢れた。
国芳は西洋の銅版画を集め、遠近法や陰影の付け方の研究に励んで、『近江の国の勇婦於兼』(1830年)で、画面左の女性は伝統的な美人画の技法で描き、対する馬はまるで西洋画のようにリアルな立体感が陰影によって描かれている。
この時代、公儀に逆らった赤穂浪士を称えることはご法度で、『赤穂浪士』(1852年)に西洋画を学んだ国芳は、実在の人物としてリアルに描いた像は、当時の人々にとって写実的な肖像画は受け容れられなかった。

忠臣蔵十一段目夜討之図(拡大図Wikipedia)
国芳の作品は役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたり、中でも歴史・伝説・物語などに題材を採り、大判3枚つづりの大画面に巨大な鯨や骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。反面、肉筆画の作品の種類は多彩だが、現存数が少ない。現在確認されている作品数は、二千数百点に及ぶ。華々しい武者絵の世界を築いた国芳はひとつの時代の終焉に合わせるかのように1861年に65歳の生涯を閉じた。(Wikipediaから)
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