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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 戦争の記憶風化を憂う 第32回大田平和のための戦争資料展

2011年08月26日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2011 戦争資料展  
      
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今年8月15日の終戦記念日は、戦後66周年を迎えました。総務省統計局2009年の人口統計を見ると、戦後生まれの人口は全体の87.3%となり、戦争を知らない世代は10人中約9人となり、もはや戦争の記憶は風化の状態です。
ここに至っては、戦争の悲惨さ、残酷さを、戦争を知らない世代に伝えていく必要があります。このブログでも、記録中心の編集をしており、父の同僚の若山武義氏が大戦中の大森、中野と目黒で大空襲の爆撃に遭遇した内地での戦時生活の手記が掲載してありますので、次に示す戦争記録の一端を読んで頂ければと願います。
 大森町界隈あれこれ 鎮魂!大森町大空襲(第1編) 目次 10編掲載
 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野にて目次 7編掲載
 大森町界隈あれこれ 手記第3編 終戦前後目黒にて目次 9編掲載
 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編目次 21編掲載

第32回大田平和のための戦争資料展
第32回大田平和のための戦争資料展では、区内の教員ら住民でつくる大田平和のための戦争資料実行委員会が主催で、今年は太平洋戦争開始70年にあたり、日中戦争とのかかわりあいもふくめて、戦争はどのように準備されたのかなどをテーマにして、資料展と朗読、講演の催しを、8月10、11日午前10時から午後6時に大田区民ホールアプリコ展示室と小ホールで開催されたので、11日に見に行きました。

 大田区民ホールアプリコ(:大田区民ホールアプリコ地図、右上:アプリコ正面玄関、右下:資料展、朗読・講演会場案内)

資料展の展示内容と朗読・講演は展示案内に示された通りで、今年の展示には東日本震災の原発事故は、原爆と深いかかわりがありますので、核兵器廃絶は原爆だけにとどまらないため新しく展示されました。

 大田平和のための戦争資料展展示会、朗読・講演会場(:第32回大田平和のための戦争資料展 展示案内、右上:資料展示会場入り口、右下:朗読・講演小ホール会場)

・戦争資料展示会場
戦争資料展示会場は、地下1階の展示室約360平方メートルをぶち抜いて展示され、展示コーナーでは、展示案内に示される通り、
・戦争はどのように準備されたのか
・対外侵略はどのように行われたか
・核兵器廃絶と原発事故
・今こそ生かそう平和憲法、いのちとくらしを守る九条
・平和作品展など
5つのコーナーに分けて、大田区の有志が30年以上にわたり、こつこつと資料を集め、保管し、毎年展示を行っているもので、展示品はなかなか充実さで見ごたえがありました。戦時中の代用材料で造られた当時の物品や、満蒙開拓団の姿の展示などを見て、親類一族が開拓団に応募して帰らぬ人となった悲しい想い出がよぎり、戦争は二度と繰り返えしてはいけません。

 戦争資料展示会場(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

展示会場の入場者には、子供を連れたお母さんも見られましたが、見学者は概して年配者が多いようでした。このブログの過去の記事にも、戦争展示関連の記事が掲載してありますので、参考にして下さい。
イベント あれから62年「東京大空襲を語り継ぐ集い」 2007年3月19日
イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その1その2その3その4 2008年3月14~20日
イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍 2009年3月27日

・朗読
展示会場の隣の小ホールでは11日には、13時から区民とつくる地場演劇の会の出演で、朗読の『ヒロシマ・ナガサキ、そして3・11の言葉たち』が上演されました。
区民とつくる地場演劇の会は、大田区に住む俳優の江角英明(えすみ えいめい)氏が、地元に伝わる歴史に興味を持って書いた一冊の芝居台本からスタートして、1990年に行われた旗揚げ公演活動が、大田区の文化振興協会の目にとまり支援を受け、公演は大規模な開催となり大成功を収めた、10代から70代と年齢も個性も幅広い地元のメンバーの集団です。メンバーの中のFさんとは町会の付き合いの永いい方ですが演劇の会に参加されています。Fさんのご案内で、2007年に大田文化の森での第18回公演(「大森町界隈あれこれ イベント 地場演劇公演『山わろ~呑川へきたかっぱのこと~』」参照)と、2009年12月の大田区民プラザでの20周年公演「蒲田太平記 羽田たいへん記うたかた二十年」を観劇させて頂きました。

 区民とつくる地場演劇の会20周年記念公演(写真拡大)

この関係で、大田平和のための戦争資料展の11日のご案内を頂き、久愛振りの区民とつくる地場演劇の会のメンバーによる朗読の公演です。朗読の台本はヒロシマ・ナガサキでは木村光一構成「この子たちの夏」大友会出版から「原爆あの日あの時」の一部をお借りし、大震災については新聞・テレビが伝える現地の人々の言葉を軸に構成した朗読を聞かせて頂きました。

 区民とつくる地場演劇の会による朗読(写真拡大)

・講演
同14時から不戦兵士・市民の会代表理事の猪熊得郎氏の「少年兵の無念」という2時間に亘る講演で、講演者の略歴は1928年(昭和3年)日本橋浜町に生まれて、1944年(昭和19年)に旧制中学3年の15歳で陸軍特別幹部候補生を志願して少年兵となる。
そこから話が進展し、たった一度の青春を侵略戦争に捧げた少年兵は42万名で、同年米艦載機の襲撃を受け初めての戦闘を体験し、戦友1200名が戦死する。戦争は人と人の殺し合いである。1945年4月旧満州に転属となり、関東軍をこの目で見て、同8月に敗戦となり戦友と別れ、反乱や略奪、殺し合い、脱走の混乱で、自分の身は自分で処せとなる。
敗戦によりソ連の捕虜となり、シベリアのアムール州に抑留され、零下30度で奴隷的重労働と一切れのパンとスープの餓え、寒さ、重労働の三重苦を味わい、収容所では6人に1人が異国の土となる。1947年12月に舞鶴港に復員するが、父は亡く、兄は人間魚雷回天で18歳で戦死という悲惨、残酷な青春でした。これからは若者たちの青春が、戦争のための青春でなく、平和のための青春であることを心から願って講演を締めました。

 猪熊得郎氏の「少年兵の無念」講演(写真拡大)

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