kan-haru blog 2011 閉鎖される直前の下りホーム改札口6月18日
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高架化工事に伴い、6月19日に在来下り線地上ホームが旧上り線線路上に設置した仮設ホームに移設し旧下り線改札口が閉鎖され、5月に閉鎖された旧上り線改札口と共に、戦災で焼けてから1952年(昭和27年)に大森町駅として再開以来の改札口は幕を閉じました。
閉鎖された旧大森町駅上下改札口(左:閉鎖された大森町駅上り改札口0514、中・右:閉鎖された大森町駅下り改札口0619)
・京急の品川―川崎間開通
京急の前身の大師電気鉄道は、六郷橋と川崎大師間(2.0km)の営業を、1899年(明治32年)1月21日に開始しました。
六郷橋ー川崎大師間営業の大師電気鉄道(京浜急行80年の歩みから)
社名を京浜電気鉄道に変更し、1901年(明治34年)2月1日に六郷橋と大森停車場間(7.2km)の営業が開始され、軌道は六郷川を渡り旧東海道上は併用軌道で北上し、八幡(現大森海岸)で左折し専用軌道で大森停車場(「大森町界隈あれこれ 京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1)」参照) まで開通しました。
八幡(大森海岸)と大森停車場間に1901年営業の専用線路(京浜急行80年の歩みから)
旧東海道上の併用軌道は、道幅の狭いところは拡幅し、大部分が単線軌道であったが、道幅の広いところでは道路の中央部に敷設され、狭いところでは山側に敷設されたようです。
翌1902年(明治35年)6月28日に、蒲田と稲荷橋(穴守)間(3.0km)の営業を開始し、同年9月1日に六郷橋と川崎間(1.0km)の営業を開始しました。1904年(明治37年)5月8日に大森海岸と八ッ山橋(品川) 間(4.3km)の営業を開始し、同時に大森海岸と学校裏(平和島)間を専用軌道で敷設しました。また、1906年(明治39年)8月には、大森海岸と品川間の複線工事が竣工しました。同年10月1日には、梅屋敷と山谷の間から学校裏付近間および、雑色と川崎間の専用軌道が開通しました。大森山谷と六郷土手間が専用軌道で開通したのは、1923年大正12年4月1日です。さらに、1910年(明治43年)8月には蒲田と稲荷橋(穴守)間の複線工事が竣工しました。
1901年開通の大森停留場のループ線(京浜急行80年の歩みから)
・大森町駅の歴史
1906年(明治39年)には、山谷駅は現存の位置にありましたが、戦前の1935年(昭和10年)代までは、ホームの場所は上り線が踏切の南側にあり、下り線は現在地(踏切北側)にありました。ホームの場所が上下線共踏切の北側にあった戦時中の1945年(昭和20年)4月15日に、大森山谷駅は戦災で焼失し閉鎖となり、戦後1949年(昭和24年)6月30日に大森山谷駅は一旦廃止となりました。
戦災で焼失し閉鎖の大森山谷駅(京浜急行80年の歩みから)
戦後の復興が進み、1952年(昭和27年)12月15日に、東口の下り線を改札として上り線には構内踏切を通路とした大森町駅としての営業を再開しました。
大森町駅としての営業を再開したモダンな駅舎(京浜急行80年の歩みから)
1982年(昭和57年)3月には、6輌編成停車ホームに伸延しました。1984年(昭和59年)12月には、再開時に建設された下り線駅舎がモダンな駅舎として改築されました。その後、通勤客の急増により上り線側に臨時改札口を設置されましたが、1998年(平成10年)秋に終日営業の西口が設けられました。
・大森町高架駅工事
京急の高架化工事は、第Ⅰ期が蒲田駅構内において平成12年から着工を開始し、平成20年の第Ⅱ期工事では平和島~梅屋敷間上り本線仮線工事が施工されます。大森町高架駅工事の変遷を追ってみます。
大森町高架駅の工事は、2007年3月28日に大森町駅利用者にとり馴染みの深い駅売店が、高架化工事のため閉鎖(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第1回)」参照)されました。
大森町駅売店の閉鎖(左:閉鎖前の駅売店、右:閉鎖後の駅売店070328)
翌29日には、大森町駅の上りと下り線を結ぶ構内踏切を閉鎖して乗り降りは、上りと下りのそれぞれの改札口から入・出場することになりました。
大森町駅構内踏切の撤去(左:大森町駅構内踏切、中・右:撤去された構内踏切070329)
上り(西口)改札口は、3列横並び配置の改札機が現在の位置からホーム寄りに2m移動され、出札機も移設されます。
上り(西口)改札口の改札機・出札機の移動(左:改札機の移動、右:出札機の移動070329)
また、下り(東口)の改札口の3列横並びの改札機の移動は、閉鎖の駅売店跡に約半分のスペースに縮小した仮駅事務所を設けて、取り壊した元の駅事務所とトイレの跡の後ろ側に、ホームへ上がる石段とスロープを新設し、駅入り口から9m後退した場所に移設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第3回)」参照)されました。
下り(東口)の改札口の仮駅事務所・改札機などの移動(左:トイレ・駅事務所の取壊し、中:仮駅事務所の移動、右:改札機の移動070329)
大森町駅構内踏切の撤去後は、大森町第1踏切の通路幅が半減状態になったため、朝の通勤・通学のラッシュ時の混雑がかなりひどい(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第4回)」参照)ものとなり、踏切が閉まると渡るのに時間がかかり、トラックがくると通勤客が通れず、踏切が開いてもなかなか吐けない状態となりましたので、京急側では上りホーム側に臨時改札口が開設することになりました。
通勤時に大混雑の大森町第1踏切通路(左:踏切が閉じるとすぐに人が溜まる、中:トラックがくると人のいる場所がない、右:踏切が開いてもなかなか吐けない)
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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
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次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編[大森町駅の変遷](第18回その2)
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高架化工事に伴い、6月19日に在来下り線地上ホームが旧上り線線路上に設置した仮設ホームに移設し旧下り線改札口が閉鎖され、5月に閉鎖された旧上り線改札口と共に、戦災で焼けてから1952年(昭和27年)に大森町駅として再開以来の改札口は幕を閉じました。
閉鎖された旧大森町駅上下改札口(左:閉鎖された大森町駅上り改札口0514、中・右:閉鎖された大森町駅下り改札口0619)
・京急の品川―川崎間開通
京急の前身の大師電気鉄道は、六郷橋と川崎大師間(2.0km)の営業を、1899年(明治32年)1月21日に開始しました。
六郷橋ー川崎大師間営業の大師電気鉄道(京浜急行80年の歩みから)
社名を京浜電気鉄道に変更し、1901年(明治34年)2月1日に六郷橋と大森停車場間(7.2km)の営業が開始され、軌道は六郷川を渡り旧東海道上は併用軌道で北上し、八幡(現大森海岸)で左折し専用軌道で大森停車場(「大森町界隈あれこれ 京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1)」参照) まで開通しました。
八幡(大森海岸)と大森停車場間に1901年営業の専用線路(京浜急行80年の歩みから)
旧東海道上の併用軌道は、道幅の狭いところは拡幅し、大部分が単線軌道であったが、道幅の広いところでは道路の中央部に敷設され、狭いところでは山側に敷設されたようです。
翌1902年(明治35年)6月28日に、蒲田と稲荷橋(穴守)間(3.0km)の営業を開始し、同年9月1日に六郷橋と川崎間(1.0km)の営業を開始しました。1904年(明治37年)5月8日に大森海岸と八ッ山橋(品川) 間(4.3km)の営業を開始し、同時に大森海岸と学校裏(平和島)間を専用軌道で敷設しました。また、1906年(明治39年)8月には、大森海岸と品川間の複線工事が竣工しました。同年10月1日には、梅屋敷と山谷の間から学校裏付近間および、雑色と川崎間の専用軌道が開通しました。大森山谷と六郷土手間が専用軌道で開通したのは、1923年大正12年4月1日です。さらに、1910年(明治43年)8月には蒲田と稲荷橋(穴守)間の複線工事が竣工しました。
1901年開通の大森停留場のループ線(京浜急行80年の歩みから)
・大森町駅の歴史
1906年(明治39年)には、山谷駅は現存の位置にありましたが、戦前の1935年(昭和10年)代までは、ホームの場所は上り線が踏切の南側にあり、下り線は現在地(踏切北側)にありました。ホームの場所が上下線共踏切の北側にあった戦時中の1945年(昭和20年)4月15日に、大森山谷駅は戦災で焼失し閉鎖となり、戦後1949年(昭和24年)6月30日に大森山谷駅は一旦廃止となりました。
戦災で焼失し閉鎖の大森山谷駅(京浜急行80年の歩みから)
戦後の復興が進み、1952年(昭和27年)12月15日に、東口の下り線を改札として上り線には構内踏切を通路とした大森町駅としての営業を再開しました。
大森町駅としての営業を再開したモダンな駅舎(京浜急行80年の歩みから)
1982年(昭和57年)3月には、6輌編成停車ホームに伸延しました。1984年(昭和59年)12月には、再開時に建設された下り線駅舎がモダンな駅舎として改築されました。その後、通勤客の急増により上り線側に臨時改札口を設置されましたが、1998年(平成10年)秋に終日営業の西口が設けられました。
・大森町高架駅工事
京急の高架化工事は、第Ⅰ期が蒲田駅構内において平成12年から着工を開始し、平成20年の第Ⅱ期工事では平和島~梅屋敷間上り本線仮線工事が施工されます。大森町高架駅工事の変遷を追ってみます。
大森町高架駅の工事は、2007年3月28日に大森町駅利用者にとり馴染みの深い駅売店が、高架化工事のため閉鎖(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第1回)」参照)されました。
大森町駅売店の閉鎖(左:閉鎖前の駅売店、右:閉鎖後の駅売店070328)
翌29日には、大森町駅の上りと下り線を結ぶ構内踏切を閉鎖して乗り降りは、上りと下りのそれぞれの改札口から入・出場することになりました。
大森町駅構内踏切の撤去(左:大森町駅構内踏切、中・右:撤去された構内踏切070329)
上り(西口)改札口は、3列横並び配置の改札機が現在の位置からホーム寄りに2m移動され、出札機も移設されます。
上り(西口)改札口の改札機・出札機の移動(左:改札機の移動、右:出札機の移動070329)
また、下り(東口)の改札口の3列横並びの改札機の移動は、閉鎖の駅売店跡に約半分のスペースに縮小した仮駅事務所を設けて、取り壊した元の駅事務所とトイレの跡の後ろ側に、ホームへ上がる石段とスロープを新設し、駅入り口から9m後退した場所に移設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第3回)」参照)されました。
下り(東口)の改札口の仮駅事務所・改札機などの移動(左:トイレ・駅事務所の取壊し、中:仮駅事務所の移動、右:改札機の移動070329)
大森町駅構内踏切の撤去後は、大森町第1踏切の通路幅が半減状態になったため、朝の通勤・通学のラッシュ時の混雑がかなりひどい(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第4回)」参照)ものとなり、踏切が閉まると渡るのに時間がかかり、トラックがくると通勤客が通れず、踏切が開いてもなかなか吐けない状態となりましたので、京急側では上りホーム側に臨時改札口が開設することになりました。
通勤時に大混雑の大森町第1踏切通路(左:踏切が閉じるとすぐに人が溜まる、中:トラックがくると人のいる場所がない、右:踏切が開いてもなかなか吐けない)
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