雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

旧竹林院庭園2

2008年10月16日 | 滋賀散策
比叡山延暦寺
最澄によって開かれた天台宗の本山寺院
平安時代初期以降
多くの僧侶がここで修行していた

天台法華の教えを学び
それ以外にも
密教

念仏
なども行なわれていた
まるで仏教大学の様な存在であった

      

皇室や貴族の尊崇を得た延暦寺は
大きな権力を得ていたという
加持祈祷によって
怨霊から皇室、貴族の身を守ったと伝えられている

また
延暦寺からは数多くの名僧を排出している

天台宗の基礎を確立した「円仁・円珍」
融通念仏宗の開祖「良忍」
浄土宗の開祖「法然」
浄土真宗の開祖「親鸞」
臨済宗の開祖「栄西」
曹洞宗の開祖「道元」
日蓮宗の開祖「日蓮」

       

その延暦寺で修行した僧が
現役を退いた後
叡山の麓にあるここ坂本で
庵を結んだのが里坊

       

12年籠山行
千日回峯行
といった厳しい修行が行われていた延暦寺と異なり
俗世へと還元した老僧が
日常生活の憩いを取り戻していたと云う

       

老僧が思いのまま造作したと云われている里坊庭園
一見の価値ある庭園です

  

庭園に立ち
在りし日の姿を思い出しながら
日差しの下
撮影をしました

       

かの天下人、豊臣秀吉や徳川家康も
この坂本で茶を楽しんだと云われています

      



旧竹林院庭園

   

訪れる価値のある庭園でした

     
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旧竹林院庭園

2008年10月15日 | 滋賀散策
比叡山の里坊のひとつ
旧竹林院庭園を訪れました

    

滋賀県の大津市
坂本は重要伝統的建造物群保存地区に指定された地域
里坊とは比叡山の隠居した僧侶が住む屋敷の事

   

その里坊のひとつ
里坊としては最大の庭園を持つのが旧竹林院

書院に入ると
眼前に庭園が広がります

   

回遊式庭園を書院から眺めました

    

庭園の中で
一際目を引くのが
庭園に配された茶席
赤の毛氈と和傘が印象的

       

八王子山を借景にし
立体的に造作された庭園は名勝に指定されています

       

この庭園
明治時代の廃仏毀釈によって荒廃し
一時は個人所有となった経緯があります
庭園はその時に改修されていて
往年の姿を望む事は叶いません

    

近代庭園となった旧竹林院庭園
それでも、この庭園の美しさには変わりがなく
縁側に座して見る庭園はやはり見事

    



庭園は回遊式になっていて
散策する事もできます

書院を出て、庭園に足を踏み込みます

        

大宮川を引き込んで曲水とし
庭園内を走る水路が豊かな苔を育んでいます

   

       

手入れの行き届いた庭園
現在は大津市の所有となっています

       

苔の大地を散策しました

       




続きます
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紅葉先取

2008年10月14日 | 写真
紅葉
落葉樹の秋の祭典

       

季節遅れを取り戻す為
今回も紅葉写真を割り込ませます

  

平地では色付いてきた落葉樹もちらほらしていますが
山岳ではもう紅葉が始まっていました

      

  

最低気温が10℃を下回ると紅葉が始まるとされ
最低気温が5℃を下回ると一気に紅葉は進む
訪れた日は紅葉が始まった刹那

      

     

葉の緑は
クロロフィルのお陰
紅葉とは
クロロフィルが分解されると葉の付け根に離層という組織ができる
ブドウ糖
蔗糖
アミノ酸
といった成分が葉に蓄積されることになる

  

       

その過程で
葉が赤く染まる

   

紅葉に至る過程
それを目の前で見る
それが嬉しい、山岳紅葉の始まり

      

  

今年も秋を見付けました

 
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三井寺

2008年10月12日 | 滋賀散策
天台寺門宗の総本山
滋賀県大津の三井寺を訪れました
一般的には三井寺として知られていますが
園城寺というのが正式名称

山号は長等山
開基は大友与多王

    

西国三十三箇所観音霊場
第14番札所の観音堂があることでも知られています

大友氏の氏寺として草創されたのが7世紀の事
667年
近江大津京が造営されます
遷都したのは天智天皇
飛鳥からの遷都でした

        

672年に天智天皇が崩御すると壬申の乱が勃発
大友皇子と大海人皇子が皇位継承をめぐって争ったのが「壬申の乱」
壬申の乱に勝利したのは大海人皇子

天智天皇治世の折には
大海人皇子は、大友皇子を皇太子として推挙し
自ら出家を申し出て、吉野宮に下ったものの
崩御すると、東海道・東山道の諸国から兵を募り
反旗を翻す
瀬田橋の戦いで大友皇子が大敗
大友皇子は自決して果てる

       

大海人皇子は天武天皇となり
敗れた大友皇子は
息子の大友与多王が弔う事となる

       

大友与多王が父の霊を弔うため
「田園城邑」を寄進して寺を創建したのが園城寺の始まりと伝えられています

      

天武天皇は都を再び飛鳥に遷都
近江大津京はわずか五年で廃都
園城寺は衰退する近江大津京とともに荒廃し再興を果たすのは2世紀の後の事となる

再興したのは
唐から帰国した留学僧円珍
  
   

再興後は、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えた
東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺」の一つに数えられるほどとなる

しかし円珍の死後
円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化
比叡山延暦寺から円珍門流がこぞって下る事となった
これ以降
園城寺と比叡山との対立が確執を生む事となる

      

度重なる争いから
園城寺は幾度か焼き討ちされることとなった
それだけでなく
源平の争乱
南北朝の争乱等
争乱の都度、戦火に晒されている

  

安土桃山時代になると
豊臣秀吉に寺領を没収され廃寺となったこともあったが

遷都による衰退
幾多の戦乱
寺領の没収

幾度もの災難によって衰退、再興を繰り返し
それでも存続していることから
「不死鳥の寺」とも言われている

  



さて園城寺
なぜ、三井寺と呼ばれているかというと
寺に涌く霊泉が理由

天智天皇
天武天皇
持統天皇
と3代の天皇の産湯として使用されている

この事から、御井の寺との別名で呼ばれるようになり
御井が転じて三井寺となったという

   

多難な歴史を持つ園城寺

        

広い境内を巡り

   

歴史に触れると

  

在りし日の三井寺が蘇ってくるようでした

   
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平泉寺白山神社2

2008年10月11日 | 福井散策
昼なお暗い境内
ここ平泉寺白山神社は緑の宝庫

       

長く続く参道には被い茂る楓
自然を愛でるには最適

歩く都度、頭の上で楓が風に靡く音が聞こえ
自然に抱かれた気持ちになれます

   

数百年の歴史が作り出した風景は
見ているだけで心が癒され
時間の経つのを忘れそう

   

苔むした境内
京都の西芳寺と並び
いや、西芳寺以上と賞される風景

      

参道の脇には苔の大地
そこからそそり立つ樹齢数百年の杉
良くぞ今日までその姿を留めていてくれたものです

   

参道を進むと見えてくるのが鳥居

鳥居は
神明鳥居でもなく
明神鳥居でもない
独特の鳥居

   

   




鳥居の先は苔の大地

      

参道の石畳以外は全て苔に覆われた大地
まるで緑の絨毯を敷き詰めたような風景

   

その美しい風景に見惚れ
歩く足取りも軽やか

       

杉の古木の間から
木漏れ日が漏れ、苔の大地を照らしだしていました

       

   

       

本殿には伊奘冊尊が祀られています

  

   


帰り道

差し込む日差しが幻想的に見えました

      
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平泉寺白山神社

2008年10月10日 | 福井散策
白山の神を祀る神社
日本三名山(三霊山)の一つ白山を祀る
白山の標高は最高峰の御前峰で2,702m
古くから霊峰として信仰され
白山信仰として、全国に二千七百余の神社を持つ

白山神社のひとつ
福井県勝山市にある平泉寺白山神社を訪れました

    

参道下にある無料駐車場に車を停め
参道を歩きます
参道には朝一の出店もあり
賑わいをみせています

石段が見えてくればそこから先が平泉寺白山神社

        

荒積みの石段が歴史を感じさせてくれます

   

創建は717年
開山は泰澄大師

白山信仰の越前の拠点として発展

       

巨大な伽藍を構えた神社となる
その数
48社36堂6千坊

    

越前の一大宗教都市として
一時は僧兵8千人を数えたという

       

古くは
「平清水」
「白山社」などと称していた
平安末期に入ると、比叡山延暦寺の末寺となり
「平泉寺」と称するようになった

黄金期には越前を統治した朝倉氏と肩を並べるほどの勢力だったが
1574年の一向一揆によって灰燼と帰した

その後、豊臣秀吉の庇護によって再興
一時の勢力を取り戻すが
明治時代に入り、廃仏毀釈の時流で制定された
「神仏分離令」によって寺号を捨て
現在の、平泉寺白山神社と称されるようになった





境内には松尾芭蕉の俳句碑があります
「うらやまし浮世の北の山櫻」

    

参道の途中
芭蕉の俳句碑のすぐ傍には
国指定名勝となっている旧玄成院庭園があります

   

玄成院はもと白山の別当が在住した坊院
作庭は室町末期
細川高国が作庭した庭園と伝えられています

       

庭園入口の木戸脇に賽銭入れがあり
拝観料を支払います
拝観料は50円

   

木戸をくぐると
そこから先が
苔に覆われた庭園

    

    

   

庭園としては見るべきものは少ないかもしれませんが
かつての隆盛ぶりを窺わせる庭園でしょう

   



続きます
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醒ヶ井養鱒場

2008年10月09日 | 滋賀散策
醒ヶ井宿
中山道61番目の宿として古くから往来があった場所

醒ヶ井の町から南へ約3キロ
醒ヶ井渓谷の奥にあるのが醒ヶ井養鱒場

   

真夏の暑い時期でもここの風は爽やか
随分前のことになってしまいましたが
真夏に訪れました

19haの広大な敷地内には
ニジマス、アナゴ、イワナなど川魚が養殖されている
その数100数十万匹

       

創業は古く
明治11年にビワマスの養殖の目的で県営ふ化場を設置したのが始まり
一時民営化するが
その後県営にもどり、今日に至っている

       

訪れたのは夏休みだったので
場内は子供達が走り回っていました

        

ここ養鱒場には梅花藻が咲いています
訪問の目的は梅花藻を見る為

   

場内を流れる小川には梅花藻が群生していました

  

梅花藻といえば醒ヶ井宿の地蔵川沿いが有名ですが
ここ、醒ヶ井養鱒場もなかなかのもの

   

小川に入り込み
冷たい水に浸かりながら撮影

       

水中に咲く華
やっぱり魅力的

      





のんびりとした時間を過ごすにはいい場所
ここ醒ヶ井養鱒場に居ると時間を忘れてしまいます

       

売店で買い物するも良し

       

木陰で休んでみるも良し

   

昭和の香漂う場所でした

   

   
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玄宮園3

2008年10月08日 | 滋賀散策
近江八景という言葉がある

       

中国にある瀟湘八景という風景
湖南省洞庭湖付近の美しい風景を随筆集「夢溪筆談」で紹介している

      

この瀟湘八景
日本でもそれに倣い八景を探した

  

近江八景は日本で、ごく初期に選定された八景

ここ玄宮園は近江八景を表現している庭園

     

石山の秋月
勢多の夕照
粟津の晴嵐
矢橋の帰帆
三井の晩鐘
唐崎の夜雨
堅田の落雁
比良の暮雪

   

近江八景の成立の詳細は判明していない
有力な説としては
近衛信尹によるものという説

関白であった近衛信尹
彼の自筆、近江八景和歌巻子
その奥書に
近江八景で知られている情景が記されている

       

近江八景を世に浸透させたのは
歌川広重の浮世絵
近江八景の情景を浮世絵で見事に表現している

   

江戸の町火消しの安藤家に生まれた広重
安藤広重と現代では呼ばれているがこれは間違い
浮世絵師として歌川豊廣に入門し
歌川広重の名を与えられている
だから、浮世絵師としての名は安藤ではなく歌川が正しいといえる

    

歌川広重についてはまた何れの機会に

近江八景を詠った唄で最後は綴ります

       

石山や鳰の海てる月かげは明石も須磨もほかならぬ哉

露時雨もる山遠く過ぎきつつ夕日のわたる勢多の長橋

雲はらふ嵐につれて百船も千船も浪の粟津に寄する

真帆ひきて八橋に帰る船は今打出の浜をあとの追風

思うその暁ちぎるはじめとぞまづきく三井の入あひの声

夜の雨に音をゆづりて夕風をよそにそだてる唐崎の松

峯あまた越えて越路にまづ近き堅田になびき落つる雁がね

雪ふるる比良の高嶺の夕暮れは花の盛りにすぐる春かな

       

        
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玄宮園2

2008年10月07日 | 滋賀散策
玄宮園には築山に鳳翔台と呼ばれる茶室がある
別料金を支払えば
鳳翔台にて抹茶を頂く事ができる

      

ワンコを置き去りにして
抹茶を頂こうと思ったのですが
寂しそうに鳴くので
抹茶は諦め

   

鳳翔台の脇から写真を撮ることにしました

この客殿から見る風景は格別

       










   

玄宮園は
中国湖南省の洞庭湖、離宮庭園を模して作庭されているとのこと

      

離宮庭園の造作を命じたのは玄宗皇帝
玄宗皇帝、唐の時代の皇帝
その名前を聞いてピンとこない人もいるだろうが

楊貴妃の夫といえば、ああなるほどと理解してもらえるだろうか

    

唐王朝の6代皇帝として君臨した人物
治世の前半
開元の治と呼ばれる善政をしたことで知られている人物

       

熟れた果実が落ちる寸前の唐
その治世で
唐の絶頂期を治めていた

      

その治世が狂ったのは
寵妃武恵妃の死から

後宮を求め、あろうことか息子の妃を後宮とする

それが楊貴妃

        

以後、皇帝は積極的な政治への関心を失い
楊貴妃を愛でることに残りの人生を費すことにしたらしい

それが、後の安史の乱を生む事になる

熟れた果実の唐
その果実が腐り
腐臭が漂う寸前
楊貴妃という妃が後世に名を残す事になった

  

玄宗皇帝とゆかりは無いが
洞庭湖を模したという玄宮園を巡り

        

中国の歴史に思いを馳せました

       




次回、終章です
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玄宮園

2008年10月06日 | 滋賀散策
旧大名庭園
玄宮園

今年も夏の時期に訪れました


      

ワンコも同伴で入れる庭園
あるブロガーさんに教えていただいたので
今回はワンコも同伴での入場

    

譜代大名筆頭の井伊家
その四代目藩主直興が造園した庭園
大池泉回遊式日本庭園

       

彦根藩は
徳川四天王の一人
井伊直政が関ヶ原の戦いの功で
石田光成の領地
佐和山を賜り興した藩

        

石田光成が居城、佐和山城は取壊され
湖岸の磯山に新城を建築
城の名を、彦根城とし
藩名を佐和山藩から彦根藩と改める

        

        

尤も
井伊直政は着工直前に病没
嫡子、直継が造営を引き継ぐ

  

その直継
病弱であったようで、その後の大阪の陣では
病気を理由に戦列に参せず
それを咎められ、上野国安中藩へと移封
彦根藩は直継の弟、直孝が継ぐ事になる

   

直孝は才があったようで
幕臣の中で出世
三度に渡り領地は増加され
直孝の代で30万石を有する大大名となった

   

その直孝の孫
直興が隠居の為に造営したのがこの玄宮園

       

庭園は大名庭園
広大な敷地を誇る池泉回遊式庭園

  

        

庭園では抹茶も頂けます

       





続きます
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神宮寺

2008年10月05日 | 福井散策
若狭のお水取送りの行事
毎年、神宮寺の境内では修二会が催されます

    

小浜にある神宮寺
天台宗の寺院
山号は霊応山
創建は和銅7年
滑元が創建

       

創建当時は神願寺と称していたようですが

       

勅願所となった翌年
神宮寺と称し、今日に至っています

かつては大伽藍を連ね
二十五坊を数えていましたが
豊臣政権下においての寺領没収と
明治時代の廃仏毀釈によって寺領は失われ
本堂が残るのみ

   

本堂はお水送りの行事が行われることで有名


若狭武田氏の祈願所として
代々武田氏の庇護を受けたと記されています

    

戦国時代になると
畿内を席巻した織田信長によって領地を追われ
豊臣秀吉が天下を取ると
山内一豊などの子飼のものが治世するようになった

江戸時代には小浜藩の一部となり
酒井忠勝が領主となっている

      




本堂は、室町末期の代表的建造物
単層入母屋造檜皮葺

   

       

  



境内には閼伽水として知られる湧水があります

    

本堂の奥
トタンで作られた小屋の中で
ひっそりと湧き出しています

        

水は冷たく
まろやかでとても美味しい

        

若狭小浜へ訪れた時には
ここまで足を伸ばしてみるのも面白いですよ

       
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鵜の瀬

2008年10月04日 | 福井散策
奈良、東大寺二月堂で毎年行われる「お水取り」
修二会として知られる伝統行事が行われる前に
「お水送り」という行事があります

それがここ鵜の瀬で行われる行事

修二会が3月12日
それに先立つ事10前、3月2日にお水送りが執り行われます

        

午後6時
白装束に身を包んだ僧侶を先頭に
大護摩からもらいうけた火を手にして
三千人ほどの松明行列が、鵜の瀬へ向かいます

        

鵜の瀬で護摩を焚き
送水神事を行う

白装束の住職が祝詞を読み上げ
竹筒からお香水を遠敷川へ注ぐ

    

このお香水は
東大寺・二月堂の「若狭井」に届くのに10日かかると言われている
奈良のお水取りが3月12日に行われるのはこの為である

       

鵜の瀬の河畔に立ち
俳人、山口誓子の唄を思い出しました

瀬に沁みて 奈良まで届く 蝉のこえ

       



鵜の瀬の直ぐ傍には資料館らしい建物もあって
和紙でお水送りの様子を再現してありました

    

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明通寺

2008年10月03日 | 福井散策
真言宗御室派の寺院
明通寺を訪れました

山号は棡山
創建は坂上田村麻呂と伝えられています

   

駐車場から松永川を渡り
樹齢何百年の杉の大木
その間から
山門が見えてくればそこが明通寺

      

       

深い森に囲まれるようにして建つ明通寺

   

山門は楓に囲われ
夏の緑
秋の紅と
艶やかな姿を見せてくれる

   

山寺らしい石段の参道を先へと進みます

   

石段の先に見えてくるのが本堂

  

       

1265年に落成した本堂
鎌倉時代の建築様式を現在にまで残しています

       

        

間口5間、奥行6間
入母屋造、檜皮葺きの建物
正面側を全て蔀戸にしているのが特徴

   

そして本堂奥に三重塔が鎮座

    

本堂が落成して後
5年後に棟上された三重塔

       

桧皮葺木造三重塔婆
優美な姿

明治期には瓦葺になったものを
昭和の修繕で桧皮葺に戻されています

      






最後に参道脇にある
庭園を観賞

   

        

   

意外な美しさに出合える明通寺
小浜へと足を向けた折には立ち寄ってみては如何でしょうか
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熊川宿

2008年10月02日 | 福井散策
琵琶湖北端から
国道303号線で小浜へと向うと
滋賀県を越え福井県に入ってすぐ
熊川宿があります

        

京と若狭を結んでいた旧街道
鯖街道
福井県小浜市から京都市左京区出町柳まで
海産物を京都へ届けるために整備された街道
搬送物の中で、鯖が一番多かったことから
鯖街道と名付けられた

    

京は遠ても十八里

        

熊川宿は小浜から最初の宿
古くから土着していた様で
記録では室町時代には集落が確認されています

時代が下って戦国時代
浅野長政が小浜城主になった折
戦略的拠点として発展

        

小浜
熊川
保坂
大原


       

かつては
京へと海産物を運ぶ人夫達が
この街道を越えて
京へと向っていった事でしょう

      

江戸時代には200戸を越える街道宿となっていた熊川宿
輸送手段が人力から鉄道、車へと変わり
街道宿としての役目を終えた熊川宿

       

今では観光地として
多くの人が訪れています

    

見所があるわけではありませんが
散策すると
懐かしい風景を見つけたりして

        







畳の上に、寝ころばう、
蝿はブンブン 唸つてる
畳ももはや 黄色くなつたと
今朝がた 誰かが云つてゐたつけ

       

それやこれやと とりとめもなく
僕の頭に 記憶は浮かび
浮かぶがまゝに 浮かべてゐるうち
いつしか 僕は眠つてゐたのだ

  

覚めたのは 夕方ちかく
まだかなかなは 啼いてたけれど
樹々の梢は 陽を受けてたけど、
僕は庭木に 打水やつた

  

打水が、樹々の下枝の葉の尖に
光つてゐるのをいつまでも、僕は見てゐた



熊川宿の散策でした

   
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法金剛院2

2008年10月01日 | 京都散策
法金剛院の二回目ですが
今回は
ちょっとサボって
記事なしで
法金剛院で撮影した花々を掲載させていただきます

どうぞご覧ください

       

      



       



  

   

       



   

  




     

    




   

      

       
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