若狭のお水取送りの行事
毎年、神宮寺の境内では修二会が催されます
小浜にある神宮寺
天台宗の寺院
山号は霊応山
創建は和銅7年
滑元が創建
創建当時は神願寺と称していたようですが
勅願所となった翌年
神宮寺と称し、今日に至っています
かつては大伽藍を連ね
二十五坊を数えていましたが
豊臣政権下においての寺領没収と
明治時代の廃仏毀釈によって寺領は失われ
本堂が残るのみ
本堂はお水送りの行事が行われることで有名
若狭武田氏の祈願所として
代々武田氏の庇護を受けたと記されています
戦国時代になると
畿内を席巻した織田信長によって領地を追われ
豊臣秀吉が天下を取ると
山内一豊などの子飼のものが治世するようになった
江戸時代には小浜藩の一部となり
酒井忠勝が領主となっている
本堂は、室町末期の代表的建造物
単層入母屋造檜皮葺
境内には閼伽水として知られる湧水があります
本堂の奥
トタンで作られた小屋の中で
ひっそりと湧き出しています
水は冷たく
まろやかでとても美味しい
若狭小浜へ訪れた時には
ここまで足を伸ばしてみるのも面白いですよ
毎年、神宮寺の境内では修二会が催されます
小浜にある神宮寺
天台宗の寺院
山号は霊応山
創建は和銅7年
滑元が創建
創建当時は神願寺と称していたようですが
勅願所となった翌年
神宮寺と称し、今日に至っています
かつては大伽藍を連ね
二十五坊を数えていましたが
豊臣政権下においての寺領没収と
明治時代の廃仏毀釈によって寺領は失われ
本堂が残るのみ
本堂はお水送りの行事が行われることで有名
若狭武田氏の祈願所として
代々武田氏の庇護を受けたと記されています
戦国時代になると
畿内を席巻した織田信長によって領地を追われ
豊臣秀吉が天下を取ると
山内一豊などの子飼のものが治世するようになった
江戸時代には小浜藩の一部となり
酒井忠勝が領主となっている
本堂は、室町末期の代表的建造物
単層入母屋造檜皮葺
境内には閼伽水として知られる湧水があります
本堂の奥
トタンで作られた小屋の中で
ひっそりと湧き出しています
水は冷たく
まろやかでとても美味しい
若狭小浜へ訪れた時には
ここまで足を伸ばしてみるのも面白いですよ
お水送りって東大寺二月堂に水を送ると言う意味らしいですね。
湧き水が 冷たくてまろやかでと言えば最高ですね。
お堂の周りは広葉樹が多そうで、紅葉も良さそうです。
本堂、パッと見た感じ、京都大原の勝林院のように見えます。
重厚感があって、素晴らしい建築ですね。
神宮寺、なにやらなかなかよさそうなところですね。
どれも良い雰囲気の寺院です
神宮寺から毎年真冬に二月堂へ向ってお水取りの行事が行われ
雪の降頻る中
幻想的な風景が見れます
冬の小浜
出掛ける価値ある場所なんです
訪れる人も少ない場所です
観光寺院化していないのが魅力の地方寺院
こういう風景に出会えるのが楽しいです
閼伽水
とても冷たくて
味わいのある水でしたよ
ここは真紅に染まった風景を見ることが出来ます
本堂前は芝生なので
紅葉が更に引き立ちます
勝林院
そうですね
あの本堂に近い感じです
勝林院の本堂よりはひと回り小さいですが
歴史を感じさせる、いい雰囲気を出しています
秋
京都に目を向けがちですが
違う場所の紅葉も見たいなって最近思っています
比較的集まっていて
車で周るとそれほどの移動時間を必要としません
巡ってみるのも面白いですよ
雪だるまは時々この辺りへと出掛けて
小浜の風景を楽しんでいます