いざ美術館に出かけようと足を踏み出しても、
一体、何で、何の為に絵を見るのだろうと、
ダークサイドに落ちてしまう事がある。
朝起きて、空を見る、
天気予報で確認してみても、
部屋の中に籠っているには勿体無い天気、
ならばと、半休を取って出かけてみる事に、
多摩川を越え、ちょっと遠出をして、
神奈中バスが行き交うのに、
東京都だなんて疑ってしまう町田まで、
お目当ては、
何となく後ろめたい気持ちも、
多摩川を越える頃には薄まり、
晴れた空の下を歩いていると、
例のダークサイドも湧き上がって来ない。
そう言えば、平日の美術館巡りも久しぶり、
忙しいといっても、閑(ひま)をみつけて出かけたのに、
今年は、そうしなかったと、少し心が疲れていたのかと、
思いながら、お目当の絵の前に立つ、
春信の、春章の、清長と、そして歌麿。
ゆっくりと、無心に楽しむ事が出来た。
思っていた以上に、大当たりの展覧会。
一言に美人といっても、
時代時代、絵師毎に違いがあり、
それを、時代の流れに沿って展示されています。
ある意味、美人画って、当時のプロマイド、あるいは生写真
でも、それとの違いは、
白粉の匂い、その絵の中の美人さんの色香が鼻をくすぐる様な、
そんな気持ちになりました。
そして、彼女達が居る大川の水面を渡ってくる風、水の音、
大門の内側の喧騒。
数え切れないほどの絵が摺られたのに、
残っているのは、数える程、
でも、それらが残っているのは、その出来の素晴らしさから、
視覚が、五感を刺激する。
そんな強さが並べられた絵にあるのです。
この秋、いくつかの浮世絵の展覧会がありますが、
その中でも、外すことの出来ない一つだと、
そう思うのですが、如何でしょうか。