妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

生き難い性

2016年11月12日 | 読書

ズボンの裾から入って来る風の冷たさが辛くなる季節、

長めソックスにすれば良いのだろうけど、いっそのこと、、、、

もっと、薄くて、丈夫、様々な色のバリエーションがある履き物があるにの、、、

男であるが故にそれを手にする、履くことが難しい、、、、

まあ、脛に、毛を持つ人にとっては、その心地良さが半減してしまう。

 

この本の作家、クリスチャンは、ドイツの寒さを防ぐために、

偶然手に取った機能的な履き物を肌にした時から、彼の冒険が始まります。

そして、この本は、一年に渡る彼の冒険談とも言える本です。

 

 「女装して、一年間暮らしてみました。」 サンマーク出版

 クリスチャン・ザイデル著、長谷川 圭訳

一足のストッキングを身に着けたことで、彼は、女性という性に興味を示します。

そして、男の自分のなかに、その性が生きていることに気づき、

女性として、といっても、女性の服を身につけての生活を始めます。

そのなかで、女性という性別のもつ生き方、行動、感じ方、考え方に親しみを覚え、共感し

男性としてのジェンダールールよりも生きやすさがあることを知ります、

男性「性」としてあるべき姿に縛られている男性よりも、

その性別による規範が女性の方が緩やか、あるいは自由であることを知り

その自由さ、居心地の良さに魅かれていくのです。

とりわけ、女性になった彼を受け入れてくれた女性達との関係の方が、

彼が過去に経験してきた、男性としての男同士の付き合い方よりも、

はるかに自由で、開放的で、楽しいものだと、知ります。

それに、男性が女性にする、例えば、ドアを開けておく、重い荷物を、、

そんな日常的な行為にも、女性として、居心地の良さ、なんだか、得をした気持ちになります。

 

幾つの嫌な経験は、主として男性から仕向けられたものですが、

きっと、一番つらかったのは、仲の良い男友達を失ったこと、

自分の隠しておきたい憧れや興味を実践してしまった男への恐怖だろうと、

確か作者は分析していたと思うのですが、

ここにも、男性の男としての性規範の許容範囲の狭さを感じます。

ただ、最後に、再び男性の服に戻った時、

女性の姿をしていたときに親しかった女性達の接し方も変わったことを

性別の違いって、単に服装という包装紙だけで、

中身、つまり身体の性はそれほど関係無いのかと、思ったりもしました。

 

この本を読んでみて、思っている以上に、男と女の性の距離は近いものだと、

ただ、その間に、高い壁があり、それ故に誤解が生まれると、

ところが、その高い壁は、実は片方の性、男性だけが造っているもので、

女性は、すでに容易く低くしてしまっていると、

なんだか、男のの保守性を、いいえ、自らが守るべきモノを間違っている頑固さに

ちょっと残念な気持ちになりました。

 

メンズブラを身に着けると、優しい気持ちになるって、昔言われましたが、

スカートは、ましてや、ブラはともかく、男性もフェミニンな、ノンセクシャルな服を着る事で、

ちょっとだけ、性の立ち位置をずらすことで、新しい世界が見えてくる、

そんな経験をするべきなんだろうなって思うのです。

そうすれば、ガラスの天井に「ヒビ」も入るかもしれません。

 

隗から始めよではありませんが、久しぶりにしてみようかな、

あの着心地の良い服を肌にまとわせること、やさしく支えられる感じ、

わたしにとって、好きな、心地よい服を着る事。


忖度するということ

2015年08月16日 | 読書

日本のはるか北東、

北大西洋のアリューシャン列島にある、

アッツ島をご存知でしょうか。

確か、玉砕という言葉が最初に使われた戦い。

それを題材に、藤田嗣治が描いた一枚の絵を巡るお話、

それが、平山周吉著、芸術新聞社刊、「戦争画リターンズ」です。

 

一度は、撤退し、戦略上の重要性に乏しいしまに、

再度拠点をつくり、玉砕しなければならなかったのか、

会田誠の絵から始まり、寄り道をしながら、

戦後の藤田嗣治の苦悩と共に、

彼の絵を通して、アッツ島の戦いについて語られています。

 

ふと思ったのです、

昨今の粉飾決算と同じことが、

この時、アッツ島に関わる軍事行動の時に、

起こったのではないかと、

つまり、上席者の気持ちを忖度して、

この島を占領する作戦を立案したのではないか、

北の海の、孤島、そこには珍しい植物の宝庫。

ただ、それがこの島に上陸し、占拠した理由で、

それが、悲しい結末の引き金になったのではないかと、

 

唯一の救いは忖度された側が、

そのことで、深く心を痛め、この島のことを気にかけ、

それ以外の様々なことも含めて、

生涯をかけてその罪を償おうとした、

そして、その贖罪は、平成の世になっても、

引き継がれていること。

 

昨日、8月15日。

いろいろなメッセージが発せられるなか、

ふと、この本のことを思いだしました。


官能小説

2015年08月15日 | 読書

昔々、ダカーポという雑誌があったのをご存知でしょうか。

その中に、エッチな小説の触りを紹介するコラムがあり、

隠れたファンも、多かったと聞きます。

もちろん、私もその中の一人なのですが、

そのコラムの作者が、書いた本がこちら、

「日本の官能小説」 永田 守弘著 朝日新聞出版刊です。

これまでの、官能小説の目録です。

まるで、ダカーポのコラムを思い出させるないようで、

読み進むうちに、何人かの作者の作品を読んでみようかと思いました。

とはいえ、ひとつ二つ、不満が、

一つ目は、館淳一さんの紹介について、

確かに、バイオレンスっていうか、ハードボイルドですけど、

彼の作品の一番の特徴は、女装とか、ニューハーフ。

彼の小説を読んだが故に、幸福(不幸???かも)な道に迷いこんでしまった、

その点も書き添えて欲しかった。

 

あと、もうひとつは、サタミシュウの記載がないこと、

出版は、メジャーどころだから、官能小説ではないと判断したかもしれませんが、

でも、あれって、100%官能小説だと思うのですが、、、、

 

ともあれ、古本屋さんの棚を覗いて、

気になった作家さんの本があるか探すこのごろです。

とはいえ、この手の本って、本棚に並べるわけにいかないから、

昔の本で、なかなか見つからないのですよね。


関係する女所有する男

2015年05月27日 | 読書

性差に関する本の多くは、

典型的な、「あるある」話を誇張して、、

面白おかしく書かれたものが大半だと思うのです、

確かに、方向音痴の女子は多いけど、

空間認識に苦手な男子とかも居るし。

結局のところ、酒場でのおやじの会話以上程度のものばかりです。

 

「関係する女所有する男」 斎藤環(さいとう たまき)著 講談社新書

この本の著者も、そのような本はいわゆる「とんでも」本だと切り捨て

性差を「男」「女」という言葉ではなく、

題名になる、「関係」と「所有」という切り口で説明しようとしております。

言葉と言う記号では、生物学的な「オス」と「メス」の違いは述べられても、

性差、つまりジェンダーの違いを説明出来ないとする立場です。

また、ことさら、性の違いを取りえあげない、ジェンダーセンシティブの立場からも、

敢えてこのようなアプローチを取ったとあります。

 

「所有する欲」が顕著に見られるグループと、

「関係を築く」気持ちが強いグループの二つ。

そして、その中で、比較の問題として、

生物学的な男性、つまり「オス」は前者に、

「メス」は後者に当てはまることが多いとする考えです。

なるほど、今までの本とは違い、納得のいく、切り口です。

行動ではなく、その行動を律する精神に注目する、

なるほど、精神科医らしい取り組みだと思うのです、

それが、肉体的な性に違いと重なりあうところが多い。

自分の行動を省みるに、「はるか」という名前の時は、

所有するよりも、繋がりを求めたい気持ちが強くなり、

戸籍上の名前でふるまうときには、「手の中にしたい。」

そんな気持ちを強く感じることに気が着くのです。

 

「ヤマなし、オチなし、イミなし」の妄想ですが、

その話を想う時、どちらかといえば、関係性を記したいと、

ただ、そのなかでも、所有されるという関係性が多いのは、

所有したいと思う性の名残かもしれません。

 

身体的特徴、表面的な行動様式ではなく、

具体的な事例を挙げ、それらが根付いている精神面に注目して、

ジェンダーの違いを説明する。

酒の席のネタにはなりませんが、

自分の中のジェンダーの濃淡に気が付いている人に、

是非お勧めしたい本です。


新しい世界だよね、

2014年12月30日 | 読書

橘芹那さん、すごくきれいだよね、

最初の出演は、多分これ、そして、最近の作品は、

女の子だけじゃなくって、

男の娘も、見られることで、綺麗になるのだなって、

こうして見比べるとよくわかる。

生まれたままの姿にならなければ、

「スルー」なんて言葉は、超越してる。

最近読んだ、川本 直著、河出書房新社刊の 「「男の娘」たち」は、

橘さん、その他の「男の娘」さんたちへのインタビューをもとに、

彼女達の生き方や考え方に焦点を当てた本です。

真っ赤な表紙が、ちょっと刺激的ですが、

面白半分とか、キワモノとしてとらえたものでなく、

正面から向き合って、彼女達に寄り添う姿勢で、まとめられています。

私が二丁目の女装のお店に出かけなくなった、この十年、

その間に、世の中が、女装さんの世界がどのように変わったのか

私にとっての「失われた十年」を埋め、今の世界へ繋がる流れを

インタビューを通して切り取っています。

 

新しい発見だったのは、

動画を乗せた橘さんの性志向のこと、

作者も記しているとおり、女性の姿に近づこうとする人は、

女装さんでも、男の娘でも、自分の性志向を同性を主としないことが多いけど、

彼女は、女性に近づく目的が、男性の興味を惹くためとはっきりと言っていること。

確かに、トラニーチェイサー(tranny chaser)だけでなく、

シンプルなヘテロセクシャルな人であっても、自然に受け入れられるという意味で、

彼女は成功していると思うし、あとに続く人も増えてくると思うのです。

もちろん、女装から、「男の娘」に深化したことで、

男性が側にも抵抗が低くなったことも理由かもしれないけど。

 

もうひとつ驚いたのは、「隠れた」男の娘さん達のこと、

戸籍の変更はともかく、元の性別に知られずに、

完全に女性として生活している男の子達のこと、

どうやら、世の中は、すごく先に進んでいるようです。


いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる

2014年12月28日 | 読書

働いた環境なのか、、無知だったのか、

入社一年目から、残業代とは無縁の世界に居ました。

君たちは、「Eexempt」なんだからかと、

辞書を引くと「免除」と、、、

免除されたの残業代だけ、

「雑巾掛け」とか、「修行」とか、

そんなイメージで受け入れたのでした、

もちろん、出世の階段の幻想と共に。

 

20年が過ぎた今、お気に入りの肩書は、

「元」外資系エリート、

端からそうじゃなかったと、、、

そう思うことしきりなのですが、

一瞬でも、そう思わせたのは、

組織の、時の上席者の手腕だったかもしれません。

 

 

まさしく、この本に書かれている「Eexempt」が私の今の処遇。

偉い人のポジションの数には限りがあるわけで、

途中で、終わっちゃった人、でも、組織として必要「かも」しれない人の扱いって

組織でも、その人にとっても、大切なことだと思うのです。

その解決策が、「Eexempt」。

決して、会社が、残業代をけちる訳じゃなくって、

本当に、仕事に対して、報酬を払う。

私にとって、とても慣れ親しんだ仕組み。

 

何十年もこの制度で働いてきて、思うのは、

給与以上に働く必要はないけれど、

報酬に見合う成果を出し続けないといけないってこと、

当たり前だけどおもうけれど、このバランスが難しい。

職務記述書があっても、結局ボスのさじ加減だし、

働く側にとってもても、とくに、日本人の場合は、

しなければならないことを曖昧するから、

職務記述書に記されていないことまで手を伸ばして、

無駄に時間を取られることもあると思う。

そうなると、結局、ただ働きになってしまう。

 

昔、工場の担当者に、

お客さんの要求に盲目的に従ってると、

軽自動車のコストで、セダンを造るはめになるってと言われたけど、

製品だけじゃなくって、自分の労働にも言えることかもしれない。

まあ、報酬だけの為に仕事をしてる訳じゃないけど、

その割合は、若いころに比べて、だいぶ少なくなっているし、

そんなきれいごと、50歳過ぎたら、通用しないと思う。

働いた分、成果に見合う報酬ってことが「Eexempt」なら、

悪くない制度だと思っているのです。


緊縛の文化史

2014年09月28日 | 読書

8月最後の週末からの諏訪神社から始まって、

近所では、八幡さま。

そして、9月の二番目の週末が、氷川神社。

夏の終わりから、秋の始まりにかけて、

東京、山の手では、秋の祭礼がおこなわれ、

祭囃子や、神輿の担ぎ手の声が響きます。

 

祭礼を手伝っていて、思うのは、

神輿のを組む時は、もちろんのこと、、

お祭りのいろいろな場面で

縄が登場し、それを結ぶことで、

お祭りが出来上がっているってことです。

町々に設営される、神酒所も、

その場所を縄で囲うことで、示されます。

縄が、結ぶということが、

あらためて、私たちの生活で、

思いのほか、近くにあることに気がつくのです。

 

その近さが、緊縛という文化を育んだきっかけになったのだと、

また、「神」と「縄」の近さが、捕縛術という味付けを経たのちも。

縄の受け手への、尊敬を保ち続けることができたのではないかと、

ミスターK氏は、「緊縛の文化史」に記しています。

男性も縛られることもありますが、

その美しさからか、女性の姿が多い、

ならば、縛られることで、神聖なものになるという意味で、

巫女のような存在なのかと、

和のSMの特徴である緊縛。

洋の拘束には見られない、

縛られる方、マゾを想いやる気持ちが生まれたのではと

作者は考えているようです。

マスター“K”:著, 山本規雄:訳
発行:すいれん舎

 

英語圏の人々へ向けての緊縛の紹介の本の翻訳で、

緊縛の歴史をひもとき、

さらには、現在に活躍する人々の紹介、

そして、簡単な縛り方の解説まで、

興味半分、面白半分でなく、

真面目に緊縛と向き合って書かれています。

女性の(もちろん男性の)緊縛姿を美しいと感じるならば、

秋の夜長のお伴に相応しい一冊だと思うのです。

改めて、緊縛の奥の深さを知ることだと思うのです。

ただ、

縛られた女性をリピドーを和らげる手段になさっている方には

間違えなく物足りないと思います。

緊縛って、エロチックな芸術、あるいは技術だと

そんな想いを抱く方には、是非とも読んでいただきたいのです。


明日、お昼休みにすること

2014年04月07日 | 読書

ランチのアッコちゃん

もちろん、この季節にしかできないこと、

散っている櫻を眺めながら散歩もだけど、

スーパーに立ち寄って、

お味噌汁か、中華スープの小袋を買いに行こう、

「ランチのアッコちゃん」 柚木 麻子著、二葉社刊によれば、

一人で食べる食事は、栄養も偏りがちで、

良く噛まないで食べるから、健康に良くないとのこと、

できれば、誰かとテーブルを囲むことで、

品数も増え、会話が生まれることで、

ゆっくりと、時間をかけての食事になる。

 

仕方なく、一人でのご飯の時は、

一品、暖かいものを摂るようにすることで、

少しは栄養のバランスと

食事の時間が伸びて、

悪いながらも、補えるとのこと、

さっそく、調整しよう、、

 

そうすれば、

この本の主人公のように、

少しは元気になるかしら。

ちょっとだけ、行き詰った

そこのみんな、

この本読んで、

美味しい物食べて、

前に進む、元気をもらおう。


歳をとると、、、

2013年09月12日 | 読書

 

歳を無駄に重ねると、

涙を流して泣くことが出来なくなり、

時として、知らぬ間にストレスを溜め込んでしまう。

声を出して、鼻水垂らして、涙流して、

気持ちを解放することも必要だと、

そんな意味の日記を書いたつもりです。

 

無駄に歳を重ねると、

涙腺が弱くなってしまうのも事実です。

最近では、NHKのドラマ「あまちゃん」

9月の第一週の月曜、それに

9月10日の回、夏ばっぱの言葉。

知らぬ間に、涙が頬を伝わりました。

そして、「犬から聞いた素敵な話」 山口花著 東邦出版。

 

一雨ごとが暑さが和らいでいるとはいえ、

まだまだ残暑があるはず、気温が高くても、

時に、心を暖かくしたいとき、

きっと、「ほんわか」とした気分にさせてくれます。

ただ、あまりに優しすぎる本なので、

電車の中や、人前では読まない方が、、、、

涙を押さえるのに苦労した、

私の経験からのアドバイスですが、

犬と人との愛に溢れた良い話がいっぱいの本です。


自分がしたいことを忘れてしまうことは、

2013年09月07日 | 読書

一応、男性ですから、

女性を食事に誘うことは、

それを楽しむ以上の下心が皆無だとは言えません。

ただ、下心だけから誘うのかといえば、

それだけでもないのも、正直なところなのです。

お気に入りのお店、行ってみたいと思っていた店。

そこに連れ出して、食べてみて、

料理のおいしさに笑みを浮かべる、

お酒が程よい潤滑油になって、

レディーストークがとめどなくこぼれてくる、

私はといえば、お酒舐めながら、

話を聴き、頷き、時に一言二言言葉を挟むだけ、

肴は、彼女さんの楽しそうな顔。

一番楽しい、幸せな時間なのです。

 

あまりに幸せすぎて、

下心を叶えさせてくれるサインを

何回も見逃している、と思いたいものです。

たとえ、そうであったとしても、

好きな人の楽しそうな顔を見ただけで、

その場は良かったと思うのです。

「夢をかなえるゾウ2」 飛鳥新書刊 水野敬也著

を読んでいるとき、そんなことを思い出し、

そして、最近の自分に少し反省です。

 

この本は、「夢をかなえるゾウ」の続編で、

頭、ゾウ。手が四本、片方の牙が欠けている

ガネーシャという、インドの神様が、

夢を叶えるヒントを与えてくれるお話です。

今回は、ガネーシャの他にもう一人の神様が

二人の神様の力で売れない芸人さんが

成功するまでのお話になっていています。

 

今回、登場した神様の印象的な言葉を一つ、

それは、「欲しいものを口に出す」

彼女さんだって、自分の笑顔だけを見る為に、

あるいは、好きな肴、お酒を飲むための

「刺身のツマ」として誘っているなんて、

夢にも思っていないはず、ならば、

たまには、「下心」を上手に伝えることも、

必要なのかもしれないと、思うのです。

求めなければ、何がしたいのか、どうなりたいのか、

永遠に相手には伝わらないのですから。


懐かしい風景

2013年09月04日 | 読書

もうかれこれ、40年以上、

同じエリアで育ちました。

町内、隣街、隣駅、そして、区内。

昔の風景は、記憶の片隅に残っているものです。

 

加藤嶺夫 写真全集 『昭和の東京 1 新宿区』

 

今の風景と比べながら、

写真の場所を特定しながら、

懐かしく、ページを捲りました。

一つだけ、身近な場所なのに、

どうしても記憶になかったのが、

高田馬場の駅前の風景。

今は、駅前の広場になっている場所に

小さなお店が固まっていたことは、

もちろん、都電の駅があったとも

初めて知りました。

 

大きく変わったところも、

そうでもない所もありますが、

写真のなかに、よく知る店の看板を見つけると、

そのお店の中の風景がよみがえります。

懐かしい路地裏を見つけては、

そこまでの道のりを思い浮かべたりします。

 

山手線と西武線が並行して走る区間

内側のバラックが取り壊され、

新しい道に変わっているのは、

つい最近のことです。

とりわけ、新大久保から職安通りまでは、

なにか、時代から取り残された場所で、

昭和40年代からほとんど変わっていないことに

驚きと懐かしさを感じてしまいます。

が、その場所も、ようやく

諏訪通りから、大久保通りを交差して、

職安通りへとぶつかる道が出来はじめています。

 

職安通りといえば、

小滝通りで途切れ、車がようやくすれ違うだけの

商店街だったものが、

いまでは、青梅街道の鳴子坂下までつながる

綺麗な道に変わっています。

 

鳴子坂近辺の、十二社(じゅうにそう)の池は、

確か、タモリ倶楽部でも紹介された池。

中央公園を越えた、淀橋の浄水場は、

小学校の副読本でしか知りませんが、

その後しばらくの間、

京王プラザ以外なにもない更地だったことは記憶にあります。

 

西口のロータリーはさすがに今と変わらない構造ですが。

南口の変わり方は目を見張るものがあります。

駅周辺のなでも、平成の時代まで、

戦後の雰囲気が色濃く残っていた場所です。

 

二巻として、台東区

三巻として、千代田区

発売になったようです。、

例えば、渋谷区、中野区とかの、

馴染みのある街の昔の風景を楽しみにしています。


MILFって、何の略でしょうか

2013年08月25日 | 読書

洋の東西を問わず、

男子の性的関心は、若い女性に向けられるものだと

面白いと思ったのは、

いわゆる熟女、年増の女性への人気が世界的なものだということ、

そして、題名にもあるとおり、

日本以外でも、ヤオイ系やボーイズラブが人気のあること、

でしょうか。

 

性欲の科学-なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか

阪急コミュニケーションズ刊

 

人の性的関心がどこに向かっているのか、

どのような事象に性的な刺激をうけるのか、

インターネットの検索履歴をベースに、

考察した本なのです。

それゆえ、英語でのアダルトサイトの検索書としても

英語の性的なスラング、短縮語についても、

なかなかに有効な本になっているのも事実です。

例えば、熟女については、

「MILF」

なかなかに味わい深い言い回しだと思います。

 

そして、意外にも、ヘテロセクシャルであっても、

男性の同性への性器への関心が、高いことに

自分だけではなかった驚きと同時に、少しの安堵もありました。

 

性的な興味は、楽しみは、

とてもとても個人的なもので、匿名性の高いものだから、

個人個人で特異な進化、あるいは深化を遂げると思っていた、

私の性的な気持ちよさを呼び起こすアイコンやキュー(引き金)は

私だけの特異で、変なものだと思っていたら、

蓋を開けて、壁をとりはずしてみたら、

結構、みんな同じようなことをネタにしていたのです。

 

最後に、覚えておいた方がいいのは、

女性の場合、体の反応と脳の反応が

ほとんど関連していないということ、

男性ならば、それが100%一致しているのに、

女性の場合、体は性的な興奮を示ししていても、

それを脳が感じていない場合がある。

現実の世界でも、モニターの世界でも、

濡れているからといって、心が求めているとは限らない、

女性の心は、別の刺激が必要とのこと、

女性の演技力には、男は太刀打ちできないようです。

 

今日のタイトルは

Mother I'd Like FukeのM. I. L. F.の略

熟女ってことです。

 


元気のあったころ、、

2013年07月07日 | 読書

高度経済成長の余韻というより、

オイルショックの方が記憶に残り、

プラザ合意、直後のミニリセッションに翻弄され、

その後のバブルはといえば、

ほんの零れに少しだけありつけた。

新人類と呼ばれた世代は、

実は、ほんの少しの差で

乗り遅れた世代なのかもしれません。

とはいっても、

目の前を通過していくバブルの空気を吸い、

色の付いたテレビに感動できた

そんな経験は、実は得難いものなのかもしれません。

知らないより、あった方が増し、

まあ、そんな程度の、取るに足りないものですが。

 

私が生まれる前、

戦後の復興から、高度経済成長の時

産業界のトップや主流派ではなく、

どちらかといえば異端と称された企業があります。

異端とされた理由は、

政府の指導に従わない、自主独立の道を行った、

ただ、それだけにあったように思うのですが、

 

有名なのは、本田技研であり、ソニーだったのですが、

最近、それ以外の会社にも光があたるようになりました。

その嚆矢となったのが、

「海賊と呼ばれた男」内田尚樹著 講談社刊

それに似た作品として、

「鉄のあけぼの」黒木亮著 毎日新聞社刊

です。

 

石油精製に鉄鋼業、

典型的な重厚長大な企業の物語です。

「海賊」の方は、盛んに宣伝されていますが、

同じように「鉄の、、」も、

その当時の活気が伝わってきます。

 

なにかといえば、

新興国の追い上げを理由にして、

困ったことがあると、政府の補助を求める、

そんな企業とは、まったく異なった、

自分の判断に基き、自分の足で前に進む、

そんな企業が、私の生まれたころには有ったのです。

敗戦から復興、高度成長、人口増と所得の増加。

確かに、湧き出るような需要があったのも事実ですが、

これらの作品で描かれた、アウトサイダー達が、

成長を牽引していたのではと思うのです。


本を裸でもっているのですね、

2013年06月26日 | 読書

バイブルサイズの手帳と一冊の本、

いつもの私の手荷物です。

 

「本、裸で持っているのですね。」と

一応、ブックカバーはしているものの、

それは、読んでいる本を知られたくないから、

多少は、本を守る為の意味もありますが、

考えてみれば、

今晩のように、

傘が役になたないくらいの雨の日、

持っている本も、濡れてしまいます。

本が好きならば、

きっと、鞄に入れて持ち歩くはず、

それになのに、

いつも、裸で本を持っているのは、、、

そう思われるのも、

気がつなかなったけれど、

大切なものを、大事に扱わない、

そんな隠れた私の姿なのかもしれません。

 

本は、私にとって、

とても大切なものの一つ、

それを、ブックカバーだけで持ち歩く、

本好きならば、

ブックカバーが本を保護する為だけでなく、

本を隠す意味もわかるはず、

 

ならば、大切な物を、

一目から隠すけれど、

雨に濡れるような扱いをする人

そんあ占いというか、

心理分析も出来てしまうかもしれません。

 


リスクをとって、何もしないこと、、

2013年06月25日 | 読書

同性愛の女性とうだつの上がらない中年男のルームシェア

始まりは、恋愛感情がないといっても、

それは、女性の立場での視線であって、

男性ならば、如何ばかりかの恋愛感情を持つものです。

そもそも、その感情がまったくないのならば、

ルームシェアを受け入れることなどありえないはずです。

自分が意識しているか、意識していないかは、別にして、

男ってそんなものだと思うのです。

 

そして、月日を重ねるうちに、

心のなかで、相手に対する恋心に気づき、大きくなっていく、

相手が自分のことをどう思っているかなんて関係なく、

男子の心の中には、自動的にそうなる仕組みがあると思うのです。

 

そして、定番の独り相撲、

何かをしないというリスクを取ることが、

二人の関係の最適な解だとわかっていても、

時に、必要のない、無計画なリスクをとって、

すべてを無にしてしまう。

まあ、男子にとって、よくわるパターンです。

なぜに、そんなことをしてしまうのか、

後になって自分でもわからない、

そのときは、それなりに勝算があって、

もう一歩違う世界に進めるはずなのですが、

後から見れば、そして、他人から見ても、

まるで、見当違いの独りよがりの行動なのです。

 

奇貨とは、とても大切なもののこと、

結局、いつだって、男子の手のひらに握りしめられたそれは、

大好きな、大切な女の子の思い出だけ、

けっして、手のひらの、肌の温もりではないのです。

何もしなければ、手のひらには何も残らないのだけど、

でも、思いでだけしか残らないのなら、

それも、粉々に砕けて、握ると痛みを感じる奇貨ならば、

なにもしないで、逝き付くところまで、

そのままの関係を続けるのも、ありかもしれない。

と、私のなかのトラウマが警報を発しています。

 

もう一歩先に進みたいと思っていても。

失いたくないのならば、

何もしないことが良いかもしれない、

松浦理英子著 新潮社刊 「奇貨」を読んで

そんなことを感じました。