家畜人ヤプーをご存知の方は多いと思います。
その変遷はこちらの
WEBを参照いただくとして、
マゾヒズムを描いた最高傑作と賞される小説です。
最近では文庫版も出版されているので、
身近なものになりましたが、私が初めてこの存在を知った時、
それを入手するのは、かなり難しかったことを覚えています。
実際、初めてその内容にふれたのは、沼正三氏の小説ではなく、
石森章太郎さんの劇画だったように思います。
最近になって、文庫化された際にさっそく買ってみたものの、
文体の故か、石森さんの劇画の印象が強かったのか、
文字を読んでそのイメージが具体化できなくて、途中で諦めてしまいました。
江川達也さんも、この小説の漫画化しています。
先だって、それを偶然発見し、パラパラとページを捲ったところ、
私にも馴染めそうな絵だったので、
棚にあった一巻と二巻を購入してみました。
二巻だけを読んだだけですので、
どんな風に、ヤプーの世界が描かれているのか、
文字で書かれていたすべてのことを、どのように絵になっているのか楽しみです。
正統派ならば、辛くとも、マゾならば、その辛さに耐えて、
原作を読むことが、要求されるかもしれませんが、
私にとっては、とても読みやすい作品で、
原作の雰囲気を江川達也という人の解釈を通して、
十分にその雰囲気が伝わってきます。
それに、石森氏の劇画や原作にあった、
白人に対する異様なまでの劣等感が、薄れていることも、
私にとっては入りやすかった理由の一つかもしれません。
原作は、雑誌「奇譚クラブ」に、1956年(昭和31年)から連載とあります。
戦後10年、人々には、進駐軍のイメージや、敗戦の心のショックも、
今の私達が想像するより、大きかったのだと思います。
それ故に、これほどまでの劣等感が、小説全体に漂っているのかもしれません。
被虐、支配、調教。それがSMの三大要素とはいえ、
過大な劣等感をSの方に対してマゾは持たなければいけないのでしょうか。
それが、マゾの本質なのでしょうか。
卑屈な劣等感や過大な劣等感とマゾヒズムは結びつかないと思っています。
文体や、画数の多い漢字ばかりなのではなく、
原作から、私を遠ざけた本当の理由は、小説のベースにある劣等感かもしれません。