妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

なぜか、涙がにじんでしまった、、、

2014年11月30日 | QOL

 

「ウフィツィ美術館展」とありますが、

「ボッティチェリ展」と、言いたいのです。

数からいえば、ほんの少しですが、

それ以外の作品が薄れてしまうくらいに、

ボッティチェリの描く女性が素晴らしいのです、


宗教画で、重苦しい気分になるかと思っていたら、

兄反して、ボッティチェリの描く女性で明るい気分になりました。

先週、印象派以降の西洋美術を歩いたあとは、

いっきにルネッサンスまでさかのぼることができる。

あらためて、東京という街の凄さを感じるのです。


で、ボッティチェリの、《パラスとケンタウロス》について、

パラスを理性、ケンタウロスを獣性/欲望の象徴と

そんな澄ました解釈をするのが本流なのですが、

homer氏がブログで語る、「女王様とM男の図」が

この作品の真の解釈で、

責め絵の原点がここにあると思うのです。

あるいは、理性の勝利を表わしたとしても、

バラスさまの胸の先端は、、、

オリーブの枝が隠そうとしていますが、

それでも、膨らんでいるように見えるのです。

フェムドムの快楽は理性すら凌駕してしまうと、

そんな風に感じたのです。

 

すべてを見終わって、出口へ向かう時、、

ちょっとだけ、、涙が、、、、、、

「バラス」さまとのお別れの意味もありますが、

ヴィーナス誕生に、春。

そして、ミケランジェロやラフェロといった

綺羅星のごとく輝くルネッサンスの名作への想いと

フィレンツエという街への憧れからです。


春ならば

2014年11月29日 | 季節

桜の頃ならば、花を愛でる人が多い場所も、

この時期は、ひっそりとしています。

とはいえ、

桜の木があることには、変わりなく、

初冬の優しい陽の下で、、

色づいた葉を残し、冬の準備の最中です。

 

桜の花びらが散る遊歩道も良いのですが、

カサカサと落葉を踏みしめて歩くのもまた、楽しいものです。

もちろん、新録の鮮やかな緑も

夏の日差しに負けない濃い緑の木陰もまた、

素敵なものです。

 

桜の花の頃と、同じ場所からの風景

 

桜の木を、ほんの春の一瞬だけ気にするなんて、

四季それぞれに、素敵な表情があるのに、

ちょうど、今年の春に写しておいた、

同じ場所からの風景です。

でも、きっと、今週の、そして今日雨で、

紅葉した葉も、海へと流れてしまっていることでしょう。

 

追記

雨が上がり午後、いつものように図書館へ

銀杏並木は見事な黄色に、

春の桜の時と同じように、

雨が色づいた葉の汚れを流し、

薄日にあたって、鮮やかな色を取り戻していました。

銀杏の葉が落ちると、

街の景色から秋の名残が消え、

冬への衣替えが終わるのです。

 


美術史のような展覧会

2014年11月23日 | QOL

ひとつの「派」とか、画家や何か「目玉」がある展覧会も、楽しいものなのですが、

この美術展は、美術史の流れを、実際の絵を見る事で学ぶことができました。

「巨匠いっき見!!」とある通り、印象派からシュルレアリスムまで、

さながら、美術史の教科書のような展来会です。

 

新印象派までは、光と色が額縁の中で溢れていたのが、

形が崩れ、色と光が無くなる。

ふと、年代を見ると、1900年あたりから、、

とりわけドイツの画家に暗さが目立ちます。

ふと歴史を思い浮かべると、第一次大戦のあたり、

絵画が宮廷を離れたことで、

時代の社会の空気に影響をうけるようになったのかと

そんな気分にさせられるのです。

 

画家達の置かれた新しい環境のなかで、

視線の先が、自然から人へ、そして、人の内側へと移っていいたのが、

印象派以降の絵画の流れなのかなと、

ならば、画面が暗くなってしまうのも、

現実の世界を絵画に落とし込む時と、

モノが混沌とか単純の両極端になるも、

自分の心のなかを考えると、仕方のないことかもしれない。

そんなことを感じたのでした。


季節は「小雪」、

2014年11月22日 | 季節

 

徒然草の十二段にある通り、

好みの合う人と出会うことなんて、

現実の世界でも、ネットでも、

そうそうあることではないけれど、

でも、SNSで流れてくる沢山のモノの中で、

「良いな」って思うものを流してくれる人や、

「良いな」って思ったものを、「好き」って言ってくれる人、

だいたい同じ人に偏ってくるのだけど、

そんな人たちと、SNSの「好き」を通して

会話をしているみたい。

 

tumblrのダッシュボードが流れているとき、

私の好きを、「好き」ってしたって表示がでると、

まさしく、「同じ心ならん人としめやかに物語して」る気持ちになる。

 

二十四節気では、今日から「小雪」

東京に雪が降るのは、もっと先の事だけど、

でも、寒さならば、

人肌の温もりが恋しくなる以上に、欲しくなるくらいに寒いから

きもちの通い合いそうな人と、過ごしたいなと思うのです。


歩く道は変わらなくても

2014年11月16日 | 季節

日々の生活、

ゴジラや巨神兵が現れることもなく、

変化のない日々が積み重なって、

週になり、月になり、そして、

また一つ齢だけが、無駄に積み重なっていく、

そして、その先は、、、、

 

変わらない日常のなかで、

日々変わって逝くのが、

自然なのかなって、思うのです。

 

葉の落ち始めた木々の根元に、

陽が当たるようになり、

木々の生い茂った奥の方まで、

陽の光が届く。

ちょっとだけくすんでいるのは、

晩秋の東京では、仕方のない事かもしれません

でも、その光が、公園の木々に当たり、

木々の色が輝きを増し、

素敵な色のコントラストを描いていました。

そう、樹木だからといって、

その色は緑だけではないのです。

 

 

図書館が移転して、

散歩のコースが変わって、、

最初は憂鬱でした、

でも、季節が一回りしてみて、

移転も悪くなかったなって、思うのです。

四季それぞれ、違う姿を見せる自然を眺め、

その公園を抜けると、

図書館へのアプローチは、

銀杏並木に挟まれ、道路の真ん中にケヤキの並木が、

背の高いケヤキが色づいているのに、

同じ高さの銀杏は、色ずく準備まで、

丈の低い木ほど、色づきが早いのが不思議。

 

次に来る時には、

黄色く色づいた木々の下を歩けるかもしれません。

 


特撮って、、、

2014年11月15日 | QOL

年に数回の出張、

久しぶりに名古屋までお出かけ、

目指すは名古屋飯。

そのつもりが、、、

 

地下鉄の広告がふと目に留まる。

そこには、巨神兵の姿が。

東京の時に、見られなかったのが、

まさか、ここに来てなんて、

思ってもみなかった。

館長 庵野秀明 特撮博物館が名古屋市科学館で。

 

特撮の映画で育った私にとって、

宝物のような展示物、

思わず手に触れたくなる。

ゴジラの足、メカゴジラ、ガメラ、

そして、ディーテールにこだわった模型。

しゃがみ込んで、目線を映画の画面と同じにして、、

舐めるように眺め、伊福部 昭のマーチが、、

確かに、3Dを駆使すれば、どんな風景も創れ、

それは、それで凄いなって、「アバター」見て思うけど。

やっぱり、特撮って、

本物と造り物の中間の、なんとも言えない味わいがある。

 

特撮だけで撮られた「巨神兵 東京に現る」は最高。

造り物の東京だけど、どこか見覚えのある東京。

その都市が、炎の海に包まれ、焼き尽くされる。

すべてが、特撮、人間の手で造られた映像。

特撮の可能性を再発見です。


仏様

2014年11月09日 | QOL

大昔のこと、卒業旅行で、欧州を、とくにイタリアを巡っていて、

ほんの二、三週間のだけなのだけど、キリスト教の絵画に浸っていると、

無性に仏さまを拝みたくなる。

神の御子さまは、迷える羊を救うために苦難の道を歩まれた、

それは分るのですが、

私を救っていただけるのは、この苦悩に満ちた方ではないと、

どちらかといえば、聖母さまの方に、、

救いを求めるとういか、落ち着くというか、

そんな気分でした。

 

そんな息苦しさを紛らわせてくれたのは、

ルネッサンスの彫像であり、ひいては

ローマ、ギリシャの彫刻。

運慶さん、快慶さんの仏像を見ながら

かの地彫像を思い出してしまいました。

作風は、違うにせよ、

快慶さん像に、力強さをと、豪快さを、

思わずそのポーズをイメージして、

体に力を入れてしまうほどです。

運慶さんの八人衆は、

優しさに満ちて、穏やかなフォルム。

微笑みと共に、眺めてしまいます。

でも、龍の足の動きは、ネコ科の獲物を狙うようで、

生き生きとしています。

 

でも、一番は、

弘法大師様の座像。

やはり、私の煩悩は、苦痛ではなく、慈愛によって

救われるのではと思うのです。

 

館内に入ると、千年以上の時を感じさせる香りが、

白檀なのでしょうか、仄かな品のある香りが、

教会のろうそくの匂いでなく、

日々のお勤めのお線香に燻された心を癒してくれるのです。

 

ただ、残念ながら、直前にカレーを食された方が、、、、、、

これも、仏様の香りだったのかしら?


今朝は一段と、、

2014年11月08日 | 季節

昨日は、立冬。

暦の上では、もう冬の始まり。

曇りの今朝は、めっきり冷え込んでいます。

 

木々の葉の色が変わりはじめ、

ゆっくりとした季節の動きが、

だんだんと冬に向かって

速度を速めているようです。

 

「わすれもの」

立冬のその日、

六本木に足を延ばして、仏様を拝みに、

思いだして、公園にまわってみると、

クリスマスのイルミネーションの準備の最中。

ふと見上げると、満月のお月さまが、、、

後の十三夜は見られなかったけれど、

ほぼ月に一度お目にかかる、

なんとかムーンでない、

いつもの満月。

西行さんの歌心も、

清少納言の感性もないけれど、

高野山の仏さまを拝観する前のお月見、

すくなくとも、お月さまを愛でる気持ちは、

兼好さんと同じくらいには、、、

「やっぱり、お月さまが好き」

 

 

 

気がつけば、霜月

2014年11月03日 | 季節

なんとなく、普通の三連休。

この秋三番目って事だけは気がついていたけれど、

もう、霜月、11月なんです。

今週の金曜日は、立冬。

暦の上では、冬になります。

そろそろ、酉の市の掲示も見かけるようになるころ。

 

通いなれた近所の散歩道、

山茶花の花がチラホラ咲いています。

道端には、落葉が、、、

銀杏の並木が金色に変わるのは、もう少し先。

でも、お疲れモードな気配です。

 

結局、我が家のバラくん達は、

今年の秋は、咲かずじまい。

メダカの繁殖もうまくいかず。

ちょっとだけ寂しさが多い、今年の秋です。