「ウフィツィ美術館展」とありますが、
「ボッティチェリ展」と、言いたいのです。
数からいえば、ほんの少しですが、
それ以外の作品が薄れてしまうくらいに、
ボッティチェリの描く女性が素晴らしいのです、
宗教画で、重苦しい気分になるかと思っていたら、
兄反して、ボッティチェリの描く女性で明るい気分になりました。
先週、印象派以降の西洋美術を歩いたあとは、
いっきにルネッサンスまでさかのぼることができる。
あらためて、東京という街の凄さを感じるのです。
で、ボッティチェリの、《パラスとケンタウロス》について、
パラスを理性、ケンタウロスを獣性/欲望の象徴と
そんな澄ました解釈をするのが本流なのですが、
homer氏がブログで語る、「女王様とM男の図」が
この作品の真の解釈で、
責め絵の原点がここにあると思うのです。
あるいは、理性の勝利を表わしたとしても、
バラスさまの胸の先端は、、、
オリーブの枝が隠そうとしていますが、
それでも、膨らんでいるように見えるのです。
フェムドムの快楽は理性すら凌駕してしまうと、
そんな風に感じたのです。
すべてを見終わって、出口へ向かう時、、
ちょっとだけ、、涙が、、、、、、
「バラス」さまとのお別れの意味もありますが、
ヴィーナス誕生に、春。
そして、ミケランジェロやラフェロといった
綺羅星のごとく輝くルネッサンスの名作への想いと
フィレンツエという街への憧れからです。