辞書の下線 2007年03月18日 | つぶやき 小学生の高学年ぐらいでしょうか、 辞書や百科事典を性的な言葉を捜した経験は、 男の子なら、誰しもが持つ経験だと思います。 最近、それが復活してしまい。 ウィキペディア(Wikipedia)にアクセスすると、 業務を忘れて、違う言葉の検索を楽しんでしまいます。 席の脇を通り過ぎる、人の目を気にしながら見る ウィキペディアは、 さながら。 教師の目を避けるように、 机の下で国語辞典を引いていたのと、 同じ気持ちです。 突然、背後に立たれる恐怖は、 学校時代と同じかもしれませんが、 それだけでなく、 何かの「きっかけ」になるかもしれない そんな邪念まであるのは、 ここだけの秘密です。 例えばこんな解説を読んで、 ドキドキ、ニヤニヤするってこと、 男の子だけのものなのでしょうか。
マゾヒズムの発明 青土社 ジョン・K・ノイズ著 2007年03月01日 | 読書 マゾヒズムの発明 青土社 ジョン・K・ノイズ著 題名に引かれて、永い間読んでみたいと思っていたこの本を、 ようやく手にすることが出来ました。 コントロールされる手段をコントロールする。 それがマゾの本質であること、 そこまでは、実感として、肌で感じていることでもあり、 活字がすんなりと頭に入って来たのですが それ以外は、活字を追うこと自体が、 ある意味SM的な行為でしたが、 残念ながら、快楽や陶酔はありませんでした。 ただ、一つの発見として、 フェミニズムの領域とマゾヒズムの学問対象が、 女性的なマゾヒズムを捕らえる時に 重複するとことがあるというところでしょうか。 でも、 受身の性とされるからといって、 マゾヒズムと簡単に結び付けてしまうって、 あまりに単純すぎるのではと思ってしまいます。 心理学とか、唯物論とか、 マゾヒズムを扱うツールとして必要なのかもしれないけど それは、単に、快楽を追求する為のツールに留めておいた方が 私にとっては、分かりやすいことなのだけれど、 それでは、哲学の進歩は無いのだろうかなとも 思ってしまいました。