妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

空想の世界

2005年10月18日 | 読書
こんな空想を思い浮かべたことはありませんでしょうか。
男性(女性)である自分が、女性(男性)の性体験を感じてみる。
映画や小説の世界では、すでにそんな体験が描かれています。
私の記憶が間違っているかもしれませんが、
ブレインストーム」(1983年公開)と言う映画の中に、
そんな場面が描かれていたように思います。
「電脳娼婦」(森奈津子著 徳間書店刊)という小説は、
まさしくそんな題材を取り上げた作品でした。

データーを保存しておく媒体を自分の脳につなぐ、
あるいは直接データーの交換をする。
他の人の経験を追体験するには、
文字をタイプし、画面に表示された映像を見る、
そういう作業が必要となりますが、
自分の脳にその情報を直接流し込むことが出来たら、
どんなにかすばらしいことだと思ってしまいます。
もう一歩、その技術を進めれば、
ヴァーチャルな世界で、実在の自分の性や性格、肉体までも超え、
なりたい自分の姿で歩き回ることが出来る。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。そのすべてがもう一つの世界で体験できる。
ブログに女の子になれないことをぼやくことなど必要ないかもしれません。

この本のタイトルとなった小説以外のこの本に載せられた小説も、
そんな夢のような世界を描いた作品です。
そして、残念ながら、今の私達には、そんなSFの世界でのみ、
そんな世界を体験すること、空想するだけが、
今の私達の出来ることのすべてですが、
きっと、何時の日にか、そんな経験が楽しめるのかもしれません。
なりたい女の子に変身して、女の子であることを楽しむ。
そして、女の子としての性の喜びを体験する、
時には、Sとしてもマゾとしても。
その時、今のチャットの板のように、様々な嗜好の板が、
沢山並行的に出来ていくことでしょう。
その時、現実と空想の区別をつけることは出来るのでしょうか。
現実の身体に刻まれた縄や鞭の痕に触れる楽しみは残るのでしょうか、
簡単に他の人の気持ちを受け取ることになると、
想い出の定義はいったいどうなるのでしょう。
自分だけの思い出とか、感情は残るのでしょうか。
情報を共有化するあまり、画一的な感情だけしか残らないのだとしたら、
あまり楽しい世界ではないかもしれません。


便利になりましたね

2005年10月13日 | つぶやき
二十年前、1985年に流行ったテレビ番組のなかで、
「金曜日の妻達」という番組がありました。
いくつかのシリーズが造られていて、
一つのシリーズの中の主題歌の中に、
「ダイヤル回して、手を止めた」
という歌詞があります。

1985年(吉崎 達彦著 新潮社刊)と言う本の中の受け売りなのですが、
たった一行の歌詞の中に、二十年の歳月を私も感じてしまいます。
携帯電話なんかありません。
友達やGFとの連絡は、普通の電話。
待ち合わせをしても、その場所に行かないと連絡が取れない。
そんな時代でした。

今は、携帯もあるし、インターネットもあり、
その中には、メッセンジャーと呼ばれるツールまであります。
距離とか、場所を越えて誰かとコミュニュケーションを取る手段は
増えてきました。

実際自分で使ってみて、
その楽しさや便利さを改めて知った私ですが、
考えてみると、
駅の待ち合わせ場所で、人待ちをしていた。
あの時に気持ち。
来てくれるのか、ドタキャンされるのか。そんな不安や、
人込み中で、待っているその人の姿を見つけたときの嬉しさ。
そんな感情って、いまも残っているのかなって思います。

刻一刻と状況を相手に伝えられる、
気持ちを遠く離れている相手に簡単に伝えることが出来る。
そんな便利なツールを捨てることは出来ないけど、
なんか、あの時の風情とうのも、懐かしい気持ちがします。

あなたは、誰ですか

2005年10月07日 | 読書
ご自身の性認知(Sexual identity)は、なにですか。
あなたの性的指向(Sexual orientation)はどちらを向いているのですが。
そんなことを考えたことがありますか。

多くの人は、肉体的な性とご自身の性への認知は同じだと思いす。
そして、性的な対象は自分とは異なった性と答える人が多いと思います。
このブログにアクセスしている人は、ちょっと違う答えが返ってくるように思います。
肉体的な性と意識の性。そして性の対象(誰を好きになるか)
それらは、個人によって様々である。それが当たり前なのだと思います。
多数決をしてみて、肉体的性を気持ちが一致し異性を愛する。
そんな人が多かっただけのことだと思います。
もちろん、生物学的な必要性の結果だというのは簡単ですが。
同時に、同じ理由で、少数派の存在も、袋小路かもしれませんが、必要なのです。
必要という意味は、ホモサピエンスという種を残す目的においてです。

社会は、残念ながら生物学的ほどには、寛大ではありません。
やっと、性的指向性の許容範囲が広がってきたとはいえ、
性認知については、病気ではないという認識が一部にあるだけです。
大多数の人は、多数派に甘んじて、自らの性について、考えることもしません。
少しでも、ジェンダーとは、自分の性認知や性的指向について目を向ければ、
もっと、社会は多様性を認め合う、自由な社会になると思うのです。
そんなきっかけのために、
そして、ご自身の性について不安のある方に勧めたいのが、
「知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門」夏目書房です。

私自身、自分の性認知、性的指向についての不安が少しだけ楽になりました。
そして、それらを再確認することができました。
性認知は、70から90%程度男の子。残りは女の子に近づきたいという願望です。
性的指向は、相手の女性性の度合いが高い方が望ましいと思っています。
あるいは、バイセクシャルな性的指向が無いと言った方が適切です。
SMという要素が、性認知、性的指向双方に強い影響があります。
こんな風に考えてみる事も、自分を見つめなおす意味で必要ではないでしょうか。
私の場合、この本が、良いきっかけになりました。

チェーンリアクション&リモートコントロール

2005年10月04日 | 読書
基本的に人間の想像力は、自らの経験を元に育まれるといいます。
つまり、何も無いところから何かを生み出す事は難しいということだそうです。
想像力が足りないということは、
経験が少ないか、経験を元に違う何かを作る力が足りないとうことなのだそうです。

小説の主人公は、過去、ある中年男性のスモールワールドに遭遇し、
そして、そこからとても多くのことを学び、そしてその全てを失いました。
この物語は、ある意味その主人公の再生のお話ともいえます。
その意味で、青春小説に近いテーマだと言えるのかもしれません。

でも、私にはそうは思えません。
明らかにこの小説は一級の官能小説であると思っています。
彼が経験してことをベースに、今度は自らがシナリオと結末を描き、
それを実行する。
支配と隷属の関係を自らの手を下さずに、
自分の意図する相手に施していく。強い意思と明確な目的を持って。
これらすべてが、彼がまさしく数年前、
彼自身の身におこり、彼の内面すべてを替えてしまった。
その経験を元に、今支配者として、彼の身近な人に隷属の喜びを与える。

主人公のストーリーを知った人のなかには、
彼のことを陰湿な人間と呼ばれるかもしれません。
精神的虐待の極致かもしれません。
苦痛を与えるサディズムの方が、まだ救われると言う人もいるでしょう。
でも、これもまた、一つのSMの形だと思います。
SMが二人の、当事者間での関係だとするならば、
この小説に描かれた関係は、SM以外のものではないはずです。

それが、サタミシュウ著、「リモート」という作品で、キーワードは、
チェーンリアクション&リモートコントロール
支配と隷属の関係
このことばが全てを物語っています。

PS
スモールワールドについて書いた後、
私の住む町の図書館でこの二冊に予約が入ったようです。
利用者番号を消した貸し出しカードを残しておきました。
はるかのスモールワールドに、チェーンリアクションはおこるのでしょうか。
ちょっと楽しみです。

メール調教

2005年10月03日 | 読書
メール調教で検索すれば、ヒットするサイトは、星の数ほどあると思います。
その中から、これはと思うプロフを探し、メールを送って、
希望するパートナーと出会える確率はどれほどのものなのでしょうか。

正直、何箇所かのサイトに登録して、試してみたものの、
いくつかのメッセージのやり取りをして、
自己紹介が終わったと思ったら、お試し期間が終了。
直アドを連絡しようとしても、入力できなかったり、
返事は同じ系列の違うサイトの宣伝。
なんて、経験をしている方の方が多いのではないでしょうか。

そんな現実が省かれるのは、小説の構成上当たり前とはいえ、
ここに描かれているようなメッセージや写真のやり取りをするには、
どのくらいの費用が必要なのか、考えてしまったのは私だけでしょうか。
そんな悲しい読者の疑問については、小説の中で少しだけ触れられてはいるのが、
ある意味この作家の作品が、現実と空想の間で漂っている
ありそうなんだけど、ありそうにない。でも、完全に無いとは言い切れない、
いつもの味わいをかもし出しています。

さすがに、フェティズムのデパートと呼ばれるだけに、
全編に散りばめられているそれぞれのフェティシズムは、
読む人に新たな夢の世界を開いてくれます。
この作品で私が秀逸だと思ったのは、最後の作品。
ピスプレイを取り上げた作品です。
偶然にも、はるかのブログでも取り上げたばかりなので、
気持ちよく読むことが出来ました。

舘淳一 「メル奴の告白」太田新書刊がこの作品です。
基本的には、スポーツ新聞での連載小説ですので、
女装好きや、彼の作品でマゾに目覚め、SMを知ったというような
ディープなファンには物足りないところはありますが、
楽しめる作品だと思います。
第三章社長秘書を読むだけでも、これが出版された価値があると思います。