妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

ちょっとびっくり

2015年06月28日 | 薔薇

日曜日、いつものように、メダカのお世話と少しの庭仕事。

卵が付いているはずの水草の桶を眺め、

孵化したメダカを子メダカの池へ移し、

親メダカの水槽から水草を移す。

子メダカの池に泳ぐ数を数えると、

去年までの少なさは、何だったのだろうと、

親メダカ、あるいは、金魚の餌と消えていたのでしょう。

今年は、真面目にメダカの世話。

 

そして、バラの花の選定などなど、

ふと見ると、バレンシアの根元から、新しいシュートが

今、花を付けている枝が、、大分年を経ているから、

どうなることやらと心配していたら、

しっかりと、新しいシュートを根元から伸ばしている。

本当に、自然は力強いものです。

新しい、命の目覚めに、ちょっと感動の日曜日です。


バラが咲き、梅の実が、、

2015年06月28日 | 薔薇

ようやく二番目の、バラの花が咲いています。

梅雨の雨に打たれると、ましてや最近の暴力的な雨の下では、

すぐに汚れてしまい、可哀相な姿になってしまうのです、

ならば、切り花にして、家の中に避難させる。

そんな手もあったのですが、、

迷っているうちに、、、

 
花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき
 
さて、その
 
さて、その雨について、
 
梅の花が咲くのは、立春のころ、

なぜこの時期に「梅」の雨と書くのかと言えば、

ちょうど、梅の実がなるころだから、

都会では、そんな季節感に乏しいので、

そんなものなのかなと、気にも留めていませんでした。

ふと、散歩の途中、こんな実が目に留まりました。

そう、これが梅の実、梅雨の由来なのです。

最初から実が成るなんて思っていないもので、

花が終われば、目にしても、素通りなのですが、

こうして、良く見てみると、都会でも、実をつけている木があるのです。

そして、もうひとつ、

種は見たことがあったのですが、

恥ずかしいことに、何の種だったのか、

50過ぎて、理科の観察に勤しむこのごろです。

程よい時期に、種を頂戴して、

庭に蒔いてみようかと、

秋に、葉が色づくまでにどのくらいかかるのは、わかりませんが。

まあ、気長に待つことにしましょう。


橘小夢という画家をご存知でしょうか

2015年06月27日 | QOL

枕草子の120段、「はずかしきもの」の最初にあげられているとおり

男の心の中は恥ずかしいものだと、思うのです。

むろん、清少納言は違う意味で書いていると思うのですが、

その最たるものは、女性に対してのふしだらな思いこむでしょうか。

 

きっと、女性の心のなかには、

なにか、とても淫らなモノが渦巻いていて、

なにかのきっかけで、それがあふれ出てくる、

そんな妄想が男子には、あります。

 

橘小夢(たちばな さゆめ)という画家をご存知でしょうか。

この展覧会で、初めて、彼の名を知り、作品を見る機会がありました。

女性の心の中にある、妖しいモノ、それを、絵にしている。

とても、艶かしい画風なのです。

着物の裾の裁き方が、どこか蛇がとぐろを巻いているような、

困ったような表情をあわせて、

女性の淫らな心を、絵に落とし込んでいます。

「花魁(おいらん)」 大正12年 絹本彩色

そして、なんとも不思議な魅力なのは、

「水魔」 昭和7年 

背中に取りついた河童とともに、

渦の流れに、引き寄せられ

水の深いところのに沈んでいく、堕ちて行く。

逝ってはいけない世界だと、分っていても、

流れと、河童の力で、、深みへと、沈んでいく。

縄を目の前にした、女性の表情とかぶって、

私好みの、とても、淫美な絵なのです。


もう、夏も半分過ぎてしまいました

2015年06月21日 | 季節

明日は、夏至。

暦の上では、夏の後半の始まり。

とはいえ、季節的には、夏はこれからが本番。

それよりも、まだまだ、梅雨のまっさかり。

日が長くなって、まだ明るうちに、退社する居心地の悪さ。

別にサボっているわけでもないし、

遅くまで会社に残ることが「善」でもないのだけど、

体に染みついた、垢のようなもの。

ようやく、その悪癖から自由になりつつある。

家に帰ってもすることが無いって、言うけど。

会社を出て、やりたいことを見つけよう。

その気持ちが大切なのだと、思うのです。


梅雨の晴れ間

2015年06月20日 | 季節

朝のうち、雲が多くて、ちょっと肌寒かったけど、

午後からは、雲も晴れて、ちょっとだけ夏の日差し。

歩いていると、首筋に当たる日差しの熱さを感じるけど、

だんだん夏が近づいていることを感じさせてくれる。

 

先々週、散歩道で写した紫陽花の花

あの日は同じ雨あがりでも、もう少ししっとりとした感じ、

こんな日は、どうなのかと思っていると、

それぞれに赤みが濃くなっているような、

とはいえ、近づいてみると、

ちょっとお疲れ気味、

時間を考えれば、もう見ごろも終わるころ、

わが身のことのようで、あまり使いたくはないのだけど、

「劣化」している。

見ていて、なにか自分のことのようで、寂しくなります。


懐かしい場所

2015年06月17日 | つぶやき

松園さんを見に行った場所は、とても、懐かしい場所。

交差点の名前は、美術館の名前に変わったけれど、

その昔は、高校の名前だったはず。

 

年に数回通り過ぎる、電車の窓から、

その町の変化は知っていて、

駅前には、もう当時の面影は残っていない、

30年も経てば、当たり前のことだけど、

それでも、どこかに面影を探してしまいます。

 

駅前から、通いなれたはずの道を、

目に入るモノすべてが新しく、

実は暗かった、十代後半の自分に想いを馳せる。

坂道を登りきって、そこから見る風景は、どこか懐かしい感じ、

ここは、昔のままだったみたい。

 

10年前とか、20年前を昔だと思っていたけど、

いまでは、それに30年前とか、40年前が加わった。

前は、30年前なんて、大昔のことで、

生まれる前の話だと思っていたけど、

もう生きていたんだと思うと、軽いショックを受ける。

 

美術館を出ると、通りの向こうに、

30年前、正確には35年前と同じように、高校生の部活の声が、

道路を横切り、道の向こう側に行くことが、なぜか、躊躇ってしまった。


入梅の頃

2015年06月14日 | 薔薇

二十四節気は、太陽の位置をベースに創られた暦です。

故に、ある程度、世界、少なくとも東アジアでは、似た動きをします。

これだけでは、日本の季節の移り変わりの節目が抜けてしまう。

そこで、加えられたのが、雑節とのこと、

節分、彼岸、八十八夜、二百十日などがあるます。

うっとおしくも、避けて通れないのが梅雨。

梅雨入りのだいたいの目安として、「入梅」があり、

それが、丁度、今週木曜日(11日)、

まさしく、多くの地域で梅雨入りとなった週でした。

 

五月の爽やかな日差しを浴びて、シュートを伸ばし、

梅雨の雨に栄養をもらって、

我が家のバラの二番目の花の花芽が付き、

ようやく、蕾が膨らみ初めています。

梅雨の晴れ間に元気よく

あるいは、雨に濡れて、しっとりと、

そんな風情の花を見るのが、

今から楽しみなこの頃です。

 

根が付くのが遅れた子も、

幹の緑には勢いがあります。

それが、根の力から来ているものだと、、

梅雨の雨、夏の日差しを恵みに、

秋には、元気になっているはずです。


清澄な感じのする香

2015年06月13日 | QOL

その画家は、

「一点の卑俗なところもなく、

清澄な感じのする香(かおり)高い珠玉のような絵こそ

私の念願とするところのものである」 

と記しています。

まさしく、その通りなのですが、

下衆な私は、彼女の描く美人画すべてから

女の「艶」を感じるのです、

それも、描かれた女性のその年齢から醸しだされる、

その時々の、女の色香を感じてしますのです。

 

 

上村松園 《砧》山種美術館

上村松園《牡丹雪》山種美術館

最初は、彼女の色使いに惹かれ、

見とれているうちに、絵から女の色香が立ち昇ってくる。

決して、「卑」なものではありません、

上品で、清く澄んだエロスが、私の心を心地よくしてくれました。


どちらが良いのでしょうか

2015年06月10日 | QOL

 

この町のことを思うたびに、思い出すのは決まってある映画のセリフ。

Remember what the fellow said, in Italy for thirty years under the Borgias

they had warfare, terror, bloodshed,

but they produced Michaelagelo - Leonard Da Vinci, and the Renaissance---

第三の男」の中、確かメリーゴーランドの中での会話に出てくるセリフです。

 

ボッツティチェリは、まさしくそのメディチ家の庇護のもと才能を開花させたのです。

フィレンッエの繁栄とルネッサンスの関係に視点を当てた展覧会が、

個人的な好みを言えば、宗教画でない方の絵が好きですし、

幼子イエスの顔が好きになれないのですが、

それでも、彼の描く女性は優しく、目を楽しませてくれます。

 

宗教的な免罪のためなのか、政治的な安定を図るためだったのか、

芸術を援助する理由は様々です。

ただ、いずれにせよ、残念ながら、

「富」のないところには、一級の芸術は生まれなく、

古今東西変わらない法則のようなものです。

いわゆる、中流階層と呼ばれる人達が勃興し、

そのなかから、さらに富を集める人が育つ、

そして、芸術が、盛んになる、

ある場所では、絵画や彫刻、別の場所では音楽。

時が下れば、その力が政治的な場面にまで広がり、

自由を、人権を求めるようになります。

お金がすべてではないけれど、

まずは、衣食住が安定して、

精神的な豊かさを求めるものなのでしょう。

 

500年後の私たちは、

遠く離れた極東の国で、あるいは直接その町に出かけて、

ルネッサンスの絵画を観賞することができるのですが、

その当時の、人々は、それを許されたのでしょうか、

住み易い世界だったようには思えません。

その結果、格差が広がり過ぎ. その反動が、

ひとつの政治的な流れを作り出すのです。

そして、それは芸術にも影響を与えたのです。

展示されている絵のなかで、突然トーンが変わる時代が、

そして、その後、この町が芸術の中心ではなくなります。

 

格差の中で、芸術を育む世界が良いのか、

格差も、進歩も無い世界か。

 

今の世界は、この先500年後、どんな風に映っているのでしょうか。


雨あがりの土曜日

2015年06月07日 | 季節

雨あがりの土曜日、いつもの散歩道。

先週気になっていた、紫陽花を見ながら。

一株一株、微妙に色が違う。

ちょうど、前日の雨が、紫陽花を元気にしてくれる。

小雨に濡れた紫陽花も素敵だけれど、

こうして、雨あがり、水を沢山もらって

お陽さまの光の下、輝くように咲く姿も素敵。

ふと、みやると、なにか白い小さな花が地面一面に、

近づいてみると、ドクダミの花。

日陰の薄暗い所で、ちょっと独特の匂いの花だけれど、

こうして、みると、なかなか可愛らしい。

 

雨の季節の始まり、

2015年06月06日 | 季節

満月なのに、節気が始まらない

二十四節気の始まりと、月の満ち欠けがずれていることに気づくこのごろです。

節気のベースは太陽の動き、公転をベースに24に区切った区分

月の動きとちょっとづつずれがでるのは、当たりまえのことなのです。

 

で、きょうは、芒種、稲や麦の種をまく頃とあります。

都会の真ん中だと、小学校の校庭の隅ぐらでしか、稲を見る事ができませんが、

きっと、早苗の緑がまぶしいころなのでしょう。

6月に入り、南の方では、梅雨入りしたと、、

そろそろ、東京も梅雨入りの気配です。

とはいえ、最近の雨は、風流というより、暴力的な降り方、

恵みの雨とはいえ、もう少しなんとかならないかと、

空を見上げることも多くなる季節です。