「
新人類」と呼ばれる世代の、それも尻尾の方に位置するからなのか、
この言葉は、いま一つ実感のない世代の括りです。
かといって、バブルの時代には、社会に出て間もないころで、
バブルの栄華など、弾けた泡の霧ぐらいには、触れることもありましたが
毎日、雑巾掛けにいそしむ毎日で、
映画「バブルへGO」で描かれた世界は、特にロッポンギは
別の東京のように感じていたものでした。
そんな私の感覚として、新人類の中に、明らかに断層があると思うのです。
東京オリンピックの記憶の有無、ちょうど昭和35年前後を境にして、
それ以前ならば、明らかに新人類と呼ぶに相応しいと思うのですが、
東京オリンピック前の高揚感を肌に感じていない世代にとって、
新人類と括られるのに、少しばかりの抵抗感があるのです。
そんな私たちの世代を、「30/60(Thirty/Sixty)」と呼びたいのです。
元号ベースでいえば、昭和30年代。西暦でいえば、1960年代。
60/40ならば、シェラデザインのマウンパのようで、
ちょっとは、おしゃれなのかもしれないのですが、
足して、100にならない数字の組み合わせは、
すべてのお祭りを、少しのタイミングで逃した
私たちの世代にとって、似つかわしい数ではないでしょうか。
POPEYEは、そんな世代のハイティーンのころに出会った雑誌で、
まさしくこの雑誌が当時の私の教科書でした。
そんな私の教科書の編集部の舞台裏を描いた作品が、
Popeye物語 椎根和著 新潮社刊 です。
私の記憶と照らし合わせてみて、
最初に手にとったのが、高校一年のときですから、
ちょうど、この雑誌に一番勢いのあった時期で、
本に紹介されているいくつかの特集は、
私の記憶の片隅に残っているもので、
ポパイ特有の紙とインクの匂いと共に。
雑誌に描かれていた世界への憧れまでもが甦りました。
POPEYEと共に過ごした時代が、
すべて楽しかったわけではありませんが、
遠かったアメリカという国への憧れを、
純粋に育んでくれたのは、この雑誌の影響だと思います。
自分の足で立ち、目で見て、様々なことを感じ、
その国に対する気持ちが変わった部分もありますが、
自分の身の回りのことだけでなく、
それを取り巻く外側の世界があること、
そして、それに興味を持つことを教えてくれました。
沢山のことをPOPEYEという雑誌の窓を通して教わり、
その多くが時代変化や私の成長と共に変わり、失われていったのですが、
ファッションの好みについては、POPEYEから進化していません。
永遠のトラッド少年、POPEYEのシティボーイでいたいのです。