妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

野良マゾの妄想

2005年09月30日 | 妄想
人の心の中には、様々な器があるといいます。
その器の中にはいろいろな物、目に見えない物が入っていて、
器には、いくつかの種類がありそうです。

例えば、幸せ。才能。性格。そして、ジェンダー、性別も入っていそうです。
ジェンダーアイテンディティーやジェンダーオリエンテーション。
そんなラベルの器があり、
その中の男の子と女の子の割合によって、
心の中の性と好きになる相手の性が決まるのではないでしょうか。
もちろん、その器の一つにSM,サディズムとマゾヒズムもあるます。

今の私の心のSMと名前のついた器の中には、
マゾの気持ちの量がエスの気持ちよりも多く入っています。
でも、それは、常に一定というわけではなく、
9対1だったり、6対4だったり、
日々刻々と変化しています。
そして、この何年間か、Sの気持ちは、半分よりもすくない割合でした。
最近、時として、その割合が少しずつ増えて来たように感じています。

こんな言い方も出来るかもしれません。

私の中のSの気持ちが育てた、私のマゾの人格。
それが、はるかです。
ところが、そのSの気持ちが、はるかに飽きてしまったようなのです。
彼女を他の信頼できるSの方へお譲りできればいいのですが、
むろん、そんなことは出来ません。
同じ、身体の中の二つの気持ちだからという理由だけでなく、
体に染み付いたマゾの喜びを洗い流したくないからです。

今の私の気持ちは、「リバ」。
男の子と女の子の両方が恋愛やセックスの対象とする人を
バイ、バイセクシャルと呼ぶのならば、
エスとエムの二つの性格を持つ、私とはるか。
リバーシブルな人に移りっています。
そんな気持ちが書く記事を集めて、
野良の「妄想」という名のホルダーを作ってみました。

そして、女の子オチンチンのある女の子のために、
二つのお話も用意してみました。
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野良マゾの戯言 - 御聖水

2005年09月26日 | SM
普通の生活で、オシッコを漏らしたり、見て頂いたり、飲んだり。
そんなことを故意にするってことは、とても恥かしいことだし、
子供にも、「そんなことするのは、赤ちゃんだけだよ。」
なんて注意をしたりするよね。

SMを楽しんでいる人の中には、はるかもその1人だけど、
そうすることがとても楽しいって感じる人って多いと思うの。
見せたり、見られたり、飲んだり、飲まされたり。
普段なら人前でしてはいけないことをさせられる、させていただく。
とっても恥かしくって、それだからその行為に陶酔してしまうの。

マゾの人が、それも皆の視線を感じながら、オシッコをしちゃつたり、
他の人の、自分の出したものでも、それを飲みたいと思う心境って、
これを読んでいる人の何人かは、その時のことを思い出して、
オシッコを出す場所に感じた視線を感じていたり、
お口の中にその味が広がっていたりして。
それとも、顔を顰めてしまった人もいるかしら。

どうしてそんなことをして、気持ち良いって思うのかしら。
そんなことをする人って、常識が無いからだからなのかな、
いいえ、常識が無いのなら、それを恥かしいって感じることなんてないわよね。
確かに、排泄の気持ちよさって、あるけれど、
それは、トイレでする時と一緒よね。
トイレの時とはまったく違う喜びなの、
そう、排泄の喜びに、背徳の陶酔がトッピングされたって感じかな。

アイスクリームのトッピングにも色々ある通り、
背徳の陶酔にもいろんな種類があるの、
純粋に、そのお味をご賞味させていただく楽しみもあるし、
見ていただくってことも楽しいの、はるかは経験したことが無いけど、
そして、どなたかの聖水や小水(こちらは、他のMの方の場合ね)
それを身体に掛けて頂いたり、直接口に出していただいたり。
それぞれに、その味わいは違うの、
でもね、共通しているのは、普通にはしないことをしているってこと、
人としての気持ちを残しながら、便器というものになったこと、そう扱われること、
それが、陶酔へと導いてくれるの。

Sの人って、どんな思いで、マゾに御聖水を授けるのかしら。
あくまでも、はるかの想像だけど、
Sの人にとって、その瞬間のマゾのことを、本当に便器だと思っているわ。
それ以外の何物でもないはず。
ただ、少しだけ人間の形をして、意思を持つ便器だということは、
心の片隅にはあるかもしれないけど、トイレの便器と同じ。
Sの人って、どんな思いで、オシッコをすることみるのかしら。
きっと人が小水をするのではんく、ただの水道の蛇口と同じ、
匂いがあるけれど、蛇口を捻れば止まるし、限りはあるけれど、水が出る。
ただそれだけ、ちょっと違うのは、蛇口が勝手に恥かしいと感じていること、
蛇口なのだから、そんなこと感じるはずないのにね。

便器なのは、蛇口なのかはともかく、ただの生活の中の道具でしかないの。
Sの方にとっては、なんら普段の生活と変わりがないの。
でも、人という意識を持った便器や蛇口にとっては、もちろんマゾのことだけど、
それは、とても美味しいもの、陶酔へ導いてくれるのなの。
試してみたいと思わない。
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SMとは嗜好ではなく関係性の問題

2005年09月25日 | 読書
借りてきた本の裏表紙にファンエーションの粉が残っていました。
はるかよりも前に借りた、見知らぬ誰かが残したものなのかと思うと、
ふとそれを指で掬ってみたくなります。

「スモールワールド」 サタミシュウ著 角川書店発行の本です。
ベストセラーを連発し何作もの小説を発表している作者とだけ記されていましす。

心引かれる女性に出会った時、
その女性の存在そのものが、調教の成果であったことを知り、
彼女の心の変化とその過程、
彼女を調教した男の気持ちが書き綴られていきます。

調教されていく女の心情。
そんな女の気持ちを自分に振る向かせようとする男。
それ以上に彼女に心を奪われていく男。
そして、彼女が服従を誓った男との出会い。
その男による調教と、その結果。

「奴隷というものは自由を奪われるということではない。
隷属ということは、他のものに対して寛容になるということなのだよ。」
一つの小説の中のそこここに散りばめられた言葉が、
はるかの心に響いてきました。

マゾとして、こんな主に調教されたい。
きっと、少し前の私なら、そう思ったのでしょう。
もちろん、そんな気持ちもあります。
でも今は、少し違います。
もし出来るのなら、Sとして、調教する主として、
スモールワールドを作ってみたい。
そんな風に思っています。

それは、この小説を読んだからではなく、
もっと違うところ、
はるかではない時の私の生活の変化によるものかもしれません。
そんな時、この小説に出会ったことは、
何か特別なものを感じてしまいます。
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イソフラボン誘導体 - 十二週目

2005年09月24日 | バストアップ
三連休が二回もある一週間、
一日中の会議とその後の接待ディナー。
そんな不摂生な生活をしなければならないほど、
あまりに忙しかったので、
サプリメントすら取れない一週間でした。


それでも、アンダーバストは89を維持し、トップバストは98.5.
サイズ的には変化はありませんが、
マッサージのときに目にする形と手触りは、
以前とは違っています。
確かに、丸みが出てきたかもしれません。

それに、乳首が感じやすくなっています。
直接的に性的に興奮するというのではなく、
なんだか、ホンワカと気持ちよくなるといった感じです。
強く抓るというより、ずっと、このまま、そこを愛撫していたい、
なんだか、自然にゆっくりと高まって行きそうな感じがします。
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「雨ニモマケズ」

2005年09月23日 | つぶやき

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい

宮沢賢治「雨ニモマケズ」


確かに私は、中途半端な女装マゾかもしれません。
女装といっても、ほとんど下着女装ばかりですし、
せっかく、お化粧を教えていただいても、
一晩寝れば忘れてしまう。

ハッテン場には、女の子ではなく、男の子として出没する。
女装マゾなんて自分のことを呼ぶのは、
他の女装さん達にとって迷惑なことかもしれません。

でもね、出来る事、出来ない事。失いたくないもの、
みんなそれぞれ違うと思うの、
だから、はるかにとって大切なこと、失いたくないもの、
それらをみんな守りながら、出来る範囲で、
女の子に近づきたいの、
マゾとして、Sの方に喜んでいただければ、
それは、とっても幸せなことなの。

でくの坊と呼ばれても、
ただオロオロと歩き回るだけの人生かもしれないけど、
誉められることなんか、無いと思うけど、
宮沢賢治の詩のような生き方が出来ればって思っているの。

また、中途半端な女の子だっていわれそうだけど、
でも、分ってくれる人はきっといると信じているの。

このブログに遊びに来て、
はるかのぼやきを読んでくれて、
何か感じてくれた人皆に感謝してます。
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イソフラボン誘導体 - 十一週目

2005年09月17日 | バストアップ
毎日サプリメントを服用しています。

はるかは、本物の女の子ではないから、
そうしなければならないからです。

本当ならば、ある時期は服用しないにと、
注意書きには書いてありますが、
女の子で無いから、毎日それを飲み続けています。

身体の調子が悪くなった訳ではないのですが、
この三連休、サプリメントを止めてみようと思っています。
その代わり
ジェルを使ったバストマッサージを何回か繰り返しいます。

少しだけ張りが出てきたバストに、
とても愛おしと思っています。
そして、ちょっとだけ、敏感になってきたかな、
そんな感じも、愛おしさを増している理由です。
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女の子に近づくってことは - 夢をあきらめないで

2005年09月14日 | 女装
男の子の私達が、女の子の服を身につけるようになったのは、何故でしょう。
女の子の服を着ることの意味ってなんでしょう。

ある人は、
心が感じている性に合わせるために、女の子の服を着るのかもしれません。

または、
男の子に愛される為に、彼らが好きな性の服を着るようになった人もいます。

そして、
女の子のことが大好きで、そんな姿に憧れて、真似をしたくなったのかも。

ひょっとして、
女装をする恥かしさを心地良いと思ってしまったから。
性別までも、主様や女王様に支配されてしまったから。

きっと、女の子に近づきたい、女の子になりたいと思っている人の数だけ、
きっかけと、その意味があると思います。

でも、男の子として生まれてしまった、私達が、
全ての生活を、
あるいは、
生活の一部分だけでも、
女の子として、女の子の服を着て過ごすことには、
様々な難しさがありそうです。

内面はどうあれ、人は、世間は、その外面だけで判断し、
「オカマ」とか、
「変態」と呼びます。

その言葉を口にした人との関係によっては、
それを心地よい、性的な快楽に結びつける場合もありますが、
多くの場合、そのことが、
女の子として生活する、
お化粧をして、女の子の服を着る。
そのささやかな楽しみさえ奪ってしまいます。

不思議なもので、
ある日突然、それが叶う日が、環境が実現するかもしれません。
中傷や誹謗はあるものの、
気持ちの中の性としての女の子として暮らす、
好きな時に、自由に、あたかも、
シャツやネクタイを替えるのと同じように、
女の子の服を着て、外出する。
そんな夢が目の前に与えられた時、
人はどんな反応をするのでしょうか。

ある人は、女装自体を止めてしまうかもしれません、
だって、恥かしさが無くなるのですから、
でも、もしそんな夢が叶ったのなら、
心の思うままに、その夢を叶えてみて欲しいなって思います。

簡単な結論を出せることではありません、
今の生活を全て捨て去ることになるかもしれません、
もし、夢が叶うのなら、
それが、諦めていた夢なら尚更のこと、
違い世界に、飛び移ってみてもいいのと思うときもあります。

でも、それが出来ない。そうしない。
様々な理由をつけて、自らを夢から遠ざける。
それが、普通の反応なのかもしれません。
そして、私は、その典型です。
齢を重ねるにつれ、
その言い訳を考える技術だけは上手くなってしまったようです。
そして、
後悔しない素振りを見せることも。

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野良マゾの戯言 - 癒しとしてのSM

2005年09月11日 | SM
私にとって、マゾの私にとって、SMは私の心を癒してくれる手段です。
SMが愛情表現の一つであり、愛がなければSMという関係は存在しない。
そんな夢をみたこともありましたが。
マゾに目覚めてから、ずっと野良マゾとして生きてきた私にとって、
愛がベースにある、主とマゾの関係はすばらしいものだと思いますが、
それが、絶対に必要だとは思わなくなっています。

「ひとかけら」の愛を持っていなくとも、
私をマゾとして扱っていただき、そのことを楽しんでいただけるのなら、
私は何時だってその方の前ではマゾとしての喜びを感じます。
それは、肉体的な喜びはもちろん、
その方に必要とされているという、自己満足かもしれません。
でも、そのことが、はるかの心を癒してくれるのです。
次の瞬間は分らなくても、いまここに、私の存在が認められているという意味で。

自分を必要とする誰かがいる、そんな関係を愛と呼ぶのかもしれません。
でも、こんな状況の時、そこには愛があると言えるのでしょうか。
例えば、
見ず知らずの人の前で辱められ、責められている場で、
私はとても幸せな陶酔に浸ることがあります。
それは、責めている方が私をオモチャにして楽しんでいるという気持ち。
観衆の皆さんからの蔑む視線または憧れの視線。
マゾとして、皆様が楽しんでいるという空気は肌で感じることで、
マゾの喜びを感じているから、とても心が癒されるのです。

下着女装マゾの私にとって、単にブラを身に付けただけであっても、
抱きしめられている気分です。
ましてや、縄で緊縛されてしまった日には、
ロウの熱い雫の一つ一つが、鞭の一振りが与えてくれる痛みと赤く残る痕が、
私の心を癒してくれます。
マゾにとってのSMが癒しだなど言ってしまうのは、
野良マゾの遠吠えかもしれません。
でも、そうされることで、心が落ち着くことも、私にとっては事実です。
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『官能の淫髄~館淳一の秘巻7編』

2005年09月09日 | 読書
官能小説っていうと、人によって、特に女性にとっては、
手にする機会が少ないかもしれません。
マドンナメイトやフランス書院。
それぞれすばらしい作品が多くありますが、
私にとっては、とても素敵だと思われるものであっても、
表紙の挿絵は、限りなくセクシャルハラスメントに近いものがあり、
ブックカバー無しで、人前で読むことはさすがの私でも出来ません。
丁度、レンタルビデオ店でAVを借りる時と同じといえば分っていただけるでしょうか。
もしくは、女の子にとっての、レディコミを買う時と同じか、それ以上です。
そういった、マイナーな作家の小説が、大手の出版社から刊行されるようになりました。

そんななか、河出i文庫から、「館淳一の秘巻7篇」という本が出版されました。
館淳一という人は、女装の楽しさを教えてくれた作家で、
この本は、彼の作品のエッセンスが詰まった短編を選び掲載されています。
残念ながら、女装それ自体を取り上げた作品が選ばれてはいないのですが。
少年の女の人の下着への気持ちに触れた場面もあり。
彼の作品への入り口として、入り易い作品ばかりを集めていると思います。
舘ワールドを体験していないのならば、一度手にとってみてください。
ちょっと、表紙は際どいのですが、
この本を手にとって、レジに出す恥かしさを克服する勇気は、
それぞれの小説の楽しさで十分に報われるはずです。




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イソフラボン誘導体 - 十週目

2005年09月09日 | バストアップ
バストアップ用のジェルの効果は、
サプリメント以上のものがありそうです。
ジェルを塗った後、バストの膨らみが増したように思えること。
そして、その説明書きにもある通り、無駄毛の生える力が抑えられている。
すべて私個人の感想ですが、そんな感想を持っています。
カプセルは、引き続き毎日一錠。タブレットは気が向いた時、
そんなペースでゆっくりと、焦ることなく続けています。

心配している男性機能の低下については、
確かに、睾丸が以前よりも小さくなったかもしれません。
それが大きくなることも少なくなったとは思いますが、
一応、自慰をすれば、勃起もしますし、射精まで可能です。
官能小説を読めば、先走りのお汁も分泌されます。

とりあえずは、3ヶ月近く経過して、
はるかが望んでいるような体型、
正常な男性機能を持ち、女の子の胸とBODYラインの身体。
ゆっくりとではありますが、近づいているようです。
体重をもう2から3キロ、最終的には、あと5キロ、落したいと思っています。
こちらの方は、もっとゆっくりと時間をかけるつもりです。
それは、男の子の私にとっても必要なことです。

体重が少し増えてしまってアンダーバストが90の大台に、
トップバストは、98と99の間ぐらいです。
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イソフラボン誘導体 - 九週目

2005年09月05日 | バストアップ
少しだけ体重が戻ってしまっています。
といっても、前の目標だった体重に戻っただけで、
幸いながらそれを超えてはいないのですが。
これから、秋に向けて、気をつけなければなりません。

現代に生きる私達でも、自然の変化、特に四季の移り変わりは、
体重に大きな影響を与えます。
冬を前に、寒さと食べ物が無くなる季節に向けて、
人間の体内時計はその準備を始めます。
それに、秋は実りの秋とも呼ばれ、食べ物が美味しくなる季節で、
それでなくても、食が進んでしまう時期です。
女の子の身体に近づける為のサプリメントを飲んでいる私にとって、
体重が増えることには注意を払いすぎることはありません。
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Quality of Life

2005年09月01日 | 読書
生活の質を高めること、すべての人に与えられた権利であると思います
だた、それが現実のものかどうかとなると、かなり難しいものがあります。

例えば、下着女装者が、Braやキャミソールを着ること、
スカートを穿き、髪の毛を長くし、女の子として生活することが、
女性のパンツルックと同じように扱われること。
はたまた、
同じ性の人を好きになる事が、同じ姓の女の子と浮気をすると似ている、
恋愛対象が同性であっても、異性愛と同じものと扱われること、等など。

考えてみると、それは、全世界の人間の数だけ、その違いがあることを知ります。
それに、ある人のQOLを高めることが、別の人のそれを下げることもあります。
異性装を嗜まない人にも、容姿の醜悪があるように、
女装者の醜悪についても、それと同じように接するような世界が、
異性装ということについての、すべての人のQOLを高めることになると思います。

異性装であれ、同性愛者であれ、少数派に属する性的嗜好を持っていても、
健常者であれば、自分の力で、出来る事から、少しでもそれを高めることが出来ます。
一方、障害を持つ方にとって、身体的、精神的な制約が少なからずあります。
その人たちのQOLをどのように高めていくのか、
SMや女装という、世間からは白い目で見られがちな志向をもっているからこそ、
彼らの問題を自分のこととして考え易いのではと思っています。
同じ少数者と言う立場から、積極的に考えてみる必要があるのではないでしょうか。

「セックスボランティア」河合香織著 新潮社刊には、障害を持った方のQOL、
その中でも、性生活におけるQOLについての本です。
障害者には性欲が存在しない、あるいは持つことは許されない。そんな偏見もあります。
セックスボランティアは障害者の性を介在させて商売をする、障害者を食い物にする。
そんな発言をする人もいるそうです。
異性に近づきたい、肌を触れ合わせたい、抱き合いたい、もっと深い関係を気づきたい、そして、セックスをしたい。そんな感情を持ちことは当たり前のことで、
そういった、欲望の解消の為に生活費の一部を蓄える。もしお金で買える機会があれば。
私達の周りにいる、障害の無い人と同じです。

手が不自由であるから、マスターベーションが出来ないのなら、
その方法を共に考える、その人が必要とするならば、その介助をする。
食事をしたり、服を着替えたり、入浴したり、日常生活の補助と同じだと思います。

翻って、私に何か出来るのでしょうか。
縛ってあげたいと自らのブログのコメントに書き込みがあって、
縛って欲しいとブログに書いたとしても、
その次の行動を起こせない私にとって、
この話もまた、考えているだけなのでしょうか。

細く、急な階段の先にある秘密の場所に出かけた時、
その階段の前で、困っている人がいれば、
助けてあげたい。
障害者の方ならば、背負って階段を登るくらいの介助や、
健常者でも、女装やSMのお店に足を踏み入れるを不安に思っているのなら、
人生の全てが変わるわけではないことを話すことぐらいなら、
私にも出来るかもしれない。
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