妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

勇気があれば、

2005年06月27日 | つぶやき
ライムライトという映画で、
「薔薇は、薔薇であろうとして、岩は岩であろうとして、一生懸命に生きている。
人生の中で大切なものは、勇気と愛と少しばかりのお金だ。」
チャップリンが、失意に沈んだ若きプリマドンナを勇気つける台詞がありました。
先週、私は、女の子に近づく事は、想像しているほど難しいことではない。と書きました。
そして、その第一歩を踏む出す勇気さえあれば、後は自然に女の子へと近づいていける。
ただ、その勇気が私にとっても、大きな悩みになっています。

出来ることならば、女の子に変身した女の子として、精一杯女の子になりたい。
マゾとして、すべてを投げ打って、思っているとおり、女王様か主様にお仕えしたい。
私と同じように願いを持つマゾの方の気持ちを受け止め、マゾの幸せを分かち合いたい。
そんな気持ちが、森の中に清廉な泉のように沸々と湧いてきます。
でも、私には、気持ちがあっても、他の誰よりもそれを願っているのに、
ただ一つだけ、勇気がありません。

ネットを渡り歩いていて、いくつかのSの方のサイトを発見しました。
心から共感でき、この方ならば、と心のセンサーが大きな音を鳴らしています。
同時に、この方へと歩み寄れない理由ばかりが、私の頭の中に浮かび、漂い、その音をかき消しています。
そして、日記や文章を読んで、そこに描かれている出来事に自分を投影して、
自分を慰めることで、満足している。ただ、それだけが、いつもの私がすることです。
メールの一つもBBSへのメッセージも残す事すらありません。
始める前から、出来ない理由、実現しない言い訳ばかりが思うついてしまいます。

勇気が欲しい。
何処に行けば、誰にお願いすれば、願いを叶えていただけるかに気が付いているのに。
その一歩が踏み出せない。
誰かが力を貸してくれるなんて、思っていないくせに、それを待っている。
奇特な方がいて、はるかに手を差し伸べていただいたことも数知れないのに、
何時だって、その手を振り解いてしまう。
自分が本当にしたいと思っていることをする為の、勇気が。
臆病者から、卒業する為の勇気が。

変態、女装マゾとしての私

2005年06月16日 | つぶやき
自分の書き残した文章を読み返してみて、その「品」が無くなっていることに愕然としています。
私がサイトを立ち上げた理由は、はるかの薄汚れた欲望の捌け口ではなかったはずです。

自分の気持ちを正直に書き記すとなると、どうしても、性的な話、特に性欲とその楽しさにテーマが偏ってしまうのは事実です。
それだけに、格調高い文章とまではいかなくても、マゾとしての矜持は保とうと心しているはずでした。
残念ながら、そして、ブログの読者の方には申し訳ないことに、最近の文章は、マゾとしての矜持はおろか、
エゴマゾの独り言になってしまったり、個人の楽しみを、書き連ねているうちに、羞恥心を無くしてしまったりしています。

女王様のオモチャにしていただきたいと願っているのならば、
はるかの全てを、その存在までも、女王様に奉げる準備があると公言していても、
はるかの文章を読み直してみると、そんな気持ちは微塵もありません。単に、自らの楽しみだけのために、ブログを更新している。
そんな気持ちさえします。自分の恥かしいことを公言することは、マゾのはるかにとって喜びであることには違いませんが、
ただそれだけの文章であり、私のブログを訪れていただいた方の役に立ったり、共感を得るたりするようなものではありませんでした。
自分の恥かしいことを、単に露出している、ただのエロマゾのブログになってしまっています。

だからといって、堅苦しい文章にするつもりもありません、
心のなかでは、何か特別なエッセイストのような内容と文章にしたいと思っていますが、
基本は、SMや女装を楽しむ人の中には、こんな楽しみ方、想いを持っている人もいることを知っていただきたくて、
始めたのが、WEBであり、このブログであったはずです。女装にしろ、SMにしろ、個人の嗜好が色濃く反映されるので、
それぞれに楽しいと感じる「ツボ」が違うはずです、1人のマゾとして、ペニスを持つ女の子として、はるかのツボを伝えることで、
他の方の何か役の立ちたい、こんな些細なことを大切に思っている、こんな風に感じてしまう人もいることを知らせることで、
自分の志向に不安を持っている人の心を癒したい。それが、私の意図でした。

もう一度、初心に戻って、例え淫らな、変態的な話の内容でも、貧することなく、マゾとしての矜持を保ちながら、
書き綴っていきたいと思っています。




閑話休題 - 名大関

2005年06月03日 | つぶやき
取り組みが記憶に残っている力士といえば、貴ノ花、北の海、輪島の時代まで遡ります。
付け加えるなら、その時代が一番熱心に大相撲を見た時代になります。
小錦、北尾、保志、同世代ということもあって、少しだけ関心を持ちました。
確か花のサンパチと呼ばれた時代だったと思います。

現役の時、土俵の上で勝ち誇ったように負けた力士を見下ろしていた北の海を
今でも、最強の力士だと思っている私にとって、
小さな身体で、真正面から彼に向って行き、強靭な足腰で、北の海すら投げ飛ばした
その力士の名前を忘れることは無いと思います。
息子二人と1人の弟子を横綱にまで育てたことよりも、
沢山の強い力士に囲まれ、小さい身体で奮闘したことの方が、私には強い印象があります。

九六大関(九勝六敗)と呼ばれることもありましたが、
彼ほど、偉大な大関として、時に横綱以上の人気と賞賛を集めた力士はいないと思います。

故二子山親方に最後の別れ 北の湖理事長らが参列 (共同通信) - goo ニュース

閑話休題 - 喫煙について(機内とアメリカ)

2005年06月02日 | つぶやき
アメリカ行きの飛行機の場合、ライターの持込は、機内はもちろんのこと、
預ける荷物の中においてまでも禁止されていることは、ご存知の方も多いと思います。
さて、使い捨てライターのような、金属部分が少ないライターについて、
実際のところ、セキュリティーポイントでNGとなる可能性は高いのでしょうか。
個人的なイメージとしては、数枚の硬貨、Brasのワイヤーと同様、
セキュリティーチェックで確認される可能性は低いと思います。
ただし、運悪く、経験的に言って、5人に1人の割合で、対象となる
BODYCHECKを受けた場合、硬貨やBrasnのワイヤーと同じではありません。
年の為に、マッチを持参することをお勧めしますが、
成田の喫煙室、到着時の喫煙場所に行けば、放置されたライターを見つけることは可能です。

アメリカ到着時の喫煙場所についてですが、残念ながら、非常に限られています。
日本からの直行便が到着する飛行場において、それを発見することは困難ですが、
各航空会社のラウンジ内に設置されていることが多いようです。
例えば、デトロイトの場合、日本からビジネスクラスで到着した乗客なら、
ラウンジを使うことが可能ですので、入国審査後、通路を直進し、
ターミナルAのコンコースとぶつかる場所の右側にラウンジの入り口があります。

ただ、南部の場合、比較的喫煙場所は、ターミナル内に数箇所あります。
コーヒー(2ドルで飲み放題)やアルコールが飲める場所の幾つかには、灰皿があり、
飲み物代を払えば、間違えなく、搭乗前の最後の一服を楽しむことが出来ます。
飲まなくても、黙認される場合も多いようです。

日本人を多くみかける、NY州やCA州、それに北東部の大都市において、
喫煙者は、ほとんどその権利を抹殺されています。少数者への配慮など皆無です。
一方、タバコ産業が地域経済を支えている州において、特に南部ですが。
こちらでは、少数派としての喫煙者への差別が比較的少ないと思います。
同じチェーンのレストランでも、喫煙席と禁煙席の好みを尋ねられることも多くあります。

北東部の大都市の場合、建物内部が禁煙ですが、正面玄関以外の出入り口には灰皿があります。
したがって、東京の千代田区よりも、喫煙場所を探すのは苦にならないかもしれません。
東京丸の内とNYCのパークエヴェニューでは、前者の方が喫煙者を邪険に扱っています。