妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

青が散る

2008年04月30日 | つぶやき
昨日は昭和の日
やっぱり晴れましたね。
不思議と、4月29日、5月5日、10月10日って
晴れる日が多いような気がします。

昭和の日にちなんだわけではないけれど。
80年代のアイドルについての日記を書いていて、
赤いスイートピーを聴いていると
どうしても、あと二曲、聖子ちゃんの曲を聴きたくなってしまうのです。
それが、瞳はダイヤモンド/蒼いフォトグラフなのです。
この三曲が一番好きな曲かな。

蒼いフォトグラフといえば、
宮本輝原作の「青が散る」
放映当時はとてもとてもマイナーな番組で
実は私も見ていないのですが、
出演されている俳優さんを見ると
これがなかなか捨てがたいドラマなんですよね。
こんな、ファンクラブもあるのです。

ドラマは見る機会が少ないのですが、
原作の「青が散る」は、絶対お勧めです。
特に、今年大学に入った方には、是非読んでみてください。
20年前の物語とはいえ、色あせていないはずです。
ドラマの主題歌が蒼いフォトグラフでした。

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一歩前進 - 性転換

2008年04月20日 | 読書
作者の想像によって作り出された作品がフィクション。
事実を元に、書き上げられた作品がノンフィクションとされます。
性転換 古川智映子著 角川学芸出版
まさしくこの中間、つまり、作者の綿密な取材を元に、
ノンフィクションではなく、物語として書かれた小説で、
FTMの主人公が、心と同じ性の身体を得るまでのお話で、
彼の心の揺れ動く様、そして、同じ悩みを持つMFTの女性との繋がり
振り回され、悩みながらも、彼と彼女を支える家族。
そして、彼の悩みに親身になって立ち向かう医師達。
それぞれの人々が、それぞれの立場で、
どのように肉体と精神の性の違いに悩む人に接し
その悩みを解決するために力を尽くしたのか。
小説の中で、とても深く掘り下げられ、
時に、ノンフィクションの本を読んでいるような
そんな臨場感は、著者の取材の深さの賜物です。
意識と身体の性の違いに悩む人にだけ焦点を当てたのではなく、
この問題のもう一人の当事者である医師達の悩み。
その悩みを正面から捕らえ、真摯に立ち向かう彼らの姿を描くことも、
この本の、価値を高めています。

朝日新聞4月8日の記事によれば、
心と体の性が一致しない人が戸籍上の性別を変えられる
「性同一性障害特例法」をめぐり、
与党は、子どもがいる場合は性別を変更できない
「子なし要件」を緩和する改正案を参院に提出する方針を決めた。
子どもが成人したのを条件に「女性の父」「男性の母」が認められることになる。

民主党も同様の検討をしており、与野党間の調整がつけば、
今国会中に超党派の議員立法で改正される見通しだ。

読売新聞(4月6日)でも同じように報じられていました。

性同一障害特例法の「子無し」用件の見直しが検討されていて、
条件付ながらも性別の変更が可能になるかもしれないとんことです。
実態を考えれば、理想にはまだまだ遠いかもしれませんが、
そんな小さなもう一歩を踏み出すこのときに、
初めての性転換手術に立ち戻ることも、
この問題を考える上で必要なことではないでしょうか。

追記 - 1
個人的な意見で、何回か取り上げたことなのですが、
性同一障害」と言う言葉に私自身違和感があるので、
私の日記において、あえて、
「自分の肉体の性と精神の性の不一致」としています。
Disorderという言葉には、病気とか障害という意味も含まれますが、
一般的な「Order」どおりではない、そんな意味での「Dis-」という接頭し

心の性と身体の性のズレ、
それを、病気の症状とすることも、医学的にはあるのかもしれませんが。
個人的に、病気とか障害として扱いたくない気持ちがあるので、
出来るだけこの言葉を使わないようにしております。

追記-2
あわせて、GIDに関して、知識を深めるために


望んだ世界なのでしょうか

2008年04月18日 | 読書
ニッケル・アンド・ダイムド-アメリカ下流社会の現実 (東洋経済新報社刊)
捨てられるホワイトカラー-格差社会アメリカで仕事を探すということ(東洋経済新報社刊)
両方ともに、バーバラ・エーレンライクの著作で、
アメリカの社会、特に労働環境についての報告です。

最初の本は、いわゆる労働者階級の人々の生活について、
どのように生活の糧を得て、日々の生活過ごしているのか、
実際に彼女自身がその中で働き、生活したときの報告で、
もう一つの本は、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる人達が、
職を失い、再就職先を見つけるまでに報告になり、
前職と同じようなポジションと収入を得ることは稀で、
結局は、求職中のまま、長い時間を過ごし、
少しずつ、中流階級から離れている。
そんな実態を描いています。

そして、
「ワーキングプア」NHKスペシャル取材班編(ポプラ社刊)
バーバラ・エーレンライクが描いたアメリカの社会と
同じ現実が日本にもあることを報道した番組の
その製作者達がまとめた本です。
農村が疲弊し、若い子達の職が無い。
一生懸命働いて来た年配の人や、
不運にも、体が丈夫でない人が満足な生活できない。
これが、私達の、私の望んだ社会なのでしょうか。

24時間働けますかというCMがありましたが、
文字通り、24時間、精一杯働いても、生活が維持できない、
何十年も働いて、ちょっとした不運の巡り会わせで、
夢見ていた老後が霧散してしまう、
日々のご飯にさえ事欠く生活を過ごさなければならない。
そんな人々が大勢いる社会を、活力のあると呼べるのでしょうか。

衣食足りて礼節を知ると言います。
自分を認めてもらうとか、心の性で生きたいと思っても、
まずは、三食のご飯と、寒さをしのげる服、そして家。
それらをきちんと確保されていて初めて、
自分らしさが実現できるのであり、
心と向き合えることが出来るのです。
最小限の衣食住を保障する機会を提供する社会
氏素性や、育った環境にかかわらず、
何かに挑戦することの出来る社会でもであって欲しいのです。

「がんばった人に、それに見合う報酬を」
とてもわかりやすいキャッチフレーズですが、
がんばっても、報われないことの方が多い世の中。
格差だけが広がり、食べるためだけに、働く生活しか
人生の選択肢がないような社会を、
私たちは、本当に望んでいたのでしょうか。

自分の力で働き。人さまの迷惑にならず、
安全な食べ物を口にして、健康に暮らす。
紙の上のジェンダーではなく、
耳の間のジェンダーと、足の間のセックスに従い、
ボロかもしれないけど、ジェンダーにとらわれず、
人を不快にしない程度に、好みの服を着て過ごす。
こんな生活って、贅沢なんでしょうか。

堕ちたい私。

2008年04月08日 | 読書
何もかも捨て、性的な快楽に耽溺するだけの生活、
私のすべてを、Sの方に捧げる生活。
そんな人生に憧れてはいても、
今の生活を捨てることなど、
とてもとても、出来そうにありません。
出来ることといえば、
日常を忘れる場所に出かけるか、
小説を読んだり、ビデオを見たり
そんなことぐらいです。

なにも変わりのない、平凡な日々、
夢も希望も、そして小さな幸せも感じている毎日。
今まで続いていた生活が、この先も続いていくと
そして、いまよりも幸せになるかもしれない。
そう思う主人公に、思いもよらぬ出来事がおこり、
過去の自分との断絶が生まれる。
現実にはありえない出来事が、起こり。
性的な快楽に耽溺するだけの生活へと
主人公を追い詰めていく。
自分の心のなかに秘めていた、
けっして、口にすることのない、淫らな妄想が、
手にした文庫の活字となって、表現され、
頭のなかに、その画像が鮮やかに映し出されるのです。

読書の楽しみは、現実の世界から離れ、
訪れたことの無い土地、生きることが出来ない時間
すべてを超越し、ドラえもんのドコデモドアのように
読者を様々な体験に導くことだといいます。
官能小説を読むことは、変哲の無い日常から逸脱し、
秘めた、淫らな欲望を脳のなかで疑似体験することなのですから、
まさに、読書の楽しみの真髄かもしれません。

読書には向いていない、木の芽時の春、
気持ちが揺れるこの季節に、
女として、生まれ変わり、
淫らな感情に目覚め、それに流されてしまう。
そんな追体験をしてみたいと思いませんか。
松崎詩織著、「双子の姉」(幻冬舎アウトロー文庫)は
そんな体験をさせてくれる本です。
どこにでもいる、普通の女性が、
淫らな性に目覚めさせられたことを、災厄と思った彼女達が。
それを受け入れ、幸せと感じるようになっていく。
女になれない私が、憧れている世界が綴られています。



姉と妹

2008年04月07日 | つぶやき
忘れかけていた気持ち、
古臭い言い方をすれば、恋心なんて言ってもみたい
そんな気もします。
でも、やはり、すべてのことを考えて、
心が繋がっているという意味で、
姉と妹と呼んでみたいのです。

はるかにとっての安心できるお姉さま。
そして、
はるかにとっての、可愛い妹。
そんな女性、二人との出会いがありました。
その二人の女性への気持ちを印すのに、
妹が姉に、姉が妹に送る手紙、
そんな体裁を繕おうとしましたが、
結局、恋文にしか過ぎないものと、
なってしまいました。
それを、皆さんの目に触れる日記に転載してもいいのか、
ちょっと、心苦しさが残ります。

二兎を追う者は、一兎をも得ず
そんな言葉もありますが、
また、追わなければ、何も得ないことも事実です。
お姉さまと妹が、
それぞれに宛てたメッセージを見て
なにかを感じてくれることを、
ただ、祈ることぐらいです。

年年歳歳

2008年04月05日 | つぶやき
年年歳歳花相似        年年歳歳花あい似たり
歳歳年年人不同        歳歳年年人同じからず
中国初唐の詩人劉廷芝(りゅうていし)詩
「代悲白頭翁」の一節です。
毎年、この桜の花が咲く時期になると、
ふと心に過ぎる一節です、

気晴らしに、
私の身の回りの桜の花、そして春の花の写真を載せてみました。
見苦しい写真ばかりの日記の中、
皆さんの心が少しでも和めばと思っております。
今年の桜を思いながら。
劉廷芝の詩と合わせてお楽しみ下さい。



心地よい筋肉痛

2008年04月04日 | つぶやき
「小股の切れ上がった、」という表現があります。
ご存知の通り諸説ある言葉で、
辞書的にいえば、
「女性の足がすらりと長く、きりりとして小粋な女性の姿を表す言葉」
になるのでしょうか。
多くの作家がこの言葉の解釈の作品のなかで取り上げており
このようなサイトも見つけることが出来ました。
また、足の親指と人差し指の間を指すや、
ビキニゾーン、ヒップの形など、
女性の身体の特定の場所の形容詞とする意見もあります。
足の指の間はともかくとして、
男性にとって、魅力的な女性の表現としては、
まさく、的を射た表現だと思うのです、
特に、はるかとして、性の楽しみを満喫した後ならば、
尚のことです。

日常の生活での身体の動かし方とは違うからなのか、
受け入れるために、足を大きく開いたからなのか、
受け入れたときに、それを強く挟み込むからなのか、
腿の内側の筋肉に痛みを感じるのです、
それも、普段使っていない筋肉に負荷を与えた時のそれと、
まったく同じ種類の痛みなのです。

「小股の切れ上がった」という意味は、
鍛えられ、引き締まった、
腰から下、特にお尻から太ももにかけての、
美しいラインの褒め言葉だと思うのです。
もちろん、久しぶりにSEXをしたぐらいで、
筋肉痛を患うならば、
「小股の切れ上がった女」ではないと思うのですが、
それとも、純女ならば、余分な物がぶら下がっていないから、
内腿に筋肉痛など、おこらないのでしょうか、
ならば、男女の性差って、
想像以上に大きいものなのかもしれません。

さあ、明日も、
内腿鍛えながら、脂肪燃やして、
クビレのあるウエスト作るために
運動しに行こう。