妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

格差って、昔から身近にあったよね。

2012年01月30日 | 読書

もう二十年も前のことですが、

スーパーの食肉売り場の広さの違いに

興味を持って、歩き回ったことがあります。

牛肉、豚肉、鶏肉の売り場の大きさが

地域によって明らかにその割合が変わるのです。

例えば、東急東横線沿線から北、中央線沿線まで、

その間に位置する店舗の牛肉の売り場面積が、

他の地域に比べて広いのです。

その反対側、二十三区の東側は、

比較的牛肉の棚が狭いのです。

 

階級都市」橋本健二著 ちくま新書を読んで

そんな経験を思い出しました。

そのなかで、著者は東京の標高20Mに注目しています。

先ほどの路線で囲まれた場所は、

ほとんどが、その高さより高い場所、

いわゆる山の手と呼ばれる場所で、

東京の中でも、比較的所得の高い場所になり、

可処分所得の多さが、牛肉の消費志向の高さに繋がり、

スーパーの食肉売り場の広さに影響している。

そんな見方は、うがち過ぎでしょうか。

 

まさしく、その標高20Mの際に住んでいる私にとって、

その違いは、日々の生活のなかで実感として感じるのです。

川沿いのスーパーと坂の上のスーパーでは、

品揃えも客層もまったく違います。

新しい分譲住宅に住むファミリー層、単身者

木造アパートに住む独身者。

戸建てに昔から住んでいる住人。

それらの交流はほとんどなく、

年齢、服装、活動時間さえも交じり合うことはありません。

 

ここ数年、格差について、様々な角度から取り上げられ

マスコミに取り上げられることも多くなったのですが、

格差というものは、新しいものではなく、

昔から、そこにあったもので、

気がついていても、

言葉にしなかっただけなのかもしれません。

 


縄から遠く離れて

2012年01月21日 | つぶやき

9月の最初の週末。

住んでいる町の例大祭があり、神輿の巡行があります。

子供神輿は、金具を使わないで組み立てます。

ケバが取れ、手触りのよい縄で担ぎ棒をつなぎます。

太鼓を山車に固定するときも、同じです。

二本太い飾り紐を巧みに組み合わせて、

紐と紐の摩擦を利用して、結び目無しに

山車に固定するのです。

手のひら以外の場所に、縄が触れたのは、

もう、遠い昔のことになってしまいました。

 

まったくもって、ブログやプロフに書いている内容が

現実にそぐわない。

化粧もしなければ、アウターも着ない

縛られることもなければ、蝋の熱さ、鞭の痕など無い

そんな私が、SMだの女性の服を着ることを

つぶやいたり、ぼやいたりしている、

考えてみれば、考えなくても、

それは、ひどい話です。

 

最近、更新が滞ってしまっています。

まったくの「無」の状態から、

何かを書き上げることができるような

そんな才能の持ち主ではない私にとって、

新しい経験がなければ、書くことも滞ってしまうのも

自然なことなのでしょう。

 

さてさて、

この先どうして行きましょうか。

難しいことを考えず、

思ったことを、ダラダラと書き綴っていく。

そんな基本は、かわらず、

ボチボチと続けていくことになるのでしょう。

 

松も開け、 薮いりも過ぎ、はや旧正月、

そういえば、一つ年を加えてしまいました。

アラフィ年男のボヤキに今年もお付き合いのほど、

よろしくお願いします。


ゆくへも知らぬ恋のみちかな

2012年01月14日 | つぶやき

愛人が出来ると愛妻家になる。

ツイッターのTLで見かけた呟きです。

愛人でなくても、好きな人ができても、

愛妻家に近づく、

多少は、周りの人に優しくなれる、

優しい心を思い出すのでしょうか。

 

この時期、学校の課題に、

百人一首が取りあげられる機会が多いことと思います。

好きな句を幾つか、覚えてきなさいと、、

そんな宿題やら、課題が与えられるようです。

何を基準に選ぶのかなと、

勝手に想像してしまいます。

出来れば、声に出して、詠んで、覚えよう。

そして、自分のリズムと合う幾つかを見つけなさいと、

その方が簡単に覚えられるはずだから、

 

ご存じのとおり、

花鳥風月を詠んだ句も多いのですが、

恋の歌も多く取り上げられているのですから、、

音色や調子だけで選ぶと、

こちらがドッキとするような句を

諳んじていることもあります。

その意味に気付きり、頬を染めには、

ほんの少し早いようですが。

でも、もう少しして、恋をしたら、

今度は、リズムだけでなく、

歌の心が、自分の中に染みてくるから。

そして、一つか二つの歌は、

ひょっとして、ずっと側に居てくれることになるかもしれません。

たとえば、紀友則だったり、西行だったりするのです。

ちょっと、恋の歌ではないことが、

無粋だった私の青春時代の証でもあるのですが。

 

今ならば、、

かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを

来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ

由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな

こんな歌が、私の心に染みているのです。


まだら模様な心の性

2012年01月05日 | 読書

男性と女性の性差についての本を読むとき、

性は身体だけなくって、心にもあるのだと 改めて感じるのです。

 

性差は、心も身体も、

独立してあるというより、微妙に混ざり合っているし、

特に心の性は、とても微妙に混ざっている、

身体の性が女性でも、 性格や気持ちのそれが、

全部女性というわけでなく

ただ、その割合が大きいだけで、

残りの部分のもうひとつの性の割合が、

まったくゼロではないと思うのです。

 

それは、男性の身体を持っていて同じ事。

ただ、男性の方が、 ひょっとして、精神的に

いわゆる女性的な気質が濃い人が多いかもしれない、

それは、発生の過程で 無理やり性の転換を強いられるからなのかと思うのです。

 

キスは、男性にとって 一里塚であり、突破すべき門に過ぎないけど、

女性にとって、 ひとつのゴールにもなりうる。

ようするに、

キスすれば、その次に進もうとするのが男の子で、

女性は、キスだけで、幸せな気分になれる。

その違いが時に相手への失望を招くことになるのは

言い古されたことです。

 

キスの意味を考えた

なぜ人はキスをするのか?」 河出書房新社 シェリル・カーシェンバウム/著

を読んでいて、

改めて思うのは、 自分の中の女性「性」の成(性)分の強さです。

キスについて言えば、

もちろん、その先のことをと、思うこともありますが

キスまでで十分。そんな気持ちがわかるのです。

自分に自信が無いからという負け惜しみだけでなく、

肌を触れ合わせて、心が満たされる。

好きな人となら、ただそれだけで十分だ、

その気持ちが痛いほどわかるのです。

 


今年もよろしくお付き合いのほどを、、、

2012年01月03日 | つぶやき

三が日、ゆくりと、過ごしています。

年末食べ過ぎたようで、

体重計に乗るのが、怖い。

心配事といえば、そのくらいの、

のどかな、お正月です。

 

マスマス更新が滞ってしまっているブログですが、、

書くネタが途切れてしまっているから、

縄の感触や、蝋の熱さ、鞭の痛み

大好きなそれらを、

肌が楽しんでいないから、

誰かに伝えたいことも少なくなっているのです、

それに、

憧れのバストについても、

そろそろ、本チャンの更年期なのか、

体調との折り合いをつけるのが難しくなっています。

 

あせらず、気負らず、そう思っても、

やはり、何か書きたいというプレッシャーが

よけいに、日記から遠ざかってしまっているのです。

 

生前、一度も生の姿を見る事のなかった

談志家元の一席「やかん」のなかの、

「努力は馬鹿に与えた夢」

「学問は貧乏人の暇つぶし」

そんなことばが、あらためて、心に染みるのです。

 

「努力は女の又の力」と、家元は話を振ります、

「やっこの力とも、、、」

奴の力が、私に与えられた夢ならば、、

たまには、もう一つの努力を堪能してみたい

今年は、そんな艶っぽい話も出来ると良いのですが、、、、