妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

緊縛の文化史

2014年09月28日 | 読書

8月最後の週末からの諏訪神社から始まって、

近所では、八幡さま。

そして、9月の二番目の週末が、氷川神社。

夏の終わりから、秋の始まりにかけて、

東京、山の手では、秋の祭礼がおこなわれ、

祭囃子や、神輿の担ぎ手の声が響きます。

 

祭礼を手伝っていて、思うのは、

神輿のを組む時は、もちろんのこと、、

お祭りのいろいろな場面で

縄が登場し、それを結ぶことで、

お祭りが出来上がっているってことです。

町々に設営される、神酒所も、

その場所を縄で囲うことで、示されます。

縄が、結ぶということが、

あらためて、私たちの生活で、

思いのほか、近くにあることに気がつくのです。

 

その近さが、緊縛という文化を育んだきっかけになったのだと、

また、「神」と「縄」の近さが、捕縛術という味付けを経たのちも。

縄の受け手への、尊敬を保ち続けることができたのではないかと、

ミスターK氏は、「緊縛の文化史」に記しています。

男性も縛られることもありますが、

その美しさからか、女性の姿が多い、

ならば、縛られることで、神聖なものになるという意味で、

巫女のような存在なのかと、

和のSMの特徴である緊縛。

洋の拘束には見られない、

縛られる方、マゾを想いやる気持ちが生まれたのではと

作者は考えているようです。

マスター“K”:著, 山本規雄:訳
発行:すいれん舎

 

英語圏の人々へ向けての緊縛の紹介の本の翻訳で、

緊縛の歴史をひもとき、

さらには、現在に活躍する人々の紹介、

そして、簡単な縛り方の解説まで、

興味半分、面白半分でなく、

真面目に緊縛と向き合って書かれています。

女性の(もちろん男性の)緊縛姿を美しいと感じるならば、

秋の夜長のお伴に相応しい一冊だと思うのです。

改めて、緊縛の奥の深さを知ることだと思うのです。

ただ、

縛られた女性をリピドーを和らげる手段になさっている方には

間違えなく物足りないと思います。

緊縛って、エロチックな芸術、あるいは技術だと

そんな想いを抱く方には、是非とも読んでいただきたいのです。


六本木の美術館

2014年09月27日 | QOL

この絵の前に立ち、しばらくすると、

木漏れ日の明るさ、この葉の触れ合う音。

ふと、頬を風が撫でる錯覚まで感じるのです。

 

 

 

ルネッサンス以降、宗教の呪縛から解放され、、

人々の生活を、日常の瞬間、自然のありのままの姿を、

切り取りはじめました。

むろん、人の生まれたままの姿も、

でも、まだ、光はありませんが、

光の出現を予感させるものがあります。

 

モネ、シスレー、ピサロ。

サン・ラサールの駅が、杏の木が、農家が、

未だ、その外見を保ちつつも、

光に、色彩に満ち溢れているのです。

光を追い求めた印象派の画家達が、

印象派になる直前の作品を集めたのが、、

風景を光にまで分解されない面白さが、この美術展の見どころです。

 

その橋渡しの役を担ったのが、マネ。

「ロシュフォールの逃亡」に描かれた波に、後の印象派の香りがあります。

同じくマネの「婦人と団扇」を見ることで、

日本画が、印象派に影響を与えたことを確信したのでした。

 

 


ちょっとだけ、夏の日差しの名残が残るこのごろです。

2014年09月23日 | 季節

二十四節季の「秋分」、お彼岸の中日。

暦でいえば、とっくに秋なのだけれど、

個人的には、これから秋が始まる気がするのです。

 

とはいえ、今日の日差しは、

痛さを感じるのほどではないにせよ。

秋の優しい日差しというよりは、

夏の名残が残っている感じです。

ただ、風の心地よさ、空気の流れは、

もう、秋なのかなって感じるのです。

 

そう、ちょっとしたトレビアだけど、

秋分の日、春分の日って

昼間と夜の長さが同じっていうけど、

厳密には、ちょっとだけ昼の方が長いのです。

日の出は、太陽が顔を出した時

日の入りは、太陽が隠れた時、

ちょうど、太陽の大きさ分だけ、

昼間の方が長いのです。

他にも、理由はあるみたいだけど、、

 

 


水辺の風景、

2014年09月21日 | 薔薇

夏の暑い盛りのこと、

庭の仕事をしたり、軒先でたばこを吸っていると、

蚊に刺されることがありました。

 

ある朝、一匹の、糸トンボを見つけてから、

虫にさされることも無くなりました。

 

やせっぽちの、小さなトンボでしたけど、

それは、自然の摂理、

きっと、軒先の蚊をお腹一杯食べてくれたのでしょう。

 

最近、見かけなくなったと思ったら、

メダカを孵化させている桶の中に、「ヤゴ」の姿が。

よく見かける「ボウフラ」の姿は一匹もなく、

きっと、この子たちの成長の「糧-カテ」になったのだと、、

気がつけば、そろそろ孵化するはずの子メダカの姿も、、、

大きな生物の、肉食の生き物の餌になるのが定めとはいえ、

ちょっと、可哀相な気もします。

 

殺虫剤を散布している映像を見るこのごろですけど、

こんなふうに、自然の摂理に任せた方が良いかもと思うのです。

そう、

Let them fight!!!

です。


今の私 -心の変化-

2014年09月14日 | つぶやき

Tumblrで、流れてくる絵を見ながら、

今までとは、別の視線で好みの絵を探している自分に気がつきます。

姿形に差はないのですが、

欲しいって願うもの、

これなら、大丈夫かなって、思うもの

絶対にダメって素通りする。

でも、ちょっとだけ眺めてしまうこともあるけど

これなら、良いなって思う場合が増えてきたように思うのです。

舐めたいなって思う絵の中のいくつかは、

汚されているから、きれいにしたいから、

流れでるものに、視線が釘付けになってしまうのです。

とはいえ、増えてきたといっても、、ヴァーチャルな世界でだけ、

現実の出合いとかになると、相変わらず腰が引けてしまう。

 

朝の通勤電車。 

たまに見かける、貧祖な顔をした男性が私の横に立ちます。

音楽を聴いている風でもない彼の手が、リズムを取っている、

私の体に触れそうで、触れない、微妙な距離を保ちながら、

その距離を詰めてしまおうかと、思うのですが、

容姿を思い出した瞬間、気分が悪くなり、

混んだ電車の中、迷惑をかけながらも、そこから離れます。

自意識過剰かなって思いながらも、でも、違う人なら、、、と、

どこかで思ってしまうこのごろなのです。

 

人は外見だけじゃないって、言うけど、

それは、建前で、本当は、見た目だけがすべてですよね。

好みの、少なくとも、気持ち悪くならない程度の人と知り合うために、

より多くの人との出会いが大切だってこと分ります。

それに、沢山の人とすれ違うことで、化学反応が起こるかもしれない。

外見じゃない理由で、惹かれることもあるかもしれません。

 

いっそのこと、出合いを求めて、夜の街に繰り出し、

思い切って、ドアを開けてしまおうかと、

でも、開けた瞬間の値踏みをされる視線に耐えられるか、

耐えることが出来れば、

もう一度、あのうれしさを味わうことができるかもしれないと。

そう思って、TRYしてみても、現実の視線には耐えられなかった。

その時は、、、、

 

50過ぎの、女性の下着を着たおっさんに、

興味を、性的なそれを持っていただけるのか、、、

でも、、持って欲しいって、思うのです。

抱きたいって、、思われたい。

 

値踏みされ、、、視姦され、、、、

不安で震えていた足が、、違う理由で震えるほど、

淫らな視線が、体を這いまわる、、

男の欲望に満ちた視線を感じたい。

面倒な私ですけど、抱いていただけますか。

 


十六夜の月

2014年09月09日 | 季節

宵の頃、

地下鉄の階段を昇り、出口を見上げると、

ちょうど出口を額縁にして、お月さまが、

なるほど、スーパームーン、大きいなって感じたけど、

まだお月さまは東の空、昇りかけ、

別にスーパーでなくとも、大きく見える頃合い。

ホンワカとした柔らかい秋のお月さま、

一日遅れの、お月見。

 

 


雨、

2014年09月08日 | 季節

 

今日は、十五夜。

それに、二十四節気では、白露

露がおりはじめるころ。

 

たしかに、白露に雨は相応しいかもしれないけど、

十五夜お月さまが見えないのは、少しさみしい。

 

明日のスーパームーンに期待しよう。

 


咲きました

2014年09月05日 | 薔薇

もうそろそろかなって、楽しみにして、目覚めてみると。

予想通り、咲いてくれました。

 

少し調べ物をしていて、見つけたサイトによれば、

「強健な株になる巨大輪品種で鉢植えもしやすい品種です。」

なるほど、初心者の私にぴったりの品種を最初に引き当てたわけですね。

 

どおりで、ずぼらな私のところで、

かくも永く楽しませてくれる訳に納得です。

 

秋の花は、春に比べると色が薄く

はかない気配が漂います。

香りも、穏やかで、花に近づかないと分らないほど、

長閑な気配の花なのです。


秋のバラ

2014年09月03日 | 薔薇

夏の暑さだけが理由じゃなくって、

きちんとお世話をしなかった私が悪いのだと思うのです。

 

そんな私のところに来て、5年以上、

元気に咲いてくれるのがこの子です。

 

多分、週末までには、咲いてくれるはず。

 

花芽にはなりそうにないけど、

シュートが幾つか伸びているのが

来年の楽しみなのです。