東京は、この数日、
夏を先取りしたようなお天気、
明日から7月とはいえ、
このまま「夏」になるなんてことは
ありませんよね。
絵にかいたような、
あるいは、
教科書に載せても良いような
梅雨の中休み。
雨が少ないからか、
紫陽花の花が今年は元気がありません。
我が家のバラ達も
ちょうど、中休み。
次の花の蕾が
夏を先取りした日差しのなか、
ゆっくりと、育っています。
東京は、この数日、
夏を先取りしたようなお天気、
明日から7月とはいえ、
このまま「夏」になるなんてことは
ありませんよね。
絵にかいたような、
あるいは、
教科書に載せても良いような
梅雨の中休み。
雨が少ないからか、
紫陽花の花が今年は元気がありません。
我が家のバラ達も
ちょうど、中休み。
次の花の蕾が
夏を先取りした日差しのなか、
ゆっくりと、育っています。
個人的な好みなんだけど、
会社でポロシャツって、
なんか、嫌なのよね、
おじさん達の多くが、太鼓腹で、
その体型で、ポロシャツ着て
恥ずかしくないのかなって、
思うのは、私だけかな、、、、
半そでもいいけど、
手を上げたとき、腋が見え、
無駄毛が目に入るだけで、
すっごく不愉快になるのも
私だけなんだろうな、
規定で、襟無しがNGてのは、
まあ、大半の男子の姿みてると、
分からないことじゃないけど、
こういう私も、
カットソーとTシャツの区別が付かないから、
大きな声じゃ言えないけど
レディース見ていると、
デザインとか素材とか
いろんな組み合わせがあって、
羨ましいって思っちゃう。
ジメジメした梅雨の時期、そして暑い夏
体臭、特に加齢臭が気になる季節になりました。
加齢臭とか、体臭って、男性だけのものなのでしょうか、
経験的に言えば、それは否定できないものなのですが、
加齢とともに、無臭になっていくのが女性だと思うのです。
憧れのバストの為に出来ることをしていると、
肌が敏感になります。
それと同じように、匂いについても
感度が上がるように思うのです。
そんな時期になると、様々な匂いに気がつきます。
でも、一つだけ、同世代以上の女性の匂いが
歳を取る毎に薄れていくように感じるのです。
若い世代に比べて、香水を、あるいは
オードトワレすら纏う習慣が少ない人傾向があるので、
特別な香りを漂わせる人が少ないのかもしれません。
フワッと香るシャンプーのそれさえ無いのは、
香りを消す匂いが分泌してしまう、
ある意味、加齢臭なのではないかと思ってしまうのです。
あるところで、恋愛の第一歩は香りから始まる。
そんなコメントを拝見した記憶があります。
「卵とニワトリ」のような話ですが、
興味が無いから、匂いに反応しないのかもしれません。
時に、同じ香りでも、その人への気持ちの違いにより、
良い匂いとも、臭いと感じることもあります。
毎朝すれ違う方の髪の香りに惹かれて、
こんなことを思ってしまいました。
本を出すということは、
自分の考えを世の中に知らしめることだから、
著者の意見の押し付けがましさに辟易するってこともあります。
その押し付けに耐えながら、いろんな方の意見を取り込み
自分の考えに昇華させていく、一つの読書の楽しみではあります。
ある事柄を浅く広く取り扱っている本を見つけることから、
未知の何か新しいことや最新の情報を得ることが始まります。
吉井奈々・鈴木健之共著 恒星社厚生閣 刊
を社会学!
この本は、どちらかといえば、後者に属する本で、
なおかつ、著者の意見を押し付けることなく、
それでいて、そこここに、彼らの考えが散りばめられている。
社会学としての、性同一性障害とセクシュアルマイノリティについて、
優れた本だと思います。
内容もお勧めなのですが、この本を読んで発見した言葉
「インナー女装」、ようするに下着女装のことなのですが、
下着しか女装をしない「ヘタレ」なイメージを消してくれていて
ファッションの一つとして、女性用のインナーを選択した
そんなポジティブなイメージが出来そうな言葉になりそうです。
うまくこの言葉が広まり、定着してくれると良いのですが、
でも、この本にもあるように、容姿を受け入れられるか否かって、
MtFにとって難しいように、この言葉の定着にも影響すると思います。
自分では、好きで身につけて、鏡の自分の姿に満足だけど、
やっぱり、傍から見たらやっぱり異型、○○○からね。
咲いた時期が悪かったのでしょう、
台風の後、激しい雨に打たれて、
せっかくの花がお疲れ気味です。
かわいそうだけど、
そろそろ、次の花達と交代するために、
せっかく、咲いたのだけど、
本当に、花の命は短いものです。。
思い出してみると、
初めて、我が家に来た時、
接木されたばかりの一年生でした。
初めて冬を越し、五月の優しい日差しを浴び、
元気に花を咲かせてくれたのです。
そして、何年かの歳月が過ぎ、
残念なことに、後から仲間入りした子達が、
花を付けなくなっても、
この子だけは、しっかりと根を張り
毎年、花を付けてくれるのです。
最初のころ、まだ若かったころ、
香りは無かった記憶があるのです。
ところが、いつの日からか、
多分、この数年、
香りが豊かに、濃くなり、
鮮やかなオレンジ色と共に、
眼と鼻を楽しませてくれるのです。
今年も、ようやく咲いてくれました。
どんなにネットのスピードが速くなっても、
香りを伝えられないのが、
とても残念です。
ちょうどいま、19日に10時半ぐらい、
東京は、暴風雨圏です。
叩きつけるような雨が降っています。
あと少しでほころびそうな蕾が、
こんな暴風雨に立ち向かっているはず、、
台風一過の朝、
綺麗な花を力強く咲かせてくれることを願っています
二度目の春が過ぎ、もう少しであの日から15ヶ月が経ちます。
街を襲った悲劇の風景をモニターで見た経験は、
悲惨さ、厳しさを心では感じたつもりになっていても、
映し出された画像は、解毒された物だったのでしょう。
それ以上に、現実に成された事と、自分の想像とは違っていて、
そのことを思いもしなかったということでは、
遠い場所の出来事としか感じていなかったと思うのです。
報道されなかった現実は、いったいどれほどのものだったのか、
理屈では分かったつもりになっていても、
あえて、目を背けていた、瞑っていたことがあります。
「遺体-震災、津波の果てに」石井光太著 新潮社刊
この本は、報道されなかった釜石の現実を伝えています。
通勤の行き帰り、この本を読んでいるとき、
目の前でつり革につかまっている自分達が、
そのままの姿で動かなくなっていること、
それらを葬る人たちの苦悩。
そんなことまで、想像してしまうほど、
被災地での有様を語っています。
正直、半分まで読んだところで、
自分の気持ちがおかしくなりそうで、
もう読めないと思うほどの現実を語っています。
それでも、あともう少し、少しでも先に進まないと、
冷たい体育館の床で安置されていた方に申し訳ない、
海の底にあり、帰れない何千人の方の気持ちを悲しみ。
1ページずつ、前に進みました。
なんとか最後まで読み通すことが出来たのは、
いくつかのエピソードで涙を流すことが出来たから、
泣くことで、気持ちが穏やかになるのを感じたのです。
涙も出ないほどの、ただひたすら気持ちが萎えていく、
でも、この本の前半部分が、無いもフィルターのない、
ありのままの現実だったのです。
涙を流すことで、心が元に戻り、今ある世界に帰ってくる。
沢山の本を読んできて、こんな経験は初めてです