妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

人間らしさって

2005年11月02日 | 読書
性愛奥義-官能の『カーマ・スートラ』解読 植島啓司著 講談社刊
を読んでみました。


作者も述べているとおり、「カーマ・スートラ」が編纂されている時、
ヨーロッパでは、快楽への欲求を否定的に捕らえ、
それを禁止する為の方法を考えていました。
江戸時代、性欲に対するアプローチの方法は、
いままで以上におおらかなものだったことを、
浮世絵を通して再確認しました。
真偽の程はわかりませんが、某チャットの中で、
SMはギリシャ時代から存在していたとの発言を見るにつけ、
人の欲望は古今東西変わらないものだという思いを新たにしています。
反対に、唯一の例外が、近代から現代への西洋なのかもしれません。
表面的に快楽への耽溺を禁じてしまう。
それでいて、性的快楽の陶酔への耽溺が一部には存在していた。
そんな二重性を持つ世界へ不信感を持ってしまいます。

性的な快楽を楽しむ。
これは、すべての人が持っている欲望なのではないでしょうか。
それをなんらかの理由で、宗教的、道徳的、政治的な理由で規制する。
その事にどれほどの意味があるのでしょうか。
その規制によって、自己実現を妨げられてしまのならば、
そんな世界はとても暗い世界だと思っています。

性交の目的は、第一に子孫を残すことです。
ただ、それだけならば、人間以外の全ての生き物がその行為を営みます。
人間だけは、他の種にもその感覚はあるかもしれませんが、
その行為に、快楽という付加価値を与え、
それ自体を一つの楽しみにまで変化させてしまいました。
生殖という本能の他に、性欲という欲望を心の中に埋め込んだのです。
それを、後天的な理由で規制することは、とても不自然なことだと思うのです。
反対に、単なる性器の結合という行為を、
48種類に分類し、それぞれの体位について深い考察を行う。
痛みさえも性感を高める手段とし、そのランク付けを行う。
そんな考察を真面目に行い、聖典として後世に伝えた人達に、
「おおらかな気持ち」と「豊かさ」を感じてしまうのは。
私だけでしょうか。