妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

二番目のバラの花

2009年06月28日 | 薔薇
ようやく、今年二番目のバラが咲きました。

一番先の花よりも、少し小ぶりですが、
色は、赤みが増し、見慣れたオレンジ色に、
香りも、いつもの通り
優しいバラの香りです。

暖かさと、日差しの強さでしょうか、
日、一日ごとの成長は、
目を見張るほどです。

ミニバラの蕾が膨らみ、
ブルーライトの花芽も育っています。

おとこって、

2009年06月25日 | 読書
乳首、鼠蹊部(両足の足の付けの間、蟻の門渡り)の縫い目。
身体を触ってみると、他の場所とは違う感覚を感じる場所があります。
もし、その感覚に身を委ねたことがないのであれば、
試してみる価値があると思うのです。
簡単な話、女性を気持ちよくさせる場所の全てで、
男性もまた、同じよう快楽を得ること出来る。
ただ、それだけの話なのでが、
身体的な性差は、考えている以上に小さいものなのです。
男性という性の身体的特徴を持っているといっても、
女性との違いは、全体からすれば、それほど大きな割合ではなく、
共通点の方がはるかに多いことに気がつくはずです。
もちろん、その小さな違いが、人を「オス」としている事実は、
忘れてはならないことなのですが。

できそこないの男たち」 福岡伸一著 光文社新書には、
「メス」が生物としてのスタンダードで、
多様性を確保するために生まれた性が、男性性だと述べられています。
そのために、生物としての基本であるメスの身体から、
その発育過程を変更し、身体の一部を作り変えることで
オスという性が生まれたのだとあります。

受精卵が、ある時期変異をして、オスとメスに分化する。
メスというスタンダードな性の男性の身体においての名残が、
乳房であったり、足の付け根の縫い目だったりする。
私個人の体験としても、男性の性器への刺激に似た感覚を、
それ以外の場所、特に、メスの名残の場所で感じることも、
そのことを素直に受け止められる理由かもしれません。
女性という性から逸脱して、オスになってしまったことを
無意識になかで、後悔しているが故に、
基本の性に戻りたいという感覚が生み、
私の中に「はるか」という女を見出したのかもしれません。

性別を越境したい人の割合が、男性の方が多いのは
男性がメスから派生した性だからかもしれません。
ただ、元の性に戻りたい気持の程度は、まったく無い場合でも、
環境に影響をうけることによるのだと思うのです。
異性装や性同一障害について特別触れられていないのですが。
基本とか、安定した状態に戻ることが普通であるならば、
オスという男性性が、好き嫌いの感情だけでなく
すべてにおいて、女性というメスに憧れ、近づき、
同じになりたいと思うのは当たり前のことだと感じ、
私の中に、女性の部分があることの不思議さが
少し解消されたように思うのです。

玄関先には、、、

2009年06月21日 | 薔薇
バラに蕾がつき、日に日にふくらんでいます。
春の咲いたバレンシアの二番花、
ホームセンターで衝動買いしたミニバラ。
お世話の仕方が悪いのか、
他の庭のバラに比べて、
一か月ぐらい遅れています。

手入れが悪いと言えば、
今年植え替えたブルーライト、
新芽が花芽にならなくって、
少し諦めていたところ、
ようやく花芽らしいものが、
例年よりも雨が多い今年、
うまく咲いてくれるといいのですが。

バラだけでなく、
玄関先には、ザリガニとメダカが
昨年の町内会の盆踊りでもらったメダカが
幸いなことに、冬を越し、
卵を産んで、小さな子たちが
元気一杯、泳いでいます。

昔、私が、釣りに出かけた公園
今でも、ザリガニが釣れると、
子供にせがまれて、出かけたものの、
一番楽しんでいたのは、私だったかも。
新入りの、「オコリンボ」クンの姿です。

なんどなく、

2009年06月14日 | つぶやき
梅雨の中休み、久しぶりの青空に、心はずむ週末。

そんな週末だといいのですが、
なんとなく、気分は梅雨空のような、どんよりとした
気だるい気分の日曜日。
憂さ晴らしと思って、ジムへ出かけようと思っても、
なんとなく、そんな気分にならなくて、
地下鉄ひと駅往復して帰ってくる、
とても、無気力な週末なの。

昨夜見た、催眠ビデオがどこかに残っていて、覚醒していないのか、
それとも、
ちゃんと、愛してもらえなかった不満が残ってしまっているのか、
やり直したいなって、思って、
こことか、いつもの場所に出かけてみても、
なんだか、楽しくなさそうだし、
目を閉じると、自然に手がバストに伸びてしまって、
先っぽをやさしく愛撫しちゃう。
なんか、最低の日曜日だなって

先週、まじめにクリーム塗って、サプリメント飲んだから
サイズ測って、写真でも更新しようかなって
測ってみたら、トップバストは99ぐらいでOKなんだけど、
アンダーバストが85を越えちゃっていて、
運動してないから、仕方ないのだけど、
それで、よけいに気持ちんが凹んじゃいます。

いつも以上に、グダグダした独り言になっちゃった。
だれか、可愛がってくれる人いないかな。
それとも、可愛がってあげられるオトコノ娘(コって読んでね)いないかな。

アクセス件数

2009年06月12日 | つぶやき
最近、日記の更新頻度や、コメントの数が少なくなって、
SNSの活気が無くなっているように思うのです。
最大手のSNSが、参加資格を見直し、
それに伴い、幾つかの、特にアダルト系、コミュが閉鎖されてから、
その傾向が顕著になっていると思うのです。

すべての人に平等にアクセス権がある。
そのことは、ネットの特徴でもあったのですが、
アクセスを許された人だけの閉じた空間としてのサイト。
例えば、大人が、大人だけで楽しむことが出来る場所を
創ることが出来るのもまた、ネットの利点だったはずです。
そして、そこは、大人の遊び場だったと思うのです。
自己申告による年齢制限よりも、一部のコミュや日記を制限する方が、
運営者としては、管理が簡単になると思うのです。
匿名ということに魅力を感じていた大人達の出入りが少なくなった結果、
活気が無くなってしまったように感じるのは、私だけなのでしょうか。
そんな気持を裏付けるように、SNSの足跡は激減しています。

反対に、ブログのアクセスは、不思議に増加しているのです。
GW前、平均して100前後、多くても130ぐらいでしたが、
平均で180ぐらい、週末や日記を更新すると200を超えます。
その増加のすべてが、SNSからの移動ではなく、
何か別の理由もあると思うのですが、
「あしあと」減少が、日記の内容が理由ではなく、
SNS全体の活気が影響しているのではと思うのです。
それとも、最近、SNSを歩き回る元気に欠けているだけど、
私の世界が小さくなってしまっただけなのでしょうか。