妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

今の私

2006年02月09日 | つぶやき
何か気がついたことを、言葉にして、ブログに残す。
ブログに何を書こうか、
どんないやらしい事を残してしまおうか。

そんな事を考えている時間が、
はるかにとって、一番の気晴らしのときです。
それに、そんな自分を観察していると、
その時の気持ちの浮き沈みが、
なんとなく分かって、
無理しても良いときなのか、
静かにした方が良いのか、
自分の気持ちと上手に向かい合うことが、
出来るようになって来たように思い始めています。
今の私の気分はといえば、
とても、淫乱な気分が、心の中に蠢いています。

そんな時、
心に浮かぶ、淫靡な妄想を言葉にする。
そして、そのイメージで
何処まで気持ちよくなれるのか、
試してしまいます。

今、とても、バストが感じやすくなっています。
指先で、乳首を弄ぶ、
そんな一人遊びが、マイブームです。
その時、私の脳裏に浮かぶ淫靡な夢を、
言葉にしてみようと思っています。

それは、いつも終わりの無い、
実現すること勇気の無い弱虫マゾの戯言です。

「帰ってきたもてない男」小谷野敦著

2006年02月03日 | 読書
人はみな、様々な素質をもって、生まれてきます。
足の速い子もいれば、絵の上手な子もいる。
計算が得意な子もいれば、本を読むことが好きな子もいる。
そんな、個人個人の違いは、生まれと育ちによって創られる。
可能性については、全ての人に等しく提供されると願っていますが、
環境によって、ひょっとして、それすら「運」なのかもしれませんが、
結果については、平等ではないということを受け止めなければなりません。
機会が平等であるということは、
その機会を上手に利用する才能があるのか、否か。
それも、個人が得られるものの差になってきます。

恋愛や結婚について思いを巡らせてみると。
昔、その対象となるのはとても限られた範囲に限定されていました。
例えば、知り合いの紹介、地域のコミュニュティーでの出会い。
それに、その対象は異性に限定されていました。
今では、人が人と出会う手段は、様々な方法がある。
恋愛や結婚の選択もとても自由なものです。
これほどまでに自由になったからといって、
すべての人が、その自由を享受しているのでしょうか。
残念ながら、そうではないように思えます。

例えば、他の人と会話をする能力。自分の性的志向を認識する力。
時に、旧弊やステレオタイプからの逃避する実行力。
それらすべてが、恋愛や婚姻の自由を謳歌する為に必要な能力です。
その全ての能力に秀でた人と、そうではない人と、
残念ながら、結果には大きな違いがあります。
小学校や幼稚園の徒競走と違って、全員が同時にゴールする。
そんなルールはここには無いのですから。

結局、異性との関係を上手に結べるかどうか。
これも、才能の一つなのではないでしょうか。
その巧拙は、足の速い遅い、絵の上手い下手、
そんな持って生まれた才能と同じように、
人それぞれに違いがあるのではないでしょうか。
その結果として、
もてない男が、そして、
同じ理由で、もてない女も生まれるのだ。
ある意味「もてない、」ということは、
機会平等がある程度実現した社会に見られる現象だと、
言っているように思います。