妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

今年最後の花かも

2009年09月29日 | 薔薇
冬の剪定に失敗したからか、
手入れが悪いのか、バレンシア以外のバラに、
花芽がつくことは、なさそうです。

今咲き始めた、一輪の花が、
ひょっとすると今年最後の花かもしれません。
他の子たちは、植え替えたばかり年なので、
花を咲かっせるより、自分を元気にさせる、
そんなところに頑張っているのかなって
剪定の悪さを棚に上げて、
彼女たちの生命力に期待してしまう私です。

気がかりなのは、紅の幹に白いカビのようなものが、、、
調べて、対策を考えないといけない、この頃なのです。

雲の中で起こっていること。

2009年09月23日 | つぶやき
一転俄かに黒い雲が立ち込め、
雷鳴が聞こえ、大粒の雨が降り出すことがあります。
西の空の雲の色をみて、明日の天気を予想する。
雲の形や高さで、季節の変化を感じることもあります。
毎日の生活のなかで、雲を見る機会って意外に多いのです。
同じ雲でも、ヴァーチャルな世界の雲の中で起こっていることも
とても気になるのです。

十年前、会社からインターネットへのアクセスはほぼ無制限でした。
日記の更新も、チャットや掲示板へのアクセスも、
フリーメールの読み書き、アダルト系、反社会的なサイトの閲覧も
不自由なく出来たものです。
今では、それらへのアクセスが不可能になり、
たぶん、アクセスしたサイトのアドレスログまでも、
管理されていると思うのです。
もちろん、業務上与えられている道具ですから、
そうなることが当然だと思うのですが、
自宅から、プライベートでのアクセスも同じ状況かもしれない。
ヴァーチャルな世界の雲の中で監視されていることは、
ひょっとすると私たちの予測を超えているかもしれません。

例えば、自宅のパソコンから、掲示板にアクセスして、
そこにメールアドレスを入力した場合。
あるいは、コメントを書いた場合。
ログが、どこかのデーターベースに残るはずです。
それは、チャットやブログの更新についても同じです。
それらログを組み合わせ、処理をすることで、
本人を特定することが可能だということです。
もちろん、アドレスがフリーメールでも同じことだといいます。

インターネットが、クモの巣だったころ、
ある程度の自由があると信じられていました。
ところが、クモの巣という線と点の世界から
雲という形へと進化した結果、
自由だと思っていた匿名性とかがすべて管理されている
そんな世界に変わっているようなのです。
だれしも、メールアドレスを書いてしまったあと、
一時的にスパムメールが多くなった経験はあるはずです。
それに、日記のアクセルが多くなった後も、
おなじような傾向にあるようです。
リアルな世界とヴァーチャルな世界、
境界を作ることができると思っていたのに、
あまりに楽観的で、単に無知だったかもしれません。

感じたこと

2009年09月08日 | つぶやき
芸能関係のニュースといえば、
中吊り広告の見出しか、週末の番組でCoverする
その程度の興味でしかありませんでした。
たまさか、夏休み、そして最近の出来事、
いつもよりは、テレビを見る機会が多くなっています。
ただ、そこで感じるのは、ただただ興味本位だけで、
薬物の危険性を伝えるといいうよりは、
使うことを助長するように感じるのは私だけでしょうか。

警察の仕事ぶりを紹介することは、とても大切なことです。
薬物の摂取や、児童の性的な写真を所持・公開することが
犯罪であるというメッセージがまったく伝わってこない、
ただただ、興味本位で、面白おかしく伝えることで、
犯罪への垣根を低くしているように思うのです。

報道とは、まず、第一に、事実を伝えること。
それ以上でもないし、それ以下でもないと思うのです。
もし、何かの意見を伝えたいのならば、事実と区別する、
意見であること、誰の意見なのかを明記すること。
そんな基本的な立場を理解が損なわれていると思うのです。
事実と意見の区別が曖昧になっていると思うのです。
視聴者の知る権利と称してマイクを向けていますが、
知りたいことは何一つ伝えていないような。
もちろん、嘘は伝えているとは思わないのですが、
事実を、正確に伝えているとも思えないのです。
スポーツの試合結果と選手の成績ぐらいが。
信じられる事柄かもしれないと思ってしまうのです。

インターネットで検索すれば、
どんな情報も簡単にアクセスできる時代で、
テレビに規制をしても仕方がないとは思うのですが、
少なくとも、事実と意見の違い。
犯罪を犯罪として報道する姿勢。
それだけは、守って欲しいものだと思うのです。
モザイクを入れれば、なんでも報道してよいという立場は、
経験上、子供達の興味や関心、空想を助長するだけすし、
同じように、残留薬物についての詳細な報道は、
犯罪の隠蔽に役立っても、
犯罪の予防にはならないと思うのです。