ハリ天狗の日々奮戦

天狗のごとく山を駆け、野を走る(かな^^;)。 東京は西の端・青梅発、全国行き。日々鍼を打つランニング鍼灸師の奮戦記。

ドキュメント「10分未満」

2012年09月03日 | 大会レポート



沖の第1ブイに向かって1番外側にスタート地点を決める。スタート直後のバトルは極力避けたい。10分前、昨年ロング日本選手権を連覇し、今年はAタイプに挑む優勝候補筆頭の福井選手が目の前にやってきた。スイムのスペシャリストの選択と同じだ。小さく握り拳を作り、やったぜ。
ここに帰ってきた。そんな心の高ぶりをじっと味わう時間。いよいよ7年振りの佐渡が始まる。準備は万端とは言えないけど、しっかりと味わえるレベルは確保出来た。きちんと満足のフィニッシュを迎えるために自分が積み重ねてきた力を信じる。欲張らず、押さえ過ぎず。そう言い聞かせ、西に沈み行く月、東に登り来る太陽という午前6時ちょうどの号砲を迎えた。

遠浅なため周りに合わせてゆっくり歩いて進む。急ぐ所ではない。水深が足の付け根くらいまで来たところでイルカ飛び入水。一気に体が前に進む。ランで言えばインターバルとか一切なしのひたすら長い距離をジョグというだけの準備だったけど、それなりの手応えは持っていた。少なくとも7年前より、そして去年の珠洲より。

右手を伸ばした所からさらに肩甲骨を前方に移動させるイメージでグイと。伸びない。あれ。なんかきついのかな。右後方から選手がスーッと近づいて来た。斜めすぐ後ろにつくとバイクのドラフティング感覚で速く泳げるとは長女から聞いていたトライアスロンスイム必勝法の一つ。が、進みが悪い。ウエットスーツのおかげでプールではブレーキの元になっている足の沈みがなく、ストリームラインが確保されていてもっともっとプルが活きてくるはず。はずなのに変。それにこんなゆっくりスタートだったら4ストローク1ブレスで十分なのに1回ごとに息継ぎしないと苦しい。そんな馬鹿な。ま、いいや。初めはこんな感じで調子が出ないものだ。自分を納得させて泳ぎ続ける。
が、やけに息苦しい。心配だったバトルはゼロと言っていい。こんなスムースなスタートは過去にもなかったことだ。これならあわてることなく最初からマイペースを保てる。最高だ。そう思うそばから息継ぎが苦しく慌て出している自分。
思わずまさかの立ち泳ぎ。まだ泳いだと言えない時間と距離。嫌な予感を振り払うように再び泳ぎ始める。だけど締め付けられるような息苦しさは変わらない。ちゃんと呼吸が出来ていない。立ち泳ぎ→呼吸を整える→泳ぐを繰り返す。しかし、どんどんどんどん苦しさは増してくる。700m地点、最初の赤いコーナーブイはまだまだ遠い。去年の死亡事故を踏まえて、今年のAタイプ3.8kmのスイムは1.9kmの三角形を一度浜に上がって2周回する形に変更された。スタート直後でこんな状態でどうなるのだ。不安だけがぐんぐんと大きくなって行く。考えたこともない状況が発生していることだけは間違いない。どうしよう。どうしよう。
ほんの一瞬一瞬のことなのに色々な映像や声が早くも走馬燈のようにグルグルと回っている。テレビ版巨人の星で主人公・飛雄馬がたった1球を投げるのに「父ちゃん、姉ちゃん・・・」とつぶやきながら数十分を使っていたあれと同じだ。
万端ではない、だけどオレは今回の7年振りの佐渡に向けてどれだけの練習を積み上げてきたと思ってんだ。こんなことで止める訳には行かない。スイムだってもっともっと出来る。そのくらいの自信はあるのだ。バイクなんて最高に楽しみな時間なんだ。練習が出来ていないランだってキロ5分台をキープするくらい行けると思っているんだ。欲張るつもりはないけどそこそこの勝負は打って出るつもりでやって来たのだ。だけどお前、こんなんで大丈夫と言えるのか。もうまともに泳げていないぞ。このまま呼吸が止まったらどうなる。事故はスイムで、が圧倒的だぞ。最悪のシナリオが浮かんでは消え、いや、消す。消し去るがすぐに浮かぶ。自分勝手な根性で迷惑は絶対にかけてはいけない。決断の時は容赦なく近づいていた。
どのくらいの逡巡だったのだろうか。突然、今思いついたかのように側にいたライフセーバーに手を振る。ボードにつかまる。大丈夫ですか。いや、大丈夫じゃない。とてもじゃないが泳げない。生まれて初めての経験だ。どうされます?一つだけ息を飲み込んでから言った。言ってしまった。リタイアします。

待機していた数台の水上バイクのうちの1台がすぐに駆けつけてくれた。後ろによじ登る。力が抜けている訳ではない。
しかし頭の中は真っ白になっていた。何も考えたくない。どうなっていくのかの判断も拒絶している。すべて一瞬の出来事だ。
人生初の水上バイクに乗せてもらい、風を切る。スタート地点の大勢の人垣が見える。こうして見るとずいぶん泳いで来たんだ。やがて浜に到着。大丈夫ですかと支えてくれるがしっかり自分で降りようとしてよろけた。大勢の視線が痛過ぎる。
担架が用意されていて横にならされた。固定させてもらいますねと体にベルトが回される。手を胸の上で組んで下さい。あ~、本当におしまいか。空は青いはずなのに目の前に広がった世界は真っ白だった。目をそっと閉じた。
医療テントに運ばれ、降ろされ、ベッドではなく椅子に座る。ウエットスーツの上を脱ぎ、下に着ていたトライスーツのファスナーをおろし、心拍ベルトもはずす。一気に楽になった。もう呼吸も十分に落ち着いている。待機していた若い医師の質問にはテキパキ答える。よく眠れたし、どこも不調に感じるところはなかった。血中酸素飽和度測定96、脈拍102。問題ないですねぇ。血圧が160もあったけどまぁ、大丈夫でしょうって。ゆっくり休んで下さいと。医療ボランティアの看護師さんやその他の女性スタッフの眼差しは優しい。ガックリきているだろうハリ天のことを気を落とさぬようにと色々に気遣ってくれる。
テントの外では早くも2周目に入る選手達が海へと飛び込んでいく。競技はまだ始まったばかりだったのだ。でも看護師さん達とあれこれしゃべっていたら落ち着いてきた。この事実はしっかり受け止めるしかないのだ。
椅子に座った時に気づいて止めた時計は14分44秒を示していた。心躍らせて迎えた7年振りの佐渡トライアスロンは実質10分にも満たない時間でとっくに幕を閉じていた。ため息と共に思わず天を見上げたハリ天だった。

ウソ八百なし、完全実話・ドキュメント「10分未満」シリアス編これにて!
分析編はまた明日。


【決意のスタート前】

緑風堂鍼灸院WEBSITE
ハリ天狗マネージャーの笑顔いっぱい!

コメント (14)
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