ハリ天狗の日々奮戦

天狗のごとく山を駆け、野を走る(かな^^;)。 東京は西の端・青梅発、全国行き。日々鍼を打つランニング鍼灸師の奮戦記。

完全休養中

2023年10月21日 | 日々奮戦


相変わらず、来る新シーズンに向けてのモチベーションは高い(と思っている)のだけど、1週間前から急に走る気があんまり起こらなくなってしまってびっくり。それでもダラダラと練習していたけど、、、。うーん、ここは思い切って休むか。休んでみよう。
11月(みやぎ)12月(アオタイ)とフルマラソンの予定を入れていて、さぁロードシーズンだと張り切るのは良かったけど、ちょっとついて行けなくなっていたのかな。
冷静に考えたら激動の夏(Ironman70.3→佐渡トライアスロン)を乗り切ってからもハセツネを控えていたので数日休んだだけだったし、ハセツネの後もあんまりダメージなかったのでダラダラと練習を続けていた。ま、これが普通だったのだけど、ふとやる気がなくなるのも珍しいことなので、はたと止まってみた。
「あれもこれも人間」なので当たり前のつもりだったけど、ちょっとだけ考えた。考え直した。
東京マラソンも落選だったので、フル本気は来年2月の別大1本勝負。保険なし。
その後はトライアスロンモードでってことで。そう決めたら肚も座ってスッキリ仕切り直しだ。
そんなことで、完全休養中であります。

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第31回日本山岳耐久レース・レポ

2023年10月13日 | 大会レポート


【毎年スタート前に盛り上がる友人達との再会。撮り忘れの方も多数😅】

今年はいつの間にか出走がiTRA(international Trail Running Association)のperformance index(ポイント)順にゼッケン番号が割り当てられ、スタートエリアも指定される形になっていた。おおよそ走力順ってことらしいので良かったのかなと思ったが、昨年ようやく味わえた招待選手のグリーンゼッケンもスタートエリアもなくなってしまい、特別感を味わえなくなってしまったのがちと残念。ま、仕方ない。
という訳でハリ天のエリアは第2ブロック。エリア指定のため1時間も前からスタート場所を確保、、、なんてことはなくなった選手の皆さん、余裕のスタート前。


【第2ブロックのスタート位置】

同じ第2ブロックのハシモくん、ヨコさん、見城語録さんとスタート。今年のハリマネ現地応援はスタート直後とゴールだけ。スタート後すぐ右側にいるからとのことだったのに、、、なんと見つけられず(声かけれてるのに気づかないという失態😅)、あわわわ。

【42秒経過付近で登場!】

賑やかな沿道から大声援を受け気持ちはグイグイと高揚するも、ここは冷静に冷静に。広徳寺〜変電所〜今熊神社。


【今熊神社からの上りがスタート。Thanks baboo】

渋滞は覚悟していた程ではなくて一安心。青梅トレラン部の仲間からもたくさんの応援を貰えた。サンクス。

天候は曇り。暑くもなく寒くもなく、この後雨になるのは確実と思われるので心の準備もしっかり。暑くはないが水分補給に関しては今回はバラエティ作戦だ。イノさんが直前に提供してくれたNew inox「Furiosa」(緊急ハリ天バージョン)の背中のサイドポケット(広くしてもらった)にバイクで使っている750mlの大ボトル2本(SMASH WATERとお茶)。両胸のポケットには500mlのソフトフリスク2本(自家製甘酒+豆乳とバヤリースオレンジ)。迷ったけど一応ハイドレーションには容量の半分だけ美味しい水を1リットル、と合計3.5リットル持った。5種類の味が楽しめるという、、、これは良かったな。


【Friosa 3人衆。左ヨコさん、右ふなち】

最近は食べなくても走れるようになっていたけど、今回は不安からいつもよりうんと補給食を持参(MCTオイルゼリー4個・ミニ塩羊羹4本・アミノバイタルゼリー3本<佐渡トラでもらった残り>に加え、妻が用意してくれた台湾カステラふた口サイズ5個・団子赤飯5個)。前半に固形物、後半ゼリー物という配分。エネルギー要素としてはいつもながら甘酒も十分に戦力だ。

さて、今年はやけに静かに経過。序盤こそ関西から参戦の誕生日繋がりのツジちゃんと一緒だったがあとは知人とは一緒にならず仕舞い。列の流れに沿って淡々と進む。22回目の出場だというのに、本当に山を走り込んでいないと自分がどの程度で走ればいいのかが分からなくなっている。情けない話だけど本当のことだ。
心拍的には130〜140台、上りで150台と苦しくはないのだけど、浅間峠まで次々と現れる急登はいつでもきつい。醍醐丸での大声援は過去一だったか。いやぁ、通り過ぎるのに照れ臭くて大変。いつもは長尾平にいてくれる女将が今年は仕事の都合で醍醐丸でと。いつも通りものすごく元気いただける。さらに賑やかな応援軍団を過ぎたところでタケ3号さんとアサノさんのTEAM KEN’S応援でさらに勢いづく。




【調子も機嫌も上々】

時々雨粒を感じる。気温も低くなり指先が冷たい。そろそろライトをと思いつつ、浅間峠までは我慢して突っ込む。【第1関門・浅間峠 4:05:29】


【浅間峠でありがとう】

浅間ではユミちゃんとアキエちゃん、そして良子さんの大声援を受ける。ここまでは至って順調。余裕もかなりある。ので、しばらく上がったところで早めにレインウエアを着込み(昨年手がかじかんで着るのに苦労したので)、ライトも装着し、ポール使用も開始。夜のトレイルに突入だ。
昨年導入したPetzlは一番弱い光で時々スイッチオン。ウエストバンド(?)に直接縫い付けてもらった古いヘッデンをメインに走る。下りのここぞという時には予備のバイク用ライトを手持ちで。予備電池を持たないので万が一に備えて電力をケチる。周りの選手に比べて圧倒的に暗い中を走っていた。これは今となってはかなり反省している(ホント)。明かりケチるな!オレ。(ゴールの目処が立ってから堂々と明るくしたらめっちゃ走りやすい←当たり前!)腹のライトは揺れて焦点が定まらない。そんなことはとうの昔に経験済みなのになんか忘れている。上りは十分だが下りではポールを左手に持ち、右手でライトの向きを固定してやる必要があった。超無駄!
そんなこんなしながら、それなりにやっぱり疲れて速度を落としながらも、ハーハーしながらも上りは足を止めずに一気に、、、行けず、時々後方の選手に道を譲りがてら休む。三頭山へ向かう途中の、今年定められた「歩行区間」に突入。歩いて下さいと言われるが走っていいと言われても走れないし(ノ_-。)
もう三頭山か、ようやく三頭山か、、、昔はここでの感覚でその後の走りが大きく変わった。今年はどうだ。やっぱりようやく三頭山だ。ただ、全く欲がないのと、ごちゃごちゃ計算もせず、かなり「無」の状態で進んでいるので特別感もなく最高地点通過。時計を見ると7時間を回ってしまっていた。うーん。

雨も落ちていて滑るので下りは要注意。前後で派手な転倒もあった。昨年同様、今後の予定も大事でとにかく安全第一。歩行区間が終わってからも昔のような稼ぐ走りは全く影を潜めたままというか封印。
スピードはないが走り続けることは出来る。出来るのだけどなんとなく気力がもたずにふと立ち止まったり。むむむ、これが意外にもったいないのだな。
心入れ替えしっかり走り続けて順位を上げても、後ろから集団が来るとどうも一緒に進むのが嫌で全員をやり過ごす。夜の山は1人が好きなのだ。ということで追いつかれないように逃げられないので、結果かなり順位も落とし続けるという第2関門までの道のり。【第2関門・月夜見駐車場 8:35:27】

第2関門の月夜見ではポカリと水、500ml3本分をボトルに詰め替え。トイレを済ませてさっさと下る。序盤はその先の長さに呆然としながら進むばかりだったけど、ここまで来るとだいぶこなしてきたぞという勇気が湧いて来る。気分的に昔から嫌だった御前山を乗り越えればさらにぐっと気が楽になる。頑張れ頑張れ。
今年は思っていたより早くに御前山が現れ乗り越えられた。休むことなく下る。木段が整備され昔に比べてうんと下りやすくなった。大ダワまでの下りもちょっと安全にと思うと速度が落ちる。それでも時間帯のせいか間隔も開くようになり1人で静かに進める時間も増えて来た。1人で夜の山道を行くと昔のレースのことが思い出されて来る。1人ひっくり返っていたところとか、丹沢の滑落事故で亡くなってしまったヤマジャンさん達とこの辺りをガンガン下っていたのも15年以上も前のことだったなぁとか。

大ダワに到着(10:38)。あとは大岳を残すのみだ。ここからは結構走れて稼ぎどころ。のろいが走れるところはちゃんと走る。そういう元気は十分にある。ただし、後方から迫ってくる選手がいたらちょっと待って必ず先に行ってもらう。そんなことをしていると実質ラスボスの大岳山がどんどん近づいて来る。岩場も整備されて随分と登りやすくなった。じっくり登り切って一息。大岳山は11時間半。
ここまで来れば一安心。いつもこの大岳山を越える時に前の年との比較とかベストとの比較とかやってるんだ。今年は「無」で下る。
あとはリズム良くこなそう。長尾平の第3関門までの道のりも妻と9月に来たばかりなので尚更に楽ちん。綾広の滝の上の水場、いつもは息を吹き返すための大事なポイントだけど今回はスルー。水もたっぷりあるしな。

女将さんがいない今年の長尾平はシーンと静まり返っている。【第3関門・長尾平 12:20:40】
頑張って下さいという静かなスタッフの声援に応えて御嶽神社、そして土産屋が並ぶ通りへ。長尾平で電源を入れておいたiPhoneを取り出し、妻に連絡。午前1時26分、あーあ、元気はあるがやっぱり時間がかかってしまった。変な時間で申し訳ない。
日の出山までしっかり進んでいるつもりだが、元気蘇った選手にはどんどん抜かれる。なんだよ。
ここまで12時間54分を費やし日の出山も無事通過。一緒に下り始めた選手に先行されたが、しばらくして追いつき先行。ここから30分ほどは前後に明かりも一切見えず完全に一人旅という幸せな時間を満喫。このままゴールまで行けるかな、、、ってそんな訳はなく、やがて最後の下りをリズム良く迫り来る選手の塊が一つ、二つ。もちろん待ってやり過ごし、また1人になって下る。こんなに時間がかかるのかという程の時間をかけてついには金比羅神社を過ぎ五日市の街へ。
最後の激下りもちゃんと走れる。足も痛くない。スピードを上げ、前後の間隔だけ気をつけて住宅街に突入。ここで妻に連絡。


【電話をかけたタイミングでヤジフォトグラファーがちょうど撮影してくれたって】

50代でエイジ優勝した時は総合優勝だった今は亡き相馬さんから「電話なんかしてる場合じゃないですよ」と叱られたっけ。電話に気を取られ側溝に足を落とし転けたこともあったぞ。気をつけろ。さぁゴールだ。



時間はかかったけど余裕はあるので写真が光らないようにヘッドライトの光量を落とし、ポールもしまい、ゼッケンナンバーが見えるようにレインのチャックを下ろし、、、準備完了でフィニッシュゲートに入った。【ゴール 14:35:36】



22回目のフィニッシュ、毎度のお疲れ様だった。妻をはじめ、皆様応援どうもありがとうございました。


【礼!】

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ハセツネ速報

2023年10月10日 | 日々奮戦

【青梅トレラン部集合(何人かいないけどな😅)】

22回目のハセツネ。
14時間35分かかりました。初参加の44歳の時が14時間42分。それにはかろうじて勝利✌️


【午前3時35分】

それにしても22回も出走しているくせにどのくらいのペースで走ればいいのか本気で迷っていた。
練習してないってことがバレバレだな。
昔のように1年の集大成だ!という気持ちがないから、つい安全に安全に。ゆっくりでもなるべく歩かず走るを心がけていたけど、、、長い。気持ちが大事だと改めて思った。


【衝撃的事実。ゴール後の様子を振り返ると納得したが、、、】

例のGarminスタミナ表示は、なんと‼️28%も残ってる‼️うーん🧐結構大変だったんだけどなぁ。


【完走Tシャツが白ってなんか新鮮!】

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ハセツネ前日に

2023年10月07日 | 日々奮戦

明日は22回目となるハセツネ。なにやら知らぬ間に(自分が知ろうとしなかっただけかな)色々変わっていて、招待選手としてのんびり前に並べるわけではなくなったらしいし、三頭山近くではエリート選手以外は走らず歩行する区間が出来たり、、、。それはもう20年以上前とは変わってきて当然。自分自身の意識だって大きく変化している。
トライアスロンのための練習がわりに参加し始めたハセツネだったが、思わずの好記録と順位にすっかり惹きつけられ、40代の終わり頃からの10年ほどは自分の中で間違いなく最大最高の年間行事(レース)になっていた。ハセツネのために1年を過ごしていたと言っても過言ではない。
それでも「まさかコレクター」の名を欲しいままに、良くも悪くも面白いほどの山あり谷ありのハセツネ21年だった。
2018年、20年連続20回の完走を果たし、29人目のスーパーアドベンチャーグリーン(永久招待選手)の称号を手にすることが出来た。



やっぱり大きな一区切りに違いない。ここを目指していた訳ではなかったけど、体や仕事やお付き合いの事情もなぜか上手くいき連続出場・完走を果たせた。何か縁があったのだと思う。下りをゴンゴンと走れるうちは大丈夫というのが自分の中のトレランレース基準だが、ハセツネは特別。せっかくご招待いただけるのだからこれからも謙虚な気持ちで迷惑がかからないうちは参加させていただくつもりだ。
さてさて、ハセツネ前日にそんなことをつらつら書いていたが、今年はずっと昔から背中を支えてくれているご存じinox生みの親のイノさんから還暦祝いでいただいて以来8年ぶりのNew inox「Furiosa」(ハリ天バージョン)が届いた。thanks inoさんだ。


【ソフトフラスクはやめようかな】



ハセツネ同様inox packも少しずつ進化、変化している。それは当然の流れだけど、改めて見事な作りにため息。


【2008年から始まったinox packの歴史。15年だよ!】

佐渡トライアスロン以来すっかりお休みモードで過ごした1ヶ月のおかげで、本番どうなることやらなのだが、この新しいFuriosaを相棒にゆったりした気持ちで地元のトレイルを味わって来ようと思ってる、、、のであ〜る。


【妻が用意してくれた補給食群。自家製甘酒、赤飯団子、そして昨年かの石川弘樹さんにお墨付き頂いた台湾カステラ】

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