ハリ天狗の日々奮戦

天狗のごとく山を駆け、野を走る(かな^^;)。 東京は西の端・青梅発、全国行き。日々鍼を打つランニング鍼灸師の奮戦記。

残念青梅マラソン

2024年02月19日 | 大会レポート

【弟との途中並走は珍しいのだ】

別大では絶対に人には勧められない無理を強いてしまい、久々にかなり酷い状況(左ふくらはぎ肉離れ)を作ってしまった。なのでその時点で口先はともかく(わかんないヨォとか家では言ってたけど)心の中では青梅マラソンは断念。マラソンシーズンも完全終了は決定事項だった、というのはホントの本当。
しかし、この腹の据わった完全休養とバイク練へのスイッチが功を奏したのか、自分でも慌てるほどの回復力。とにかく痛くない、気にならない。ついつい「走らない理由が見つからない」なんて言う言い訳を用意して青梅を迎えることとなった。


【なんてことはない、やる気満々】

当日朝もたっぷり時間があったのに、最低限カバーしようと思っていたテーピングのことさえ完璧に忘れていた、、、つまりそれ程に足のことが気にならなかった。と、こう書いたら100%OKのよう。奇跡的な快走さえ出来てしまうのでは、、、そんな予感を漂わせながらのスタートだった。


【本当に忘れてた】

、、、が、やっぱりマラソンでそんな簡単に神は降臨されないのだ。別大で痛みを覚えた5km、今回もこの最初の5kmがまずはチェックポイントだと踏んでいた。
思いの外心拍が高かったのは置いておき、キロ5前後の安全走行で何の問題もない。よしよし。知り合いに追いつかれてもどんどん先に行ってもらう。欲もかかない。暑いくらいの気温は治ったばかりの筋肉には都合がいいだろう。
が、二俣尾の坂を下ったあたり(8km過ぎあたりかな)で違和感急上昇、別大の時とはちょっと違う場所に痛みも出現。ぐるぐるっと頭回転。今回は粘る気持ちはさらさらなく、これはやめるべきだなと即断。
ハリ天さ〜んという応援の声で兄がいたことに気づいたと言う弟が前でカメラを構えている。やめるよ!と伝えると「ホッとしたぁ。これであとは暢気に走れる」だと。兄弟対決終了。


【バツ!】

じゃ、御岳までは一緒に行くかと久々の青梅兄弟並走で1kmほど。


【やめるってぇのにご機嫌そうだな】



【バツね】


【ピットイン!】

念のためと応援の妻に着替えを持ってもらっていたのが、、、役に立って良かったよ。


【車中の人】

超冴えない2023~24のマラソンシーズンになってしまったが、ま、これも歴史の1ページ。仕方ない。毎度お馴染みだけど「見てろよ、来シーズン」ってヤツだ。

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検討中

2024年02月14日 | 日々奮戦

【解き(溶き)ほぐす時】

別大で出現させてしまったふくらはぎ痛だが、1週間前に気になっていたいわゆる腓腹筋(一番外側に盛り上がる筋肉)の外側ではなく、脛の骨の裏側についている後脛骨筋の筋膜がだだを捏ねているようだというのが明らかになって来ている。まぁ、専門的な話は置いておいてまた大丈夫大丈夫と高をくくっていると痛い目に遭うことが予想されるのでじっと堪えて今日でもう10日間も走らずにいる。帰ってきた当初は2センチ近くも左足の方が太くなっていて慌てたが見た目(触れた感じも)はもうすっかり元通り。走ってもおそらく大丈夫。だが、今後のことをよーく考えて無茶はしないことにした。
で、その代わりに今後の色々長期的な戦略についてマネージャーと検討中。
自分では全然感じていないけど加齢で筋力が落ちるのは普通らしいから少し筋トレ的なことに正面から向き合おうとか。
何だかんだ言ってここ数年は「効率」ばかりに光を当てて来ていた傾向があって自慢の貯金が底をついている様子がちらほら。やっぱりしっかりと距離を踏んだ基盤(ランでもバイクでも)は絶対要件だなとか。
フォーム修正問題も何年も同じことを繰り返し言ってるがいい加減そのだらしなさに終止符を打とうとか。
うん。考えることは次から次だ。あとは行動あるのみってことだけ。どう回して行こうか。

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別大1週間後の今

2024年02月12日 | 日々奮戦

【痛かったけど嬉しさが勝っている写真】

さて、1週間前。
な、な、なんと。せっかく宮崎在住の次女一家がサプライズ応援に駆けつけてくれたというのに(まともに走れていればゴールも見てもらえた時間だった)娘夫婦と6人の孫たちに会った時は左足を引きずりまともに歩けない状態だった爺じ。情けなや〜

遡ること12年、2012年の別大は一部関係者の間では伝説と化した兄弟サブスリー対決を兄・ハリ天が見事に制した。あの時、競技場に入って来た途端、まだ2歳だった孫1号や娘の声援の声と姿が、、、。という超サプライズメモリー再現ならず。↓ ↓ ↓




【2012年2月5日。懐かし〜。2歳だった孫1号は中学2年生、2号は6年生】

別大で食らってしまった肉離れも急速に回復中。もう普通に歩けるし、多分ゆっくりなら走れる。が、階段を降りる時に変なところが(奥の方)気になる。ここは無理せずバイク練という数日。今週末は地元の青梅マラソン。ロードシーズンの最終戦。どうかなぁ(ってまだそんなこと言ってと妻に叱られた)。半分過ぎたあたりでまた痛くなるみたいな展開はやっちゃいけない。やっぱりやめとくか。

今年はフルIronmanが9月にみなみ北海道(函館周辺)で開かれることもあり(エントリー済み)、マルチチャレンジャーのハリ天の頭の中ではトライアスロンがちょっと抜きん出ている。もちろんラン強化が年単位で最重要要件であることは変わらないが、次はやはりバイクだ。走れなくてもバイクはOK。ってことで気分転換中。

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怪我への助走

2024年02月09日 | 日々奮戦

【久しぶりのPUMA。昨年8月発売と同時に購入しオブジェとして飾られていた】

・1月27日(土)今年の勝負シューズに取り置いてあった(左右非対称のデザインだけで購入していた)PUMAのディヴィエイト ニトロエリート2をレース1週間前にやっと下ろし試走。軽いしフィット感も気に入っていたのだが結構クッションは柔らかめ。抑え目ペースでおよそ30km。大したスピードではないのに何となく沈み込んだ分を力で押し返してしまっているような走りをしてしまったようだ。走り終わった直後から左ふくらはぎの張りが気になり出した。が、特に治療を必要とするほどでもなしという感覚。軽くマッサージ程度。

・1月30日(火)中2日置いて裏のトラックで他のシューズをチェックするためにジョグ。張りというよりやや痛みに近い感じがあったがまぁこんなものかなとやはり危険アンテナはそれ程反応せず。左ふくらはぎを探って行くと痛みは2ヶ所程の1円玉大に限定されていた。軽く鍼治療しておく。

・2月1日(木)念の為、1日空けて再度チェックジョグ。走り出しは快調だがスピード出すと怖い。シューズは迷いに迷った末、この所ずっと愛用のasicsメタスピードエッジ+に戻そうと。

・2月2日(金)練習はバイクだけだが、軽く小走りでは全く気にならず。念の為、テーピングの用意。久しぶりに自分用だとか言って張り切っていたσ(^_^;)

さて、本人がかなり大丈夫だと思い込んでいたというのが実際。「甘さ」の極地。最近、痛いところなど皆無だったし、故障とも縁遠かったのでまさに「油断」以外の何者でもないのだろう。


【本番では使われなかったけど素敵なシューズであることには変わりません】

慣れないシューズで間際の往生際の悪いロングジョグとその後の緊迫感のなさ。こうして冷静に振り返ってみるとしっかりと怪我(故障)への助走をしていたことが明らかに、、、。

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第72回別府大分毎日マラソン

2024年02月06日 | 大会レポート

【カテ3の最年長でした】

2020年の勝田サブスリーでゲットしていたカテゴリー3の参加資格もいよいよ最終年。今シーズンの頂上と考えていた別大。しかし、残念なことに胸を張れる準備は出来ず、おまけに直前の欲張り練習で久々のふくらはぎ痛をゲットしてしまい、これまた久し振りに自分のためにテーピング等施すという状況でのスタートライン。


【何年振りかのふくらはぎ痛】

うーん、目標はまさかの「時間内完走」まで下方修正せざるを得なくなってしまった。それでも現状ベストは必ずや。


【別大スタートライン。前方別府温泉に向かう】

ぐっと抑えた序盤はなんの問題もなかったが、なんと5km過ぎ付近で気にはしていたけどきっと大丈夫と思い込んでいた左ふくらはぎに早くも異変が。うーん、うーん。唸っていても状況は改善する由もなく、どうやら完全にふくらはぎ(筋膜だろうが)の肉離れっぽい。
このピンチをチャンスに変えるべく、地面は蹴らず衝撃の来ない着地に最大の努力を、工夫を。
とにかく我慢に我慢と工夫に工夫を重ねて走っていたが、一番恐れていた足をつけないなどという状況には陥らず、痛くてきついが5分を切るペースだけは最低限維持出来ていた。同じように左足を引きずるように走っていた選手に声をかけしばらく互いに引っ張り合う。

が、しかし。15km関門通過の際、係員が「残り30秒!」と叫ぶ声が聞こえた。ゲッ、やっぱりやばいのか。
安全走行している場合ではないことを理解し、スピードアップ。足には限界の4分45秒。これで余裕が出来たと安心していたら、20km関門手前、引き連れていた集団(女性が多かった)の後方からみんなが一斉にダッシュして先行していく。うわっ、まだヤバイのか。関門制限時間をチェックしてなかったのでわかっていない。釣られるように一緒にダッシュ。おかしなフォームだろうが知らん。
で、なんと3秒前ギリギリセーフ。後方には7人くらい。皆ゼーハーしながら息を整える。嗚呼、今の5kmのペースを維持しなければならないとなると、いよいよまずい状況だ。29km地点の弁天橋で応援のため待ってくれている妻のところまで辿り着くためには次の25km関門を突破せねばならない。しかし、足の痛みはそろそろ限界だろうと呟き始めているのだ。くっそ。元気はあるがスピードは落ちてくる。
そして迎えた25km地点。ん?大丈夫なのか、、、歯を食いしばって走るも係員がテープを持って関門を閉鎖している。50mくらいだったかなぁ。関門閉鎖ですという声と共に2024年の別大は25kmで終了という結果に。


【応援ナビより】

一生懸命やって来たつもりだけど、ちょっとどこかで完走くらいはと舐めてたかもだなぁ。
ま、そんなこと言ってもどうしようもない。しばらく大人しくしてとりあえずは足を治そう。そしてまた来年チャレンジに向かいます。

コメント (2)
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