麦の芽や大地の讃歌聞えさう 三好立夏
晩秋に蒔かれた麦は、一面の青々とした麦の芽となって広がって行く。長く続く冬枯れの中に見るその青さは、大地が生きているということ、そして生命の息吹がここにはじまるということを改めて実感する。「大地の讃歌」とは、そんな麦の芽への作者の大きな感動に他ならない。「聞こえさう」という不確定な措辞でありながら、読者にはすでに作者の心に響く「大地の讃歌」が聞こえて来るのである。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)
晩秋に蒔かれた麦は、一面の青々とした麦の芽となって広がって行く。長く続く冬枯れの中に見るその青さは、大地が生きているということ、そして生命の息吹がここにはじまるということを改めて実感する。「大地の讃歌」とは、そんな麦の芽への作者の大きな感動に他ならない。「聞こえさう」という不確定な措辞でありながら、読者にはすでに作者の心に響く「大地の讃歌」が聞こえて来るのである。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)