十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

揚雲雀

2015-05-11 | Weblog
ちぢまらぬ恋までの距離揚雲雀
蟇出づる縄文の影引き摺つて
横たはる海の群青ミモザ咲く
胎内につづくせせらぎ初桜     みどり


*「滝」5月号〈滝集〉菅原鬨也主宰選

 熊本県の一級河川、菊池川で吟行する機会がたくさんありました。
頭上には雲雀が賑やかに私たちを囃していました。(Midori)

麦の芽

2015-05-10 | Weblog
麦の芽や大地の讃歌聞えさう     三好立夏

晩秋に蒔かれた麦は、一面の青々とした麦の芽となって広がって行く。長く続く冬枯れの中に見るその青さは、大地が生きているということ、そして生命の息吹がここにはじまるということを改めて実感する。「大地の讃歌」とは、そんな麦の芽への作者の大きな感動に他ならない。「聞こえさう」という不確定な措辞でありながら、読者にはすでに作者の心に響く「大地の讃歌」が聞こえて来るのである。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

薄氷

2015-05-08 | Weblog

日に濡れて月に光りて薄氷     東 千秋

物理的な現象を言っているようでありながら、決してそうではない。
まるで薄氷に命があるように、日に濡れ、月に光るのである。
薄氷を見つめる眼差しが、薄氷をますます艶やかなものにしている。
「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

菜の花

2015-05-07 | Weblog
菜の花やしほさゐに聴く海難史    米澤貞子

強風や地震による津波は、いつ襲ってくるか分からない自然の脅威。今ではすっかりコンクリートの防潮堤が海岸をぐるりと取り囲んでしまった。さて、青々とした穏やかな海が眼前に広がっていれば、思いは一つの海難史へと及ぶ。「しほさゐに聴く海難史」と、詩情高く詠まれ、今を語る「菜の花」の明るさが、一句に深い抒情をもたらしている。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

2015-05-05 | Weblog
水の香を折り返してはつばくらめ    中嶋富恵

春になれば、万物は生命力と光に溢れ、水の香りもどこか違っているように感じられる。燕は、水の香りを知っているのか、水面を辷るようにやって来ては、また翻す。さて、「水の香を折り返しては」と、折り返した地点が、「水の香」であるという詩的把握。「折り返しては」の省略にある反復の動さを示唆する措辞。燕の到来への作者の素直な喜びが感じられる一句である。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

霾る

2015-05-03 | Weblog
つちふるや父の戦後の七十年     大坪蕗子

「つちふるや」で、想像されるのは、大陸での戦争体験である。大陸からさらに南下し、南太平洋での激戦を越えて奇跡的に生還した人々・・・。今年は戦後七十年を迎える。作者の父にとってどのような七十年であったのか?憲法九条をめぐって様々な動きがある中、戦争体験者は何を語るのだろうか。今日は憲法記念日。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

恋猫

2015-05-02 | Weblog
三日月へひらりと飛べり恋の猫     本田久子

寒さがまだのこる早春、猫は早くも恋の季節を迎える。恋猫にとって夜の闇は、絶好の求愛の場所。さて、恋猫が屋根から屋根へと飛び移ったかと思うと、ひらりと三日月に、飛び乗ったという。夜空に浮かぶ三日月ならば、きっと飛び移ることもできそうだ。三日月に、しなやかな恋猫のシルエットが美しく、スケールの大きなロマン溢れる発想が楽しい一句。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

春時雨

2015-05-01 | Weblog
潮騒をぬらしてゆきぬ春時雨     井芹眞一郎

「潮騒」は、三島由紀夫の小説のタイトルにもなっているように、どこかロマンと郷愁を覚える言葉である。それは、波音とも違う、遥か彼方から届く便りとでも言えるだろうか。さて、春時雨が、潮騒を濡らして、通り過ぎて行ったという。潮騒は本来濡れるはずもないものではあるが、一瞬きらきらと潮騒が耀いて見える詩情高い作品である。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)