沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

祝50歳 5年計画

2023年05月23日 | むぬかんげー

 8郎、このたび50歳になりました。妻と愛息10郎がケーキで祝ってくれました。

 50歳の誕生日はごくごく普通の日でした。片頭痛とともに置き、片頭痛とともに就寝しました。愛息10郎は高熱で野球を休みました。てな具合に、特段ハッピーなこともありませんでした。それどころか梅雨入りもする始末。灰色のアフター50を占っているとでもいうのでしょうか。。。って、そんなのカンケーねぇ!

 なんだかんだ言っても生まれてから50周年です。今や人生100年時代です。半分の50年というのが大きな節目であることに異論はありません。ということで、人生の記録という意味でブログを更新いたします。

 50歳の思いのたけは後ほどにして、誕生日当日のつれづれを。

 50歳の誕生日に合わせて15回目の人間ドックに行ってきました。その結果から。

 

身長 179.6㌢(50歳を境に「夢の180㌢倶楽部」はもうあきらめました。あとは軟骨がすり減るだけですから。息子に託したいと思います!)。

体重 82.7㌔(昨年より1㌔増。「50代は70㌔台で迎える」という目標を果たせませんでした。この馬鹿チンが! by 金8先生)。

体脂肪率 27.7%(筋トレは頑張っているつもりでしたが去年より2%も上昇! 加齢はもちろん息子の野球から離れたことも大きいですね~)。

腹囲 92㌢(醜い洋ナシ体形です。涙)。

 

 簡易検診は例年通り「70㌔台まで落とせば健康」というものでした(何年連続言われてるばー)。血圧が最高136、最低が94と上昇傾向にあるのは、体の維持機能が衰えてきていることを意味するので注意したいと思います。肝機能はすべてA評価なのでホッとしました。飲み会控えていますので。

 加齢と衰えを感じる検診結果ではありましたが、入院するなどの大病の気配は今のところほぼないということで安心しました。

 病気さえなければ、どこでだって戦える! 

 本題に入る前に、10年前の記事もアップしておきます。40歳になった当時の8郎の思いがコンパクトに記されています。

 

不惑の入り口で思うこと - 沖縄 8 Scene

先日、ついに40歳になった8郎です。思ったほどの感慨はありませんでしたね。これまでの40年を振り返ると、我ながら波乱万丈でした。地獄のようだった少年時代に夢見た...

goo blog

 

 

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 さて、50年を振り返ると、言い尽くされた言葉でしょうが、あっという間でしたね。『8郎50年史』については長くなるのでここには書きません。サラリーマンというライフスタイルで見ると、50歳を過ぎても部長どころか平社員のままです。昭和世代から見ると「部長になれなかった〝負け組〟」と言われるカテゴリーにいます。

 しかし、自分では負け組だとは全く思っていません。まず仕事で負けてなんかいないからです。また、説明責任から逃げ続けるクサレ社長が2代続き、ともに自己保身を理由に決めてきた、いわゆるイエスマン人事の延長線上の戦いにいるからです。今の立ち位置がそんなクサレに好かれる努力なんて一切しなかった見返りであるとすれば、それはもう大歓迎なのです。8郎の勝利とは言えないでしょうが、負けでもありません。最後は勝ちます。

 出世とは無縁でも今のところ収入は安定しており(5年くらい先まではぎりぎり何とか見通せるかな。。。多分)、沖縄の貧困事情に比べると現時点の生活水準に不満はありません。毎日出社できる会社があることに感謝でいっぱいです。

【後記】この記事をアップしたあとに、わが社の前期の「経常損失」が約4億円と発表されました。もちろん営業利益も赤字です。数年来、役員に居座るこの面々が経営陣として全くの無能であることの何よりの証左です。一番先に責任を取るべき人たちです。辞任してその莫大な人件費を若手にまわすべきです。しかし責任なんて取らないでしょう。株主総会で高齢社員株主どもが我先にと拍手で承認してあげるからです。悲しい会社です。もう終わっているのかもしれません。

 話を戻します。。。現在のサラリーマンとしての立ち位置に不満はありますが、不満を言うだけの人間にならないため、地道に努力を続けて、人生を少しずつ自分のものにしているつもりです。

 そんな庶民的おじさん、50歳として目標を5つ掲げました。5年スパンとしました。タイムイズマネーなので本音は3年にしたかったのですが、思わず語呂を合わせてしまいました。

 

 ①5回目の挑戦となる中小企業診断士1次試験に合格すること。

 ② 業務においても常に5年後を見据え取り組むこと。

 ③ 今まで控えていた外との付き合いも活発化する。

 ④ 終の棲家としたはずの自宅マンションについてもあり方を再考する。

 ⑤ 今後5年間は愛息10郎が人生の土台を作る正念場です。勉強を中心に親として最大限サポートする。

 

 以上です。

 ⑤まで掲げましたが、はっきり言ってに尽きます。を達成できなければ②以降のステップに取り組めないためです。「今年でFINAL」と決めた資格試験合格にまず全力注入したいと思います。それを前提に見ていきます。

 ②についてです。会社は右肩下がりです。取り組む業務も5年後に必要とされているか分からないものがたくさんあります。本当に必要な努力だけに注力したいと思います。無駄なことをやればやるだけ余命が短くなるのです。それを分かってないパフォーマンス社員が多すぎます。クサレ人事権者のケツの穴なめなめ合戦に参加するのは人生の無駄にしかすぎません。

 ③はいわゆる人脈づくりですね。この10年間はスキルアップを優先し、ほぼやっていないので。「人生最後の資格」はまだ取得していませんが、時間が立ち過ぎたので、そろそろアフター50の横のつながりを広げておきたいのです。飲み会、交流会など足を運びたいのです。と言っても、もちろんを達成すれば、ですが。

 ④については、今のマンションはほぼ完ぺきな住環境ですが、10郎が大学生になるころには、その意義が変わる可能性があります。また売り時というのがあります。住環境の評価が高いわがマンション。5年以内なら購入時より高く売れそうです。ただ、また買う余力が残っているのかという問題もあります。

 最後の⑤はある意味以上に大事です。8郎の残り少ない人生より、これから無限の可能性を秘める10郎の成長に労力を使ったほうがいいのは自明の理です。勉強を中心にサポートできることはやり尽くしたいと思います。今は8郎が勉強し続ける姿を見せることが最大の教育だと思っています。

 

 以上、目標を掲げてみたところ、はっきりしたことがあります。

 

 それは、時間はいくらあっても足りない、ということです。

 

 同時に憂う、または悩んでいるひまなんかないということでもあります。50歳を過ぎようが60歳を過ぎようが、目標を掲げた瞬間、人は歩き出さなければなりません。人生は常にチャレンジ。そのマインドを忘れずに、アフター50の人生を歩んでいきたいと思います。

 もちろん、この会社でサラリーマンを全うし定年退職できるなら素晴らしいことでしょう(23年前にひねくれ者8郎を拾ってくれた上に、普通のサラリーマンには体験できないことをたくさん体験させてくれたこの会社には感謝しかありません)。しかし円満退職は現実を見ると難しそうです。外的要因としては、うちの商品がデジタル化に伴い社会的需要がいずれなくなるのは目に見えている、ということです(マネタイズが厳しいという意味で)。内的要因はさらに悲しく、前述の通りのイエスマン人事が幅を利かすのは間違いないので、今後も8郎の登用はまず考えられません(もちろん目の前の業務はクサらずに全うしますが)。

 以上の内外要因を分析した上で、例え何があっても、会社にしがみつくだけの50歳でなく、世の中から求められる50歳でいたいと思っているのです。そしてアフター60でも挑戦している自分であるために。そのための努力を50歳前半も続けたいと思います。後半に入るころ、大きな賭けに出ざるを得ないときが来ると警戒しています。年頭に掲げた、これまでの経験を活かし未来に向けて変化する「8郎2.0」(笑)を意識し、挑戦していきます。そのほうが絶対に楽しいし、努力する意味があると考えるからです。

 

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 ということで、ナカユクイです。50歳初のおいしゅうございましたシリーズです。

 人間ドックが終わった日、早速浦添市の「高江洲そば」さんに足を向けました。開店時間の午前10時前に着いたのですが、すでに10人ほど並んでいました(驚)。「ソーキそば」とジューシーおにぎりを注文。50歳初めてのランチ(ブランチ?)が沖縄そばであることをうれしく思いました。50年前にこの島に生まれた喜びに偽りなんてありません。ウチナンチュ最高のソウルフード、大変おいしゅうございました。

 別の日には妻と二人で熊本ラーメン「育元(いくげん)さんに。焦がしニンニクの豚骨スープ、チャーシュー、角煮がおいしゅうございました。

 ただ、8郎個人的には麺が合いませんでしたね~。ソーメン系の淡泊な麺でした。あと、乗せられたキャベツは事前にスープで煮込んだものがいいかなと感じました。そして、いい具材を使っているはずなのでしょうがないのですが、ちょっとだけお高いですね。とはいえ総合的に友人・知人に紹介しても間違いのない店だと思います。店内もきれいで落ち着けます。 

 ご参考に公式サイトをリンクしておきます。

 

熊本ラーメン 育元 経塚店

秘伝ダレで仕上げた角煮と特製マー油の本格豚骨スープが決めて『熊本ラーメン 育元 経塚店』1番人気の「ターローメン」をぜひご賞味ください

熊本ラーメン 育元 経塚店

 

 この50歳は70㌔に戻るつもりがあるのでしょうか。

 

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 愛息10郎が硬式野球チームの体験入団期間を終え、正式に入団しました! 「10郎甲子園  第二章」の開幕です! 妻ともども人生最大の楽しみが再び始まりました。新入部員は30人超。1軍入りを目指して激しい競争の始まりでもあります。入団式には妻が同行しました。

 「入団祝弁当」まであったようです! 県内中学硬式クラブでは〝最強〟をうたっているようですから、相当気合入っていますな~。

 参加した妻によると、180㌢弱の8郎より大きくてごっつい、野球部経験者お父さんがたくさんいたようです。「自分の息子をプロ野球選手に!少なくとも甲子園球児に!」という野球オヤジたちなのでしょう。レギュラーの競争は厳しいでしょう。でも、10郎、君の父ちゃんは極貧家庭の事情で少年野球を1年で断念せざるを得なかった男だが、その悔しさと野球愛を君に全身全霊(多分)で伝えたはずだ。ひるまずにエースで3番を堂々と狙ってこい! 君ならできる!🔥

※大谷翔平選手の活躍もあって、令和の時代は最強打者は4番でなく3番だと考えています。

 

 そんな10郎ですが塾でも頑張っています。成績次第でクラスを入れ替える「Vテスト」なるものがあるのですが、なんと前回より順位を上げたようです! 8郎は「今回はクラスに残るだけでも難しい」と見ていたのですが、それを覆す成果でした。8郎は10郎に「あの時いやいやしがならでも問題を解いていた君の努力がこの結果をもたらしたんだよ」と褒めてあげました。

 そんな愛息ですが、塾の先生にもかなり期待されているようで「(大谷選手のように)目標を紙に書いておくともっと伸びるよ」と言われたとのこと。父の勉強部屋からA4用紙を持ち出し何やら書いていたので、受け取って中身を確認してみると。。。

 全部、野球あらに!(爆)。塾の先生も想定外でしょうね。高校3年生となる5年後の2028年まで書かれていました。

 いろいろ面白いのですが「身長183㌢」とトーンダウンしたのは笑ってしまいました。小学生のころは「柳田選手くらいの189㌢までは絶対に行く」と言っていたのですが、両親の身長を足して2で割るどうたらこうたらの「公式」なるものがあるようで(妻が153㌢なので公式にあてはめると10郎は174㌢どまりです)、中学生なりに現実と向き合ったのでしょうね。。。それでも目標として掲げた数字は「180㌢倶楽部」入会可能だぜ。父ちゃんの果たせなかった夢(笑)をぜひ果たしてほしい。

※ブログ更新の日に、中学生初の身体測定があったらしく、166.5㌢だったそうです(以外と伸びてない!やばっ)。どんどん食べて、いっぱい寝よーぜ! 柳田クラスは無理でも、清宮クラス(184㌢)はあきらめるな!

 

 さぁ、人生節目の50歳からすでに数日が過ぎました。人生100年を全うするまでどんどん残り時間がなくなっていきます。5年後の目標まで掲げた息子に負けじと、気持ちを新たに、50歳のおっさん、しっかりとしたたかに歩いていきます。