2008年に亡くなった、いちどぅしヤスーンを慕う仲間たちで、十三回忌を記念した男旅をしてきました。この旅を企画した幹事8郎にはもう一つの大きな意味合いもあったのですが、それについては後編でお話しします。旅と言っても目的地は県内の屋我地島。この島を選んだのに特に理由はありません。沖縄最高のドライブコースのやんばるであることと、ネットで評価が高いペンションがあったから、くらいでしょうか。そんなおっさん旅、いや男旅の模様を前後編に分けて報告いたします。下写真は恩納村真栄田岬での献花のシーンです。ヤスーンが眠る場所です。
今回は呼び掛けた5人のうち4人が参加してくれました。砂吉は残念ながら諸事情により参加できませんでした。寂しかったけど、砂吉の分まで楽しんでくるぜ、と気を取り直しました。
もちろん沖縄県内は、新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が延長されたご時世。みなマスクを着用し、車内にも消毒ハンドジェル、消毒シートを完備してのドライブを徹底しました。N高時代なら「しむさ」(方言で、気にするな)とマスクなど着用しなかったはずですが、みんなもう初老なので感染がリアルに怖いのです(笑)。時の流れは早い。
まず向かったのは、冒頭写真にあるように8郎とヤスーンのダイブの思い出の地である恩納村の真栄田岬。コロナの影響で、管理施設は休業中でした。ご覧のように施設内はガラガラ(数人の観光客はいましたが)。
8郎もこの岬を訪れたのは数年ぶりですが、吹き向ける海風と真っ青な海に、とても崇高な気持ちになりました。タンクを持った褐色のヤスーンが笑顔で迎えてくれそうな気がしました。
吹き流しの角度で強い風が吹いているのが分かります。台風9号が接近していたからです。結果から言うと非常に強い台風でしたね。
沖縄の海は美しい。ヤスーンと潜った13年前を思い出してしまうのは至極当然なこと。
ダイビング船が10隻程度いました。県内有数のスポット「青の洞窟」に潜っているのでしょうね。海へ降りる地獄の階段が懐かしい。ここでヤスーンと男二人で記念撮影したなぁ。
海に降りる階段は入口で金網封鎖されていたので入れません。仕方なく、フェンスに花束を供えました。ヤスーンが命を落とす悲惨な事故があったのは県外の冬の寒い海でしたが、その後、どぅしぐわぁたちが遺骨をこの美しい真栄田の海に散骨したのです。ヤスーンを沖縄の温かい海で眠らせてあげたかったのです。
ここで供養するということは、同時に、ヤスーンが旧盆飲み会に参加するためにグソー(方言であの世)から帰ってきたことを意味します。さあ、ヤスーンも車に乗り込んで、男旅の始まりだ!
早速ランチへと向かいます。恩納村の老舗レストラン「シーサイドドライブイン」です。
駐車場から海が一望なので、あまりの美しさにパチリ。エクストレイルが海に映える~。前回ドタキャンのTら~(写真左)は今回全身の黒のスーツ姿で参加(爆)。ウケを狙ったのであれば、さすがとしか言いようがありません。ウケでなく本気だと言われれば、これはもうすでに8郎の倫理観を超えています(笑)。
ところで、Tら~は一人だけ昼飯を食わず車中で寝ていました。病から回復したとは言え、まだまだ本調子じゃないのかな。それだけが気にかかりました。
この有名レストランについては、同レストランHPから引用させていただきます。
1967年創業、沖縄初のドライブインレストラン。冷蔵庫の製造業者として米軍基地に出入りしていた創業者が、基地内のレストランを見てそのスタイルを気に入り、アメリカの文化にたっぷりと影響を受けて、地元である恩納村(おんなそん)にオープンしました。オープン当時からドライブ途中の休憩場所として利用される方が多いレストランです。当時から現在に至るまで、全ての料理がテイクアウトできて、イートインもできるドライブイン形式として、沖縄県内でも初めての「レストラン」です。
だそうです!
看板に24時間とうたっていますが、コロナの影響で時短営業しているようです。でも午前8時から午後10時って十分に長くね?(笑) おつかれさまです。
窓からの光景は干潮ながらも青い海。目を癒してくれました。
コロナや熱中症、台風、さらには突然辞任を発表した安倍首相の件などもあって、忘れられがちな「首里城再建」。再建の協力を呼びかけているお手拭きでした。
当レストラン名物の一つスープです。この種のアメリカンスープは那覇市内のステーキ屋でお代わり自由になれているせいか、一杯¥250は非常に高めに感じました(セット付のメニューもありますが)。8郎は我慢できずに生ビールも注文。もちろんここで運転を亀さんに代わってもらえるからです(感謝)。昼間のビールのうまいこと、うまいこと!
8郎が注文したフライライス(¥900)。フライと言っても揚げているわけではなく、しっとりしたチャーハン、ピラフといった感じです。完全に家庭の味ですね。外食に来てまで・・・ピー。
亀さんと森ドゥは、最もポピュラーなビーフカレー(¥850)を注文していました。森ドゥに味見をさせてもらいましたが、40代以上のウチナンチュにとってとても懐かしい黄色のカレーでした。でも懐古主義には浸れるものの、もはや8郎は注文しませんなぁ。COCO壱の方が安くておい・・・ピー。まぁ、カレーは好みですから! 亀さんに写真を撮ってもらいました。
使わせていただきます。ヤマトゥーになんと言われようと、カレーにピーマンは必須だと断言させてください。8郎家では見えないほど刻みます(隠し味的存在なので)。
老婆心ながらお店の方にご提案があります。もうちょっとていねいに盛り付けていただけませんか。フライライスもカレーも皿の縁にこぼれています。SNSでの口コミも大きなPR戦略となるご時世では見た目も大事ですよ。老舗とは言えてーげー(いい加減)主義では生き残れません。沖縄県民の経済的自立を心から願う通りすがりのウチナンチュより(クレームではありません)。
でもとてもいいレストランでした。抜群の立地環境はもちろん、館内にはレトロなバイクの展示などSNS映えするコーナーもあります。特に観光客の方には足を運んでもらいたいものです。
満たされすぎたおやじっ腹を抱え再び北上。ビールを飲んでいない亀さんがドライバーです。西海岸の美しい光景とTら~のギャグが冴えわたり、楽しいドライブとなりました。
名護市に入ると、Tら~おすすめの休憩スポットで一息つくことに。国道58号沿いの数久田(すくた)のバス停です。風情あるバス停でした。Tら~によると映画の撮影でもよく使われるのだとか。
動画撮影にいそしむ8郎をTら~が写真撮影してくれました。ツルピカにしてこわもての8郎。マスクをつけるとさらに危険分子感が増します。海辺でカメラを持っていたら、沿岸警備隊にいつ拘束されてもおかしくありません(笑)。
ちなみに、手にするビデオカメラはSONY製で10郎が生まれるときに購入した、まさに10年もの。現役バリバリですが、時代遅れ感は否めませんね。スタビライザーなどもちろんありません。改めて確認してみるとぶれっぶれです(笑)。今回の旅では、時間が経つにしたがって撮影量が落ちたので、とても反省しています。遊びながら写すというのは難しいものですね。これから作成する予定の動画、なんだか失敗しそうです。
ところで、亀さんと森ドゥの二人は、このような絶景ポイントで停車しても、「暑い」と言って車を降りずじまい。せっかくのドライブなのに残念! これが加齢というものか。。。
名護市のスーパーで名護に単身赴任中のポン先生と合流しました。元気そうでした。N高時代からほとんど容姿が変わらないポン先生。奇跡の47歳✨と呼んでおきましょう(笑)。ここから「働き続けで24時間寝ていない」と訴える森ドゥが運転を交代しました(怖)。居眠りさんけよー。友の過重労働の心配より自己保身を優先する悪8参上。
寄り道しながら那覇から5時間。ついに屋我地島の宿に到着です。「サザンライトクラブ やがじ家」です。民家をリフォームしたペンションです。なんだか、旧盆に親戚の家を訪れたみたいで、いい感じです。
塀越しに見えるは、ポン先生の20年ものの愛車トヨタハイラックスサーフ、もちろん右は8郎の8年もの愛車日産エクストレイルです。今回の男旅になくてはならない相棒たちです。RV、四駆って、まさに男の車ですね。黒塗りのベンツやレクサスに全く興味のない庶民派サラリーマン8郎です。
外観もおしゃれでした。
アメニティに関しても、そんじょそこらのホテルより充実していました。星4つを付けさせていただきます。5つにならなかったのは、ただ一つ、HPで「歩いて30秒」と表記されているほど海が近くなかったことだけです! 部屋内部は後日作成予定の動画をご参照ください(作成しないかもしれません)。
コロナ対策の体温計がありました。5人とも2日間平熱でしたよ。
ところで、チェックインと同時にこの旅最大のトラブルが発生したのです! 旅の記念に経緯を記しておきます。
実はこの宿を予約するとき、8郎は自分の名前を使わず、亀さんの名前で予約していました。なぜかというと、かつてこの地で仕事をしたことがあり、地域住民の方に自分の名前を知られている可能性があったからです。関係者から急に訪ねられても困るという、それだけのものでした。また過去にも同様の理由で飲み屋の予約で亀さんの名前を借りることもしばしばあったので、ネタ的にも自然の流れと思っていました。さらに今回はその旨、LINEで亀さんに事前共有していました。
ところが、宿主から安倍政権の失策「GOTOキャンペーン」関連の説明を受けた途端、亀さんが激変したのです!「えーひゃぁ、8郎! 勝手に俺の名前使わんけーどー」と叫びまくります。理由を聞くと、キャンペーンの旅行費3割引きを実現するためには、政府に申請しなければならず、その書類に住所、氏名など個人情報を書かなければならないからだとか。ほかの4人は「なんで、書けばいいあらに」と一様に思っていたはずですが、亀さんの根拠不明な怒りは収まりません。「本土に郵送しないといけないらしい」「それに関連してわったーやーに行政から問い合わせが来たら、どう責任取るばー」と口から唾を飛ばす勢い(コロナで飛沫厳禁ですよ!)で8郎に怒りをぶちまけます。
念のために「亀さん、もしかしてGOTOって知らないの?」と聞くと、亀さんは明らかに狼狽の色を見せました(新聞読んでないのか)。それが逆効果だったのか、8郎の胸ぐらをつかみ「知らないわけねーだろうが」とすごみます。あまりの恐ろしさに8郎は土下座までして謝りましたが、亀さんの怒りと混乱は収まりません。「無断名義使用の重罪あらに。指を詰めて仁義を見せてくれんか」とまで言われましたが、周りが仲裁してくれてなんとか事なきを得ました。あんな狂暴な亀さんを見たのはN高以来初めてです。けっして年齢からくる尿漏れではなく、本気でちびりそうになりました。
もちろん上記のくだりの半分(以上?)は「盛って」ますが(笑)、日ごろ温厚な亀さんの慌てぶりに、「行政に名前を出すと何かやっかいなことがあるのだろうか」と疑ってしまった8郎です。そのような「話せない話」がもしあるなら、忘年会で聞かせてください。楽しみにしています。立ち退き料関連かなぁ。ぴーがちゃ。
そんなどうでもいい話はさておき。無事チェックインしたものの、みんな「暑くて出たくない」(悲)と言うので、8郎一人周辺を散歩することに。このペンションの石垣は古いやつをまんま使っており、古き良きウチナー感を演出しています。でも所有者かつ利益を生み出しているのは県外からの移住者、というのが何だかさみしいですね。経済活動は自由であるべきでしょうが。こればかりはウチナンチュにしか分からない感情でしょうね。
ブーゲンビレアとすーじぐゎ(小径)。沖縄の原風景です。ブーゲンもハイビスカス同様、外来種ですが。。。
ぶらぶら歩いて1分、そのすーじぐわぁを抜けると絶景が待っていました。
羽路内海の穏やかな水面です。2組ほどの釣り客がいたくらいで、ほぼプライベートビーチでした。BBQまで時間がないので泳ぎませんが、明日こそは必ず。
このあたりは済井出(すむいで)といいます。記念碑のようなものが建立されていました。
宿に戻ると、宴会の始まりです。今回は経費をなるべく落とそうと、各自がお酒を持ち込んでいました。8郎は、亀さん持参の「Havana Club 7年」が一番おいしかったですね。キューバ産のさとうきびを使ったラムです。南国感漂う甘口って最高です。南国育ちのDNAでしょうか。それにしても亀さん、前回同様、いい酒持ってる。
夜は庭でBBQ。セットもすべてそろっていました。ただ照明が蛍光灯なので、ちょっと雰囲気が落ちます。8郎持参のランタン2つが大いにアウトドア感を醸し出してくれました。牛肉は前回の国頭村の旅に続いて、森ドゥが仕入れてくれました。おいしゅうございました。焼いたのもほぼ森ドゥだったね。ありがとう!
8郎持参のメスティンでつくった「あさりの白ワイン蒸し」です。ムール貝がなかったための代用品でしたが、みんなに喜んでもらえました。プチトマトと赤唐辛子がポイントでした。
BBQで腹を満たしシャワーを浴びたあとは、部屋に戻りクーラーをガンガンにきかせて、You Tube鑑賞会です。ポン先生はカラオケ用マイクを持ってきていましたが、8郎の釣り竿同様、今回は登板機会にめぐまれませんでした(泣)。次は本物のカラオケで十八番の爆風スランプ期待しています!
ランチビールからの延長線上にあった8郎はすでに疲労困憊。午後10時ごろには布団にバタンキューしてしまいました。みんなは深夜までYou Tube三昧だったそうです。おかげで大切なことを忘れていました。8月に誕生日を迎えたTら~の誕生祝いです。くす玉もクラッカーも使わずに今家にあります。
寝床に付いたとはいえ、ハンモックに巣ごもりした亀さんの豪快ないびきに悩まされ、8郎とポン先生はほとんど眠れず。さらに室内の非常用案内板がやけに明るかったのも災いしました。玄関にもあるから、ここはいらないんじゃないの!?(宅建士が言うべきセリフではありませんね)。もちろん、ちゃんとしたセミダブルベット付きの寝室があるのですが、今回は夜にかけて体調不良となったTら~が独占。おそらく30時間ぶりの睡眠となった森ドゥは亀さんに負けじといびきをかいて爆睡していました。肉係やドライバー、おつかれさまでした。
清潔な布団だったのもあって、8郎も熟睡こそできなかったものの、数時間ですが快適に横になれました。飲みに帰ってきたヤスーンに十分付き合ってあげられなかったような気がしたのも事実ですが。悪かったね。
12年目の男旅の初日は、加齢を痛感しつつ、こうして終わりました。