JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

柳沢バブ陳謝

2007年02月07日 | a-c

先日、「女性の話は小さい話がどんどん膨らんで、あらぬところまで波及する」的な発言をいたしましたが、何処かの大臣のごとく失言であったと深く反省しております。
というのも・・・・、

今日行きつけの喫茶店で昼食を食べていた時のこと、同席のお客さんとしばしのジャズ談義とあいなりました。その中で
「コルトレーンは、ブロードウェイを観に行って感激したから『マイ・フェイヴァレット・シングス』を演奏しようと思ったのかねぇ?」と彼
「いやいや、『ジャズ・ギャラリー』かどこかで演奏している時に、どっかのオッサンが楽譜をもってきたらしいですよ。」

御存じ、「マイ・フェイヴァレット・シングス」はミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌でありますが、ブロードウェイでの初演は1959年11月16日、コルトレーンがアルバム「MY FAVORITE THINGS」を録音したのは翌年10月ですから、とうぜんブロードウェイを観てと考えるのもわからなくはありません。
でも実際は、売り込み屋がコルトレーンのところに楽譜を持ち込んだというのが真相のようで、現代と違い、ブロードウェイ・ミュージカルの評判がすぐに全米に広がるという時代ではありませんから、同アルバムがヒットしたあとで、映画「サウンド・オブ・ミュージック」が公開になったときには、「あれ?この曲はコルトレーンの曲じゃなかったの?」と多くの人が思ったということであります。

「そうするとさぁ、『マイ・フェイヴァレット・シングス』の著作権料はどうしたんだろうね?」
「えっ?レコードの販売元で支払ったんじゃないですか」
「そんじゃ、ライブでそこらじゅうで演奏した分は?」
「それは、ライブ主催者が払ったとか・・・」

私だって音楽著作権協会の人間でもないし、弁護士でもないしねぇ、そんなに詳しくわかるわけもありません。
ともかく、そんな話から今度は『著作権』の話に

「著作権て、何年有効なの?」と彼
「え~と・・日本だと50年だっけ、マスター?」
「俺もそのへんは詳しくないなぁ」とマスターが答えたので、
「あれ、だってマスターの店だって支払ってるでしょ、著作権料」というと
「何?喫茶店のBGMにも著作権料ってかかんの?」と彼がビックリ
「それはそうなんだけどね、うちは有線使ってるから、有線会社で支払ってるわけよ」
すかさず私が
「またまた、CDだってかけてんジャン」
「・・・・・・」
「なになにCDかけても、別にかかっちゃうの???」とさらに彼はビックリ

そこで、何年か前にあった新潟のジャズ喫茶「スワン」の著作権料請求問題の話が始まりました。(このお話は後ほどとして)

「いやぁ、複雑なんだねぇ著作権て」

私自身、何年か前にアマチュア・バンドのコンサート運営の手伝いをしたことがありましたが、その際も著作権料に関しては、曲申請をしたために演奏曲目をあらかじめ提出してもらったりたいへんでした。(コンサートの場合、一括申請も可能なようですけどけっこう金額ははるんですよ。)

「そうそう、例えば、チャーリー・パーカーがジョージ・ガーシュインの曲を演奏しているとかいうものなら、全く著作権料は発生しないはずですよ。っていうか、パーカーの曲はスタンダードのコード進行だけ拝借して、メロディーを乗せた、ある意味彼のオリジナルが多いから、ボーカルものでも無いかぎりは著作権には引っかからないかもしんないなぁ、とりあえず日本国内では」と私が言うと
「なんでなんで?」と彼、
「だって、死んでから50年以上たってるもん」
「なになに、じゃ仮にネット上で流したらどうなんのよ?」
「世界発信だからねぇ・・・・どうなんだろマスター?」
すると、マスターが
「海外発信のエッチ画像は堂々とネット上に流れこんでんだから、問題ないんじゃないの」
「おいおい、それはぜんぜん違うから」
あらあら、話がまたまたずれていく・・・・

ほらね、話がどんどんいらぬ方に一人歩きしていくのは、女性だけじゃないんですよ。先日の私の発言は、かくも不用意なものでありました。改めて、お詫び申し上げます。

さて、今日の一枚は「MY FAVORITE THINGS」といきたいところだったのですが、以前に紹介済みですので、同アルバムに行き着く前、自己のオリジナル・バンドのメンバー集めに悩んでいた時期のアルバムにしてみました。

共演ドン・チェリーと聞くだけで、顔をしかめられる方もいます。しかも「コルトレーンのアルバムの中でこれがとても良い」という方にもあまりお目にかかったことはありません。
たしかに、前後の「GIANT STEPS」「MY FAVORITE THINGS」と比較すると、探り探りしながらの演奏に聞こえるのは確かですし、初のソプラノ・サックスも自信をもって吹いているとはちと言えません。ドン・チェリーの名前が先にきてもよいほど、自信みなぎるドン・チェリーの演奏が光る一枚だと思います。
オーネット・コールマンのグループが「ファイブスポット」で脚光を浴びる中、コルトレーンは時間があるかぎり彼らの演奏を聴きに出かけていたといいます。
コールマンに「君から受けた授業料だ」と30ドルを添えて手紙を送ったとか、ともかくこの時期、コールマンとコルトレーンは仲良く音楽論を語り合う間柄であったことは確かです。
そのコルトレーンがお頭抜きのオーネット・コールマン・グループとどう渡り合い、コールマンの曲をどう演奏するのか?
そして、突然、彗星のごとく現れたコールマンと、当時それでもなお、確実な評価を得ていなかった努力の人コルトレーン、この二人の違いを確認する一つの材料として、このアルバムは貴重な一枚であると私は思っています。

THE AVANT-GARDE / JOHN COLTRANE & DON CHERRY
1960年6月28日, 7月8日録音
JOHN COLTRANE(ts,ss) DON CHERRY(tp) CHARLIE HADEN[1,3] PERCY HEATH[2,4,5](b) ED BLACKWELL(ds)
1.CHERRYCO
2.FOCUS ON SANITY
3.THE BLESSING
4.THE INVISIBLE
5.BEMSHA SWING