JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

お墨付き楽団

2006年11月07日 | j-l

昨晩は最近仕事に燃えているS君と久しぶりに飲みに出かけました。奥様がこのブログの存在をお知りになったそうで
「バブ、お前、有ること無いこと、ブログに書くなよなぁ」
「あらま、失礼しちゃうね、あんたの悪口とか、変な事なんて書いたこと無いよ。それに、あなたは奥様に知られて困るようなことはしてないでしょ・・・・少なくとも俺の前じゃ(笑)」
奥様、ご報告します。
昨晩は寿司屋で刺身をつまみに、二人でビール1本、二合徳利5本ほど、教育問題を熱く語りながら飲み、その後は、いつものバーでM君はマッカランを、私はハーパーをロックで二杯ほど、ここで彼は「眠いから帰る」
奥様、このごろ彼はめっきり酒に弱くなってしまったようですねぇ。体にはじゅうぶん注意して上げてください。えっ?私ですか?私はその後何杯飲んだかなぁ?

思い出話が増えるということは、歳をとった証拠であり、今現在の生活に魅力が無くなってきている証のようにも思います、S君が帰宅したあと、ママとこんな昔話をしてまいりました。
まるで、イージーリスニングの代名詞的存在であったポール・モーリア氏が81歳でお亡くなりになったという訃報から・・・・・・・・・・・

私が高校入学間もない頃のこと、
「部活何やんの? 決まってないんだったら、俺ちょっと見たいところがあるから付き合ってよ」
友人に誘われ、のぞきに行ったのが『放送部』という、当時の私にとっては考えられない所でありました。
この部の最大の利点は、『放送室』という学校施設を好きな時間に自由に利用できるということ、つまりはレコードの試聴が校内でも可能ということです。
運動部は、そろそろ止めようかなと思っていた私は、(今の私を知る人は、全く信じられないでしょうが、小学校から中学まで、私はスポーツ大好き人間でした。)友人が入ることもあり、部活動としてこの『放送部』を選んだのです。
そんなんで、部活を選んだのかって?
・・・・・・・・・・・じつは、もう一つ理由がありまして、駅のホームで見かけたかわいい子が、新入部員の中にいたんですよ(はははははは)、でも彼女はすぐに止めてしまったんですけどね。
ともかく、以降3年間、『ジャズ喫茶』でのアルバイトの傍ら、この部活動を続けることになります。

「あっ、えっ、いっ、うっ、えっ、おっ、あっ、おっ・・・・・・・」
「青は藍より出でて藍より青し、阿波へ藍買い阿波へ繭買い、赤巻紙黄巻紙青巻紙に長巻紙・・・・・・・・・」
もちろん、私はアナウンスという柄ではありませんでしたので、練習はしつつも、録音や番組企画を担当しておりました。
大会(あったんですよ知ってました?地方予選から全国まであったんですから)用の番組作りはもちろん、誰が聴いていたのかわからない昼休みの番組も毎日制作しており、そこそこ忙しい放課後を過ごしておりました。
えっ?バイトはどうしてたのかって?
平日は夜、あとは日祭日にやってました。たまに平日の放課後までなんてこともあったかな、朝の10時過ぎまで暇を潰して、バイトして、部活が始まる時間に学校行くみたいな(笑)

話を戻しましょう、当時、校内で流せる音楽というのは今ほどの自由さが無くて、ロック、フォーク、ブルース、ジャズ、歌謡曲などは、放送室内では聴けるものの、校内放送に使うとなるとかなりの規制がありました。拓郎ですら、そうそう使えなかったんですよ。一度「『キンタの大冒険』をゲリラ的に流そうか」なんてバカなことを提案したこともありましたけど、
そんな中、もっともBGM的に使っていたのがポール・モーリアだったのです。
私の担当番組など、枕のBGMはたしかポール・モーリア楽団が演奏する「ヘイ・ジュート」という、なんとも奇天烈なものであったと思います。

放送部の備品としてあったレコードは『効果音全集』『映画音楽全集』、そしてポール・モーリアだけ、あとはそれぞれが持ち込む個人所有のレコードというじつに貧しいものでした。

余談ですが、週に1度だけ生放送がありまして、「キンタの大冒険」はさすがに無理でしたが、サンタナ、クラプトン、ジェフ・ベック、E.L.P、シカゴ、なんてのはかけてましたよ。誰も聴いてなかっただろうけど(笑)

というわけで、私の場合、ポール・モーリアを聴くと、マジック・ショーではなくて、あのちんけな放送室を思い出すのです。他校に比べると設備はとんでもなく素晴らしいもので(皮肉ですよ)スタジオ設備らしきものもありませんでした。番組作りには苦労したんです。
まぁ、3年生の時には、全国大会で博多まで旅行させていただいたので文句は言えませんけどね。博多弁で準備を手伝う地元の女子高生が、あーた、そりゃもう可愛くてね・・・・んっんっんっ!

とまぁ、こんな思い出話をしながら飲んでいると、時間を忘れてしまうんですねぇ。ママ、つまらない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

さて、今日の一枚は、思い出ついでに
バイト先に一年ほど通い詰めていたHさん(じつはママに惚れていたらしいのですが)に、聴かされ続けたアルバムです。
フュージョンという言葉が使われ始めたのはいつ頃だったでしょうね、その前はクロスオーバーなんて言い方もあったなぁ、そのずーっと前はジャズ・ロック?
アメリカにジャズ・ロックという表現はあるのでしょうか????
ともかく、リー・モーガンの「THE SIDEWINDER」を皮切りに、ハービー・ハンコック「WATERMELON MAN」、ルー・ドナルドソン「ALLIGATOR BOGALOO」といったあたりをそう呼んだわけです。かなりの批判論もあったそうですね「軽すぎる。ジャズに比べると底が浅い。」(何の底なのか、私もよくわかりませんけど)みたいな。私も「変革こそジャズだ」なんて、革新を装っておりましたけど、フュージョンと呼ばれる頃にはすでに時代遅れに成り下がっておりました。
そんな、ジャズ・ロックと呼ばれた中で今日のアルバムも大ヒットを記録したのです。

「このアルバム聴くと乗りがよくなって楽しくなんだよな」とHさんは言っておりました。たしかに楽しく、気軽に聴ける一枚であるとは思います。
でもね、毎日のように聴かされると、幾分鼻についたりもするんですよ(キース・ジャレットの「KOLN CONCERT」なんかもそうでしたけど)。もちろんそれはHさんのせいであって、アルバムが悪いわけではありませんよ。だって、そう言いながらも今でも趣味部屋の掃除あとなんかに、思い出したように聴いてるんですから。

THE IN CROWD / RAMSEY LEWIS
1965年5月13~15日録音
RAMSEY LEWIS(p) ELDEE YOUNG(b,cello) RED HOLT(ds)
1.THE "IN" CROWD
2.SINCE I FELL FOR YOU
3.TENNESSEE WALTZ
4.YOU BEEN TALKIN' 'BOUT ME BABY
5.LOVE THEME FROM SPARTACUS
6.FELICIDADE(HAPPINESS)
7.COME SUNDAY

追伸、
強い低気圧の影響を受けるのは、太平洋側の専売特許かと思いましたら、本日は日本海側、北海道で猛威をふるったようで、被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。
私の所でも、どす黒い雲が一気に空をおおい、突然雨が降ってきたかと思ったら、30分もしないうちに、こんどは青空、じつに変な天候でした。
ほぼ同じアングルで、黒雲、30分後、二枚の写真を撮ってみました。