毎日のできごとの反省

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左翼全体主義考(3)左翼は全体主義である(最終版)

2019-07-25 16:05:44 | 共産主義

(3)-1 戦後の共産主義

 戦後日本の共産主義は、政府がGHQに抑え込まれたことにより、拡大した。一つは無力だった刑務所にいた共産主義者の釈放による登場と、戦前の潜伏共産主義者や偽装転向者との合流による共産党と社会党という共産主義政党の結成。二つ目は共産主義学者やジャーナリストの復活である。学者の中には家永三郎のように、戦前は皇道主義を唱えていたものが、時局に乗って、共産主義的言動をするようになった者も少なからずいた。朝日新聞などのジャーナリズムは、元々いた隠れ共産主義者が復活すると同時に、GHQの弾圧によって朝日新聞のみならず、一般スコミは左傾化していったのは、時勢に阿っていたのだが、世代が変わると左傾言論は「社是」となっていった。

 三つめは共産主義系労働組合である。共産主義労働組合の主力は、国鉄、国家機関、公教育者の労働組合である。これらを官公労とすれば、民間会社は自社が潰れたては困るから過激な左翼運動はあまり出来ず、官公労が主体となったのは自然な成り行きである。こうしてGHQによる自虐史観が、マスコミや政党に跋扈し、公然とした言論は自虐史観しかなかった。子供の頃の小生の周囲は、残虐な日本軍のイメージとは程遠い人たちばかりであったから、自虐史観にあまりの不自然さを感じていて、戦前の日本人の行動の弁明を求めた。

 従って、自虐史観しかなかったとしても、常に疑問を持つことが多かったため、自虐史観にどっぷり浸かることはなかったと思う。しかし、維新以後の戦前日本の行動を具体的事実を持って、肯定的に評価するには二十年は要したと思う。大平洋戦争という、教科書の用語から脱したのも時間はかかった。父母が決して「太平洋戦争」とは言わず大東亜戦争、と言っていたのを子供心に不可解に思っていた。

小生は「大東亜戦争」が自然と言えるように、逆洗脳を自らかけていたのである。従って、今では「太平洋戦争」と言うか「大東亜戦争」と言うかを、ある人物の歴史観を判定するリトマス試験紙にしている。いかに立派な論を説こうとも、太平洋戦争と表記する限り、GHQの洗脳の呪縛から解けきれていないと判定する

閑話休題。敗戦から長い間、マスコミもジャーナリズムも公に出るものは左翼的であったにも拘わらず、保守と目された保守合同後の自民党政権が、共産党や社会党などの官公労の共産主義の者の支持する政党に政権を譲ることはなかった。戦前の事情を知っていた日本人が、大勢を占めていた時代には、表面に現れていた左翼的思潮に騙されることはなかった。時に自民党が腐敗すると社会党に票が流れることがあっても、国民の投票結果は、共産主義政党に政権を渡そうとはしなかったのである。ただし西尾幹二氏によれば、自民党は保守主義者だけの政党ではなく、自民党議員の思想の配分が、国民全体の思想配分に等しいから、大勢として結果的に保守政党であった、という。これは正しい分析だと思われる。自民党にも加藤紘一のような共産主義もいたのである。

その後、昭和四〇年代頃からであろうか、「諸君」などの雑誌等によって、戦前の日本に対する弁明が始まるようになって、小生は貪るように読んだものであったが、世間の表層に現れた思潮は相変わらずであった。しかも徒弟制度で凝り固まった日本の学会は、自虐史観に席巻されていたと見え、一方で学問の府である大学は左翼思想で非ずんば、人に非ずという風潮であったろう。

 政界の決定的な転機はやはり、ベルリンの壁の崩壊に続く、ソ連の崩壊であろう。ここで思潮の流れをはやまって読んだ、重要な転機をもたらす人物がいた。小沢一郎である。今でも小沢の行動を軽視する傾向が強いが、現在に至る日本の政界を混乱に陥れている、という意味で小沢の存在と罪は大きい。自民党の一党政権を一党独裁と批判する輩には、自民党に対抗できる保守政党は必要不可欠である。

ソ連の崩壊とともに、共産主義は死んだに等しいと小沢は思ったのである。共産主義が死んだということになれば、共産主義政党はいずれ消滅する。とすれば自民党に類した保守政党による二大政党政治の実現が現実になる、と踏んだのだ。そこで、自民党が共産主義政党を圧する前に、自民党を割って、保守政党を作って政権の受け皿にすることにした。

ところがどっこい、共産主義政党は消滅しなかった。小沢は見切りが早過ぎたのだ。国民一般は共産主義は間違いであることを実感したのだが、共産主義政党の支持基盤である、官公労は健在であった。社会党はほとんど崩壊したが、共産党は健在で官公労の票を集めた。官公労の票の受け皿は、民主党、民進党、立憲民主党などと名前が変わっても、官公労が堅固な支持基盤であるのに変わりはない。

看板だけ自由主義で、支持組織は共産主義であった民主党は、一時国民の眼を欺いて、政権を獲得するに至ったが、あまりの拙劣さで失敗し、自民党以外の健全な保守政党を求めた無党派層国民は離れていって現在に経っている。結局立憲民主党は、官公労などの共産主義の支持に等しいだけの勢力しか得られないのである。小沢は今や、選挙に強いという都市伝説の主となって、反自民の頼みの綱になっているに過ぎない。政治生命は終えたし、政治信念は何も残っていない。

ところが変わらないのは新聞マスコミである。相変わらず朝日新聞は自虐さを増した。それどころではない。新たなマスコミの旗手となったテレビは、反権力を装った、共産主義者の牙城になったのに等しい。例えば意味のないモリカケ問題では、地デジ全局が何の根拠もないのに「安倍夫妻疑惑」を垂れ流した。一方で、テレビ離れした層のメディアである、インターネットの世界でも左翼的言論が拡散した。ネトウヨと呼ばれる層も根強いが、ヤフーニュースは徐々に左翼的傾向を増しているように思われる。また学者層では、公的に登場する憲法学者は全員が、自衛隊違憲論者である、というように学問の徒弟制度から、左翼の牙城となっている。

 

(3)-2 左翼全体主義による言論弾圧

さて本論である。マルクス主義の前提のひとつは、共産主義に至る道は普遍的な歴史的経過であって、共産主義社会は必ず到来し、そこで歴史は終わる、ということである。それから類推して、「ソ連」を成立させたマルクス・レーニン主義は科学的社会主義であると言った。その意味は、科学だから「絶対的に正しい」ということである。これは20世紀初頭の誤謬である。科学だから「絶対的に正しい」とは限らないことは、現代の科学者なら誰でも知っている。ニュートン力学は相対性理論から見れば、近似解を与えるに過ぎないことが分かっているのである。

しかしマルクス主義においては、そのことが勝手に独り歩きしていった。ソ連ではマルクス・レーニン主義以外の思想は禁じられた。唯一全体正義のマルクス・レーニン主義以外の思想を信じることは、罪であるとされた。コミンテルンの支部として作られた各国共産党においてもマルクス・レーニン主義だけが正しい思想だとして、それ以外は排除された。ソ連においては、非マルクス・レーニン主義は弾圧された。内心の自由はないのである。

日本でも同様であった。宮本顕治は仲間とともに裏切り者を粛清した。これがマルクス・レーニン主義における正義である。テレビのインタビューで、共産主義の日本の泰斗である故向坂逸郎は、共産主義政権が出来たら共産主義思想以外の思想の者をどうしますか、と聞かれた。向坂は「弾圧する」と断定した。向坂は正直で共産主義に忠実だったのに過ぎない。共産主義すなわち極左思想を持つ者は異論を許さない全体主義者である。

 

①  戦前の状況

 戦前は自由主義的思想が弾圧された、とされている。天皇機関説や自由主義者の河合榮治郎らの大学からの排除である。この厳しさは安政の大獄以来のことで、日本で苛烈に思想によって弾圧するのは例外であったように思われる。中川八洋氏によれば、戦前に弾圧に回った側は、実は多くが共産主義者である。ゾルゲ事件はスパイ事件であって、思想弾圧ではない。

 しかもゾルゲや尾崎秀実に連なるはずの多くの人々、すなわち共産主義の群れは、逮捕されずに闇に消えた。ゾルゲ事件の全貌は明かされていない。キーマンであった近衛文麿は自殺して、全てを隠して死んだ。しかし、これは共産主義ネットワークによる隠ぺいのための殺害であると言う説がある。これらを要するに、戦前の極端な思想弾圧は、実は右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説に小生はたどりついた。

 思想的に比較的寛容な日本人による、苛烈な弾圧は他に説明がつかないのである。安政の大獄は攘夷派と佐幕派のテロルの応酬であり、権力闘争であって思想弾圧ではない。信長の宗教弾圧も思想問題ではなく、武装仏教の解体による政教分離であった。これらすら欧米や中国の宗教弾圧や権力闘争に比べれば可愛いものである。これに比べ、戦前の極端な思想弾圧は、非日本的な匂いがする。そこで現代に移る。

 

②  現代の左翼全体主義

①  では戦前の思想弾圧が、右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説をたてた。マルクスは愛国心を肯定した国際的労働組合、すなわち第二インターナショナルの綱領作成に関与したと言われている。従って、必ずしもマルクス自身は当面は国家を否定してはいなかった。しかし、マルクスの共産主義と労働者の国際的連帯と言う発想は、元々世界はひとつである、という夢想的アナーキズムにつながってしまう要因があったのではなかろうか、と思う。

 それはソ連による第三インターナショナル、すなわちコミンテルンとして利用されてしまった。世界の労働者は各国において、ソ連を祖国とする共産主義に忠誠を誓うと言うものである。つまり各国の共産主義者と労働者は、ソ連に利用されることとなった。ソ連が崩壊した結果、忠誠を誓うべき祖国はなくなったのである。恐らく日本の共産主義者に支配される労働組合はとりあえず、中共に忠誠を誓うことにしたのではなかろうか。

 日本を否定する以上、ソ連に代わる国外で従うべき国家権力が必要となったからである。反日である以上、帰属する国家権力が必要なのである。マルクス主義に胚胎していた、共産主義絶対視の傾向は、マルクス・レーニン主義により確固たるものとなった。小生の知己のある共産主義者は、若い頃雑談で、「俺達は正しいのだから、手段は悪であっても良い」、という意味のことを言ったので唖然としたことがある。ところが昨今のジャーナリズムやインターネットの状況を見ると、この言葉は真実味を帯びてきたのである。

 例えば杉田水脈氏は、ある雑誌でLGBTは生産性がない、という意味のことを書いてバッシングされ、その雑誌が翌月号でその特集を組むと、雑誌もバッシングを受け廃刊を余儀なくされた。ひどいことに例の菅直人氏は似たような発言を何年も前にしたのに、何の問題にもされなかったのである。杉田氏は保守で菅氏は左翼と看做されたからである。ジャーナリストや学者、政治家などで保守ゆえに左翼からバッシングを受けてひどい目にあった、例はいくらでもある。小川榮太郎氏などは、新聞社から、言論ではなく言論機関にあるまじき、裁判という報復を受けている。

 かつては改憲をいうだけで非難される状況があったが、さすがにそのような状況はなくなった。しかし、左翼による言葉狩りのような傾向は、特にテレビマスコミにおいてひどくなっているように思われる。繰り返すが、マルクス・レーニン主義に淵源を持つ日本の左翼は本質的に、言論の自由を認めない全体主義的傾向が強い。彼らの言う言論の自由とは、左翼思想の範囲内での言論の自由なのである。

 百田直樹氏や櫻井よしこ氏などが講演をキャンセルされたことがあり、そのような例はいくらでもある。ところが、左翼論者が同じような目に遭ったことは極めて少ないし、そんなことがあれば、テレビマスコミが一斉に唱和して思想弾圧だと騒ぐから、できないのである。令和元年の参議院選挙の際には安倍首相の演説の際に集団でやじを飛ばし、演説を聞かせなかった。警察も止めないので、ある人がスマホで動画を撮ったら、集団の一人が、携帯を奪って壊した。ここに至って、初めて警察は動いたのである。その後の安倍首相の演説でも集団がヤジで妨害したので、警察が排除した。前回の件で学習したのである。ところが、朝日新聞はこのことを「警察による言論弾圧」と記事にした。朝日新聞も、ヤジ集団も左翼である。自分たちは悪い安部の言動を阻止した正義の行動をしたのである。選挙妨害ではなく「絶対正義」なのである。

何度でも言う。左翼・共産主義者は思想統制を是とする、全体主義者である。そのことは、実は戦前から続いているのである。インターネットは大丈夫と言うなかれ。中共の例でわかるように、インターネットは、言論の自由にも寄与するが、全体主義の思想統制には最適な道具なのである。

自由主義者は言う。「君たちの言論は間違っている、しかし君たちの言論の自由は生命を賭して守る。」と。共産主義物は言う。「君たちの言論は間違っている、だから君たちの言論を弾圧する。」と。

尼港事件の犠牲者は壁に共産主義は我らの敵と血書して絶命した。その叫びを今聞くべき時である。

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