毎日のできごとの反省

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松本清張の陰謀・「日本の黒い霧」に仕組まれたもの

2014-03-27 16:45:59 | 軍事

 「日本の黒い霧」は戦後起きた下川事件などの一連の事件がが、在日米軍などによる謀略であることを証明したノンフイクシヨンであるとした、一種の陰謀史観で書かれた本である。

 「・・・五〇年代前半、共産党と、それを応援した知識人が、その犯した誤りを明確にして正さず、極力隠蔽に努めたことが、『日本の黒い霧』出現に繋がった。内部は『霧』のように希薄、単に推理に過ぎないものを偽って事実と擦り替え、論理的歪曲を重ねて、大仰に占領軍謀略を叫ぶ」(P278)と書いているのが、この本の言わんとしたことを全て語っている。

 清張の戦後史観は反米思想、共産主義シンパシーに貫かれている。そのために、ろくろく調査もせずに、下川国鉄総裁は在日米軍に殺された、と強引に推理、松本は初手から結論ありきで、でたらめな話を書いていており、筆者はそれを丹念に検証している。こんなことが可能になったのは日本の権威主義とそれを利用した進歩的知識人や共産党にある。当時歴史家や思想家という学問的権威の中心を占めていたのが左翼的傾向が強かったから、学問的権威に弱い松本清張は主流の彼らの言うことを盲信したのである。

 清張のフィクションとしての推理小説は確かに緻密で魅力的なものであった。そのために大衆的人気が出て、推理小説の大御所になった。その清張が自殺説と他殺説のあるフィクションではない現実の下川事件を推理した。推理の大御所が現実の事件を解決したと言うわけである。ところが、ここに陥穽がある。推理小説を作る過程は、結論を最初に決めていて推理はそれに合わせて逆に積み重ねていく。

 つまり推理小説家は創作の過程で推理をしているのではなく、答えを知っているものだけ書くのが習い性になっているから、日ごろから推理のトレーニングはしていない。従って推理小説家だから現実の事件の推理が得意だとは限らない。むしろ初めから答えを決めていて、推論は辻褄合わせに過ぎないことに何の抵抗もない。森村誠一は中共政府の協力で「悪魔の飽食」なる日本の細菌部隊を糾弾する「ノンフイクシヨン」を書いた。これは中共の用意した材料をそのまま使い、事実の検証を行っていないと言う点で、日本の黒い霧と同断である。

 


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