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左翼全体主義考(2)日本の共産主義

2019-07-25 16:05:27 | 共産主義

左翼全体主義考(2)日本の共産主義

(2)日本の共産主義

(2)-1 共産主義と社会主義

ここで、便宜上共産主義と社会主義の概念の相違について書く。本稿全てにおいてそうであるように、これらの定義は全て小生によるものである。皆さんは既にご存知と思うが、後の議論のためと、小生の頭の整理のために書くのである。

社会主義とは、共産主義と比較すれば、広い概念である。現実に存在する共産主義国家から、共産主義のうち計画経済と私有財産の否定を基準として考えると分かりやすい。社会主義の最も左翼を、計画経済と私有財産の否定と考えれば、共産主義は社会主義の一部に含まれる。現在の資本主義社会では、全く国家統制のない自由勝手な経済政策はあり得ない。例えば賃金においては最低賃金制度があり、国家が推奨する分野においては補助金を出したりする経済政策も、一歩計画経済に近づいたという意味においては、社会主義的であるといえる。

私有財産の否定の中間はないかといえばそうではない。高額の相続税や固定資産税である。資産家から取ったこれらの税金は福祉などという形で低所得者に配分される。資産家の財産は、相続税として奪われるのである。税率が高くなればなるほど共産主義的であると言える。要するに共産主義に近ければ左翼的ないし、より社会主義的となる。

だから社会主義とは相対的な概念である。だから資本主義国家においても民主社会主義、というような理念を党是とした社会主義政党が存在するのは、そのような理由である。自由主義とも言われる資本主義と共産主義を除いた社会主義とは何か、である。上記の説明と共産主義の定義を比較すれば分かるであろう。信教の自由と思想の自由というふたつの「自由」があるのが、共産主義を除いた社会主義である。思想の自由からは、結社の自由が導かれ、結社の自由からは政党の自由が生まれる。

政党の自由からは議会制民主主義が生まれる。こうして、資本主義国家においては、議会制民主主義国家が生まれる。ところが、運営の実態上からは、ロシアは本当に資本主義国家なのか、という疑念がある。民主的な手続きを経てエリツィンから権力を得たプーチンは、長期間権力を維持し続けているばかりではない。私有財産保有の自由はあるものの、建前上言論統制がなく議会はあるものの、ジャーナリストの暗殺という形で、実質的に言論の自由が奪われているに等しい。つまり資本主義ではあるものの自由主義とは言えない。

ここに、資本主義と自由主義の乖離する例がみられる。このような例は、発展途上国では多く見られる。ロシアは科学技術はともかくとして、政治的には前近代的な要素の残滓が多い例である。結局国家体制と言うものは、支配民族の性格のくびきから逃れられないものであるとだけ言っておこう。中共についてはさらにややこしいが、深入りの必要がないので、やはり支配民族の性格によるものとだけ言っておこう。

 

(2)-2 戦前まで

 日本の共産主義はもちろん、欧米の思潮の影響を受けたものである。概括的に述べれば、マルクスの著作が日本に入ってきたのが、共産主義の始まりだと言える。日本においては共産主義は、皇室を否定する危険思想として、政府は一貫して排除する姿勢をとってきた。検閲や、かの治安維持法である。こうして共産主義は危険思想として禁止された、ということになっている。

ところが不可解なことに、日本人による社会主義色の濃い、あるいは共産主義に基づく出版物は、共産主義と名を付けない限り、ほとんど野放しにされたに等しい。例えば「改造」などという雑誌がそうである。改造はマルクス主義思想家の巣窟となり、廃刊させられたのは、なんと終戦直前であった位、野放しにされていた。輪をかけて不可解なのは、マルクスの著作が堂々と出版されていたことである。コミンテルンの地下活動と相まってマルクスなどの著作を読んだ帝大生などのエリート層にも共産主義しそうははびこっていった。

この乖離は不可解と言うよりは、大間抜けに等しい。アメリカが言論思想の自由の建前から、共産主義者が跋扈していたのは理解できない訳ではないが、国策として日独防共協定まで結んで、共産主義を天敵扱いしていた日本では、矛盾の極致である。しかもゾルゲ事件という大事件を経た後でも、軍や政治家、思想家の中には、共産主義者が残ったのである。米国がレッドパージ後、政治における共産主義者が徹底排除されたのとは著しい違いである。

ここで特筆すべきは、北一輝である。彼は大川周明とともに、民間右翼のボスと言われた存在である。これはかの中川八洋氏の示唆と小生の読書の結果から言う。大川はいざ知らす、北は共産主義者だったのである。書架に見当たらないので記憶で書くが、「日本改造法大綱」によれば、骨子はふたつ、「国民の天皇」と「私有財産の上限を何万円(現在なら数億円)かにする」というものである。

国民の天皇ということは、カモフラージュである。よく考えれば天皇は国民のものだと言うのだから、国民が廃止しようとすればできるのである。現代の日本共産党と変わりはない。私有財産の上限と言うのは、私有財産の禁止を合理的に実施する手段である。前述のように完全な私有財産の廃止と言うのは、日常の生活を考えれば不可能だから、制限すれば生活に支障のない範囲で私有財産が禁止できる、という訳である。

北は軍人の一部と組んで統制経済を推進すべきと主張していた。しかも統帥権の干犯などという統制的言辞を発明して、政党を持って政党を弾圧せんとしたのである。これらを総合すると北は「天皇制廃止」「私有財産の禁止」「言論弾圧」「計画経済」と言うソ連の真似事を日本に導入しようとしたのが本質と言わざるを得ない。北は共産主義者である

 

北ばかりではない。スパイ尾崎秀実ばかりではなく、陸海軍の幹部にもソ連の計画経済のインチキな成果に魅惑されて、統制経済を推進する者は多かった。統制経済とは、ソ連の計画経済と同じではまずいと思ったカモフラージュであろう。そして言論統制が強まった。不思議なことに言論統制は、自由主義者である、河合榮次郎にも及んだのである。国体明朝として行われた言論弾圧には、結果からすれば共産主義者よりも、河合榮次郎のような天皇の崇敬者の方が被害が大きかったのではなかろうかと疑う。

つまり計画経済をベースに陸軍の一部の地下にも潜った、共産主義者の活動家に都合のよい言論弾圧ではなかろうかと疑うのである。ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実らのソ連のスパイは人身御供であって、親ソ共産主義の御本尊は政治家や軍人の中に公然と残されていたのである。徳田球一らの共産党員ら幹部は、根こそぎ逮捕されて、皆が戦地で戦死傷する中、刑務所で不自由なく暮らしていた。実は「転向者」とされる人物の多くは公然と社会に出て活動をした。

ここで整理すると、戦前の共産主義者には、三種類の系統があったように思われる。ひとつめは、コミンテルン日本支部として創設された共産党だが、逮捕拘留されて戦後GHQが釈放するまで実質的に活動はできなかった。ただし、逮捕されたが転向を誓約して、釈放されたもののうちの一部が隠れ共産主義者として活動している。

ふたつめは、尾崎秀実らゾルゲなどのコミンテルンの指示を受けて活動をしていたグループで、政権中枢に食い込んで支那事変を煽動するなどしていたグループである。三つめはソ連の計画経済にあこがれた軍人グループや、民間浪人や学者などのグループである。このグループには、第二のグループと連携をしていたものとそうではないものがいたであろう。例えば米内光政は、陸軍の大勢が支那事変拡大反対であったにもかかわらず、突如強硬意見を主張して、支那事変を拡大した。彼はロシア通であったために、ハニートラップにかかって籠絡されていた、という説さえある。

第二のグループは、特に近衛内閣の中枢に食い込んでいて、支那事変から対米戦争へと誘導したとみられている。しかし、ゾルゲ事件で一部が逮捕処刑されたものの、戦後、近衛が自殺したために全貌は明らかになっていない。そのため近衛は殺害説すら出ている始末である。

戦前の厳しかったと言われる思想統制の大本は共産主義者で、思想統制の対象は巧妙に自由主義者に対して行われていたのではないか、という仮説を小生は持つに至った。これについては最後に述べたい。

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