毎日のできごとの反省

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創氏改名

2019-07-21 16:52:30 | 歴史

 山本七平氏に「洪思翊中将の処刑」という著書がある。朝鮮人の日本陸軍軍人の物語である。この名前を見て不思議に思わないだろうか。当時日本では朝鮮や台湾に創氏改名を強制したと巷間では騒ぐ人士が多い。

 しかしそれならばこの名前は何であろうか。しかも陸軍の将軍が朝鮮名である。洪中将は陸軍大学の同期のトップグループで中将に昇進している。だから彼の同期で大将はいないのである。当時黒人は劣等人種だから将校になることはおろか、武器さえ持たせてもらえず、物資輸送や調理などにもっぱら使われていた米軍とは正反対である。

 それならば洪中将は創氏改名はしていなかったのか。正確にいえば創氏はしていたが改名はしていなかった。誤解されているが、創氏とは日本風な苗字をつけるという意味ではない。朝鮮や中国のファミリーネームは姓である。正確に言えば姓はファミリーネームではないがとりあえずこうたとえる。

 姓は結婚しても変わらない。血族のファミリーネームを引き継ぐのである。例えば蒋介石の妻は宋美麗である。日本では欧米と同じく結婚すると夫婦は同じファミリーネームにする。本当の意味のファミリーネームであろう。嫁は家に入るのである。家族の絆が近代社会の要件であると考えた日本は創氏を朝鮮と台湾で行った。

 現在の洪という名前を氏として登録する。するとその妻も洪という氏を名乗ることにする。ただし戸籍には妻の元の姓は保存記録されている。例えば金氏が金田という日本風な氏を望めば、金田という氏を名乗ることができるが、金という姓は戸籍に残る。

 洪中将の場合は日本風な名前を申請せずに放置したために、自動的に洪という姓を家族の氏(ファミリーネーム)としても、そのまま当局が勝手に登録したのである。つまり洪氏は自動的に創氏されていたのである。改名の方は強制ではなかったから、日本風な名前を欲しいものだけが申請して改名された。

 創氏改名の動機は当時満洲や外国に進出していた朝鮮系の人たちが日本風名前の方が商売など仕事に有利だというので、改名の要望が多かったからである。従って改名した者は当然、氏も日本風なものが欲しかったために、氏名ともに改めてしまったのである。

 従って洪中将のように名前を変えないものは氏も新たに作ることはないから朝鮮名が全て保持されたように思われるが、創氏は行なわれたのである。ちなみに同化や民度の相違ということで朝鮮では改名は申請だけで済んだが、台湾では許可制で必ずしも認められなかった。洪中将の例の様に日本風に名前を改めなくても陸軍は差別しなかった。それどころか優秀だというので陸軍大学の同期で最初に中将にする位公平だったのである。小生の父は、陸軍軍人として出征した。口癖に「軍隊は金持ちも貧乏人もない、公平なところだ」と言った。貧富ばかりではなく、民族差別もなかったのである。

 私事だが平成5年に不思議な体験をした。米国出張の際にシカゴのホテルで、トラベラーズチェックを現金に換える際に30歳過ぎ位の東洋系の女性のキャッシャーがトラベラーズチェックを見ると、あなたのファーストネームは「トミオ」かと聞いてきた。会話はもちろん英語である。トラベラーズチェックには真似されないようにわざと漢字で書いてあったから漢字を読めるのに違いないと思い、日本人かと聞き返した。

 すると彼女の父の名前もトミオと言い、台湾出身だと答えた。会話はそれで終わった。その時は何も気づかなかったが、考え直すと奇妙である。彼女は台湾出身なのに漢字の「富雄」をトミオと日本風に読めたのである。年齢からして彼女の父は戦前生まれである。そして父は娘にトミオという日本読みを教えていたのてはなかろうかと思うのである。そのことにとっさに気付いていればもう少し事情を聞けたのに後の祭りであった。

 ちなみに、台湾系日本人(帰化人)の黄文雄氏は、戦前生まれで、親は、文雄を日本風につけたのだろうと小生は推測している。

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