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地球温暖化騒ぎの不思議

2019-06-26 20:26:10 | 社会

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 一時は疑問が出されていたと記憶するが、昨今では二酸化炭素排出による、地球温暖化対策の必要性への疑義は影をひそめているように思われる。地球温暖化が騒がれ始めたころ、科学者ともあろうものが、北極の氷が温暖化によって融けて、海面が上昇する、と言ったのである。

 北極大陸は海に浮かぶ氷の塊だから、この問題はコップの中の水に浮かべた氷が融けると、水面の高さはどう変化するか、ということに等しい。中学で習うアルキメデスの原理さえ知っていれば、水面高さは何万分の一ミリたりとも変化しないことは分かる。学者が間違えるはずはない。為にする嘘をついたのである。だから今はそんなことを言う者はいない。

 偶然手に入れた「水が語るもの」2010年3月(社団法人近畿建設協会発行)に芦田和男京都大学名誉教授が「気候変動の観点から」という記事を書いておられる。二酸化炭素濃度が倍になったときの地上気温の上昇量を気候感度というそうである。気候感度は2~3℃程度であるが、衛星を用いての観測値から求められた気候感度は1.6℃であることがわかった。

 何と、二酸化炭素の濃度が2倍になったところで、気温上昇は高く見積もって3℃、観測値では1.6℃上がるのに過ぎないと言うのである。逆に言えば、空気の二酸化炭素濃度を半分にしたところで、せいぜい気温は1.6~3℃下げることが出来るのに過ぎないのである。

これは対数の関係である。さらに半分、すなわち濃度を4分の一に下げても、温度は3.2~6℃下がるだけである。だから二酸化炭素濃度を減らしても、その割に地球温暖化防止はごく少ないのである。それどころではない。世界中で人為的な二酸化炭素の排出量を半分に減らしても、大気中の二酸化炭素濃度が半分になるわけではない。

既に大気中には一定の割合で大量の二酸化炭素があるからである。地球温暖化の議論で不可解なことがある。例えば日本が何年か後までに、排出量を25%削減します、と目標を掲げたとする。そうすると世界の大気の二酸化炭素濃度が何ppmに減り、前述の気候感度から温暖化防止効果が何度あるか、という計算ができるはずである。

ところが、削減目標を掲げたとき、温暖化防止効果の温度の数値が発表されたことを、小生は寡聞にして知らない。議論は、一方でそんなに削減するとコストがかかるだけだとか、反対に地球温暖化防止はコストがかかっても人類の生存に必要だとか、感覚的な議論を聞かされるばかりである。

兵頭二十八氏の「地政学は殺傷力のある武器である」に興味あることが書かれている。現在は地球公転の周期の関係で、太陽から地球が受ける熱量が減る時期にあり、あと一万年位は寒冷化が続く(P95)、というのである。そして地球が数万年サイクルで寒冷化が進んでも、その間に数百年サイクルの温暖化の時期が挟まっている、という。

実は小生も相当以前に、現在は氷河期に向かっていて、ミクロには温暖化と寒冷化を繰り返してもマクロには寒冷化していて、今は短期の温暖化の時期であるという説を聞いたことがあるから、容易に納得したのである。西暦紀元一年から現在までの歴史を考えても、何回も温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返していて、温暖期には食糧生産が容易で生活は安定し、寒冷期には食糧不足による争いが頻発した、のだそうである。

考えてみればそうであろう。温暖化すれば、寒いところでも農業が容易になる。食料生産と言う観点から言えば温暖化は良いことなのである。それどころか現在は氷河期に向かっているのだとしたら、人間は食料が得られなくなるばかりではなく、凍え死ぬことになる。なぜ温暖化の短所ばかりを問題にするのであろう。

ただ、温暖化の議論の救いは、二酸化炭素の排出を減らすために、化石燃料の浪費を防止し、無駄なエネルギー消費を減らそうとしていることにある。科学技術の活用の方向性としては間違っていないのである。もし、地球が寒冷化しても、暖房や食糧確保のために、無駄なエネルギー消費を減らし効果的にエネルギーを使う、という技術的努力は生きてくるからである。


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