毎日のできごとの反省

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少子化異見

2019-07-19 22:17:38 | 社会

 私には少子化は世間で論ぜられているほど絶対悪だとは思えないし、少子化そのものの対策があるとも思えない。少子化についての意見が見当違いなのは、突き詰めれば少々品のない言葉を使わなければならないこと隠すからである。この点はご容赦願いたい。

○少子化の原因
 少子化の最大のものは誰も口にしない。昔の子だくさんだって、そんなに子供などほしくはなかったのである。だから江戸時代などは間引きなどというものが行われたという。現代の日本では子供がたくさん欲しくなければ、そのようにコントロールできるようになっただけのことである。

 第二の原因は若者が結婚しなくなったことである。私は昔の社会と現代の核家族あるいは会社社会と言われる両方の状況の経験者である。昔なら相応の年齢の男女は近隣で面倒を見て見合いさせてしまった。昔の見合いは、結婚前に顔合わせをするだけのことだから、即ち結婚である。

 狭い体験による偏見かも知れないが、このような結婚は多くの不幸な女性を生んだと私は考えている。昔は結婚は義務であったのである。多くの女性は不幸に甘んじて、年老いてやっと不幸を忘れることができる。社会のなくなった現代社会にはこのような義務はない。だから多くの男女は結婚しないという自由を選択できるようになったのである。

 かくいう私は見合いの経験がない。一緒にいたいという女性がいて、一緒に暮らし始めたというだけのことである。私は好きでもない女性と一緒に住むという傲慢に神経が耐えられない。だから多くの男女が結婚するかしないかということを自由に選択することを望む。何も職業に専念するためにキャリアウーマンになるからなどという屁理屈をこねなくても良いのである。

 それに私のような自堕落な世代の人間は、支えて叱責してくれる人がいなければ、今日まで生きてきたかあやしい。世評と逆だが、それに比べれば現代の青年ははるかにしっかりしているように思える。おとなしい私ですら、独身寮の窓ガラスを割って自室に帰ったなどという野蛮をした。酔っ払い運転は公認だったのである。とにかく結婚は減るべくして減った。これらの理由により少子化は当然である。

○愚かな少子化対策
 以上のように少子化の原因を考えれば、少子化対策なるものが全くだめとは言わないにしても、焼け石に水であることは間違いない。子供がたくさんいれば減税するとか、教育費の補助をするとか、そんなことで子供を増やす家庭がどれほどいるか、胸に手を当てて考えればわかる。

 産休を長くするとか、男にも産休を取らせるとかすることがどの程度実効性があるか。経営が大変な大多数の会社ではこのような対策は迷惑であろう。そのためにリストラがでかねないのである。実現可能なのは、このような対策がなくても困らないような企業に勤めている人たちがほとんどではないか。つまり必要のない会社に対策をしているのではないか。また産休が充分取れるからもう一人子供を、などという家庭があるとも思えない。このような対策で子供が増えるという発想こそ、子供の生命を軽んじているように思う。

○少子化は悪か
 人口が減ると困るという人に聞きたい。日本の人口は増え続けたらどうなるのかと。日本の国土では既に人口過剰であろう。日本の適正人口は四千万人であるという説を聞いたことがある。これが正しいか否かを別にしても、適正人口はあるはずである。色々な原因があろうが、日本で少子化が起きているのはマクロの意味で人口過剰に対する自然の摂理のように思われる。日本の人口が一方的に減り続けて適正人口も割り、しまいに日本人がいなくなるような日は来ないと思うのである。

○少子化対策その1
 少子化を防ぐ対策はないと言った。それは少子化対策がないの意味ではない。現在が過剰人口であるとすれば、適正人口に近づくのはむしろよいことである。問題は人口が減少するという変化が起きていることである。初めから人口が今の半分でも、その状態で変化しなければ困らないのである。

 つまり人口が減少する過程では、若年に対する高齢者の割合が増えていることが障害を起こすのである。つまり労働人口に対して、働けない被扶養者が増えることが問題なのである。

 少子化の最大の問題は年金対策であろう。これには二つのことが考えられる。現代の高齢者は三十年前に比べれば、10年は肉体的にも精神的にも若い。昔の60才は、今の70才に相当するというのが一般的であろう。しかし60才定年である。再雇用の道はあるが役員などを除いて嘱託で、しかも給料は大幅に下がる。

 団塊の世代が定年となって困るといわれているが、実際働けるのなら正職員として働いてもらえば良いではないか。定年をあくまで変えないというのは、企業のエゴである。定年を変えずに嘱託にすることによって、団塊の世代の技能や知識を生かせる上に、大幅減給することによってコスト削減ができる。しかし当人はかつての部下に使われるという、屈辱を味わうが仕方ないとあきらめる。

 このような議論がでないのが私には不思議でならない。働けるのに60才定年でしかも、年金は出ないというのは理不尽である。国策でせめて65才定年を基本にすべきである。そうすれば国民年金の支払いも増えるのである。人によっては70才定年でも良い。その場合、給与条件が良ければ年金は支払わないのである。

 もうひとつは、年金受給資格年齢になっても高収入の人には年金を支払わないことである。高齢で高収入の人は意外にいる。1500万円の年収の人には年金が必要とは思われない。しかし一方的に権利を剥奪するだけでは困る。高齢になり収入もあるとなると人は名誉が欲しくなるものである。

 従ってこのような人には叙勲などの名誉を代替措置として与えればよい。公務員に偏る現代の叙勲制度は、多くの民間人の高齢者にも年金を受給しない条件だけで、叙勲を与えることにより不公平が是正できる。

○少子化対策その2
 少子化で困るのは労働人口の絶対値の減少である。そこで外国人労働者の雇用が考えられる。実はこれは不公平である。外国人労働者しか働かないというのは、言いたくはないが、3Kであったり少ない給与しか支払えない仕事である。国際貢献などときれいごとを言っても、事実は日本人がやらない仕事を薄給でやらせるのである。体のいい差別である。

 この原因は必ずしも少子化ばかりではない。3Kでも何でも日本人がやっていた時代がある。父もその時代の人であった。専業農家で現金収入が少ないため、建設労働者として農閑期に働いていたのである。このような時代は、実は日本の給与水準が欧米より低かったのである。根本の原因は日本人の高所得化にある。

 日本人の給与水準が世界のトップ水準になると、一面で不都合が出るのは当然である。輸出産業ですら全てが高給に耐える、高付加価値のものばかりではない。工業製品は外国の工場の安い労働力に頼れるが、商店や建設産業はそうではない。あくまでも国内で働かなければならないからである。

 最初の対策はパート化であった。付加価値の少ない仕事はパートにやらせる。そうすると正職員に比べ、社会保険などの諸経費がかからない。露骨に言えば正職員なら暇でも給与を払わなければならないが、パートなら仕事があるときだけ時間給でやとえばよい。これは差別の極致である。

 それもこれも国内外の給与格差の拡大が原因である。農家でも家電製品は買いたい、子供は大学にやりたい。現金は高付加価値産業労働者と同じく必要である。私の祖父の時代のような、自給自足で現金のいらない農家は今はない。しかし花や果実など特殊なものでない限り、高く売れない。だから安い野菜は外国産なのは、一面から言えば当然である。

 そこで対策である。日本人の給与水準を時間をかけて下げることである。高付加価値の製品を開発し続ける努力も必要である。しかし国内で働かなければならない産業には、高付加価値が不可能なものも多いのである。また国内でしか働かなければならない産業は、必要なのだから給与を上げるべきである。

 それには海外労働者の参入を段階的に減らすことである。3Kであろうと単純労働であろうと必要なのである。労働力が不足するなら給与は上がるのが必然である。そうすれば日本人が働けるだけの給与水準でバランスがとれる。つまりそれなりの賃金が払えない企業は淘汰されなければならない。以上のようにして労働力不足は解消できるというわけである。
 
 労働組合の幹部にいいたい。労働者の給与向上は聖なる任務だと思っているのに違いない。しかしベースアップによる外国との給与格差の拡大は、実は日本国内でも新たな労働者間の差別を生んでいるのである。

 このブログには不穏当な発言があると批判されるのは覚悟している。しかし専業農家に生まれ、父は3人の子供を大学に行かせるために、広かった田畑をほとんど売ってしまった家に生まれた私の実感でもある。そして今の少子化論議はきれいごとのうそが多いと思わざるを得ないのである。

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