毎日のできごとの反省

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小室直樹の教える村落共同体

2019-10-19 23:44:09 | 社会

 小室直樹氏の「中国原論」には小生の体験したにもかかわらず、未だに理解できていない村落共同体が書かれていたので、小生の経験と絡めて本書の、日本の共同体とその崩壊について取り上げる。(P169)まず共同体の定義である。

共同体内外は二重規範となっている。②社会財はまず、共同体に配分され、次に共同体の各メンバーに再配分される。③共同体は敬虔な情緒に支配されている。

 という3条件である。

 小生は子供の頃、まさに、村落共同体の中にいた。しかし、小生の見たものは崩壊寸前の姿であったのに過ぎないのだろう。①と②は辛うじて残っていたが、後述のように③などは無くなっていた。小生の実家は国会図書館で調べると、応仁の乱以前に仕えていた領主が戦乱に負けたために、かつて住んでいた土地に戻り、それ以来土着して百姓となった。同じ字(あざ)の地域のうちでも、原則として10数件の同姓の家としか付合っていなかった。全てが血縁であったと思う。

 当初は敗残したために周囲を警戒し血族同士で固まった、一種の落人であったのに違いない。長子相続であったから、本家の我が家の土地は広大であった。30年位前に町の火葬場ができたが、そこまで行くのにタクシーを使わなければならない。しかし、戦前はそのあたりまで我が家の土地であったそうである。

葬式などは各自の家でするのだか、死者の出た家の人は何もせず、通夜から葬儀までの段取りは、共同体の一族で全てしてしまう。食費や酒代その他の経費がかかると、その家の財布から、断りもなしに持って行って使う。それほど濃密な関係であった。田植えなどの大規模な農作業は共同体の仲間全員が集まって、各家の田圃の作業を順番にして片付けた。毎日の田植えの後の夜は、毎日ちらし寿司などの当時としては目いっぱいの御馳走を出しての大宴会が繰り広げられていた。

 だが委細を見ると、いくつかのグループに分かれて反目していた。不思議なことに本家である我家だけが孤立していた。母は意地っ張りだったから、本家は馬鹿にされてはならないと突っ張っていた。私や兄が他所の子供にからかわれると、馬鹿にされるなと、怒られた。だが却って小生たち兄弟の根性はイジケていったのだと思う。奇妙なことだが、兄が成人式を迎えたとき、曾祖母が近所に兄を挨拶に連れて行った、ということを最近聞いた。本当は本家に分家が皆が挨拶に来るべきなのである。

かく言うように、六〇〇年も経つと村落共同体はほとんど崩壊していた。箪笥に短い刀が隠してあるから聞くと、祖父が大刀を短く折って成形して、鉈代わりに使っていた、と言う。そこには苗字帯刀を許されていた士族である、という誇りはない。既にして心根まで百姓に土着していたのである。

だから小室氏が書く、村落共同体の崩壊の過程は興味深く納得もできた。「戦前、戦中における共同体は、頂点における天皇システムと底辺における村落共同体であり、日本の人々ここに安住していた。しかし敗戦によって、頂点における天皇システムは解消した。・・・致命的な急性アノミーが発生した。それとともに日本人の心の行き場所であった村落共同体も、漸次、崩壊していき、高度成長の進行とともに、ほとんど姿を消した。」(P170)のである。

日本の経済の高度成長というと、昭和三十五年あたりからだと思われているが、実は昭和二〇年代の末期に始まっていたのだと言う。ということは村落共同体も、その頃から崩壊が始まったのである。昭和35年から45年の10年間の社会変動は激しく、それまでの100年間以上の生活様式が変化が起きたと言う。同時に村落共同体も壊滅した。それは小生も体験した。昭和30年台前半は、子供の普段着は和服だった。和服と言えば聞こえがいいが、ボロな浴衣のようなものに粗末な帯を締めて遊んでいた。

日本の共同体は、血縁共同体でも、地縁共同体でも、宗教共同体でもなく、全て一緒に仕事をすることによってできる「協働共同体」のだそうである。その事は前述のような、皆で農作業を協働していた、ということから小生には実感できる。「・・・高度成長によって大量の労働力が都市へ流出し農村過保護政策によって村落における協働システムは解体した。さらに流通経済が村落にまで流入したことがこの傾向に拍車をかけた。」(P173)というのだが、これも小生には実感がある。

小生の知る昔の農家と言うのは自給自足に近かったから、現金は極めて少なくて済む。衣服は継ぎはぎで、兄弟のお下がりやお古を使うから滅多に買う必要はない。市場に農産物を売れば現金は足りた。小生は高校に行くのに中古の自転車を買ってもらったが、半分は現金だったが、半分は米と野菜をリヤカーに積んで行って払った。自家で食べる米は、工場に運んで精米してもらってたが、精米に出したコメの一部しか返してくれない。精米料金は現金で払えないから現物で払ったのである。

ところが教育の程度が進み、農業機械が入るとそうはいかない。現金が必要なのである。その代わり協働作業は必要なくなる。現金はどうするか。田畑を売るのである。こうして村落共同体は消えた。「村落共同体こそ、多数の日本人にとっては心の依り所、故郷であった。都市へ出ても外国へ行っても、『志をとげて、何時の日にか帰る』場所であった。その村落共同体が、消えて無くなった。サアたいへん。一大事だ。・・・そこで、機能集団たる会社(企業)は共同体に成ることによって、巨大な急性アノミーを引き受けることにした。」(P173)その通りである。

ただし、全部の会社ではなく、大中企業であり、中小企業や零細企業は共同体に成りきっていないのだという。その理由の説明はないが、想像するに、中小企業や零細企業は、ある人が入社してから死ぬまで(せめて定年退職まで)存続することが難しいからであろうし、そこまで社員の面倒を見切れなかったのだろう。また、規模が小さいと人間関係が濃密過ぎて現代日本人には耐えられないのであろうか。よくわからない。

小生は体験から村落共同体が崩壊してしまい、その代わりに会社が村落共同体の代わりを引き受けている、ということはぼんやり思っていた。さすがの小室氏は、そのことを明快に説明してくれたのである。しからば中国の社会は、というとそれで村落共同体にはならないそうである。それは血縁共同体、すなわち宗族が存在し、急性アノミーを吸収するから中国解体にはいたらないそうである。文化大革命での大量虐殺、洗脳、毛思想の否定が急性アノミーの発生を示唆しているが、結局共同体が吸収したのだと言う。

 日本の知識人で共同体についてここまで明快に述べたのは、他には知らない。小室直樹氏の観察眼は天才的だと思う所以である。


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