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利権社会日本

2019-08-09 14:52:00 | 社会

利権社会日本

 現代日本は利権社会である。ひとつの典型が農協である。農協は、農地改革によって急に小規模自作農が増えたことから、その農業指導と経営支援を行うためにできた組織である。だから適切な化学肥料を選択して販売する、精米などをして買い上げる等々をしたのである。自作農となった小規模農家は、いわば個人経営で組織力が無いから、近代農業を行うためにはこのような支援が必要なのである。

 多くの組織がそうであるように、発足当時は必要性から出発したのだが、農業が衰退する半面、農協は肥大化した。農協は健全な農家の育成から自身の組織の維持拡大が最大の目的に転化した。そのためには農協から自立した大規模経営の農家は不都合で、旧来の弱い小規模農家のままでいた方が都合が良いのである。だから農協の繁栄は農業の衰退である。戦後は、多くの組織がこのような利権集団と化していった。郵便局しかり、電電公社しかりである。しかもこの利権集団は選挙の時の集票マシーンとなることによって政党と結託し政党を利用する。

 利権集団はどんな国家にも生ずる。戦前の日本も例外ではない。これはまだ仮説であるが、戦前との違いは、戦後は利権の対象が経済に特化したことである。例えば海軍は、艦隊の充実と言う利権に特化した官僚集団であった。しかし軍人たちは経済的利益を追求したわけではなかった。軍人が互いに地位を争った形跡もないし、自己の収入を増やそうと言うのでもなかった。陸海軍が政党と結託して自己増殖に努めた形跡もない。この点も現代日本の利権集団と大きく異なる。

 戦後も旧海軍の幹部が、大東亜戦争の海軍の失策を糊塗しようとして虚言を弄するのも、この延長線上の惰性であるともいえる。既に亡くなった海軍の名誉を守ろうと言うのである。確かにそれは何らの経済的利益を目的としない純粋なものではある。戦後は国防が忌避されてきたことから、日本人の努力は経済成長に集中せざるを得なかった。従って日本の利権集団は経済的権益に集中する事になった、と言うのが私の現在の仮説である。

 これは政治も例外ではない。政治家は権力を欲するのが本質であろう。ところが日本の政治家の権力把握の目的は、経済的利益獲得のためである。例えば元首相の娘で口八丁で人気のある国会議員がいる。彼女は政策に何の定見があるわけではない。ただ演説が面白いだけである。それだけで多数の票を集めいているのはいかにも不可解であろう。謎を解く鍵は利権にある。元首相は地元に多くの会社を持ち、公共事業を分配してきた。彼女はその利権の象徴なのである。

 彼女の取り巻きにとっては、利権の配分を適切に行うに当たって、彼女は元首相の正当な後継者たる国会議員である、と言う「黄門さまの印籠」なのである。だから彼女が政治家として無能であろうが構わないのであって、せいぜい、面白いパフォーマンスができることが求められているに過ぎない。彼女は充分にその役割を果たしているから、西欧の価値基準からいえば無能な政治家であるにもかかわらず支持者が集まり当選するのである。

 アメリカマスコミによって「お馬鹿」のレッテルを張られた元首相様も同様である。何の定見もなく、せいぜい、その時限りの口当たりのいい言葉を話すだけの人間であるのにもかかわらず当選するのは、彼がある利権の象徴だからである。彼はいい年をして親から何億もの「小遣い」を貰う事ができる大財閥の御曹司だからである。日本の政治は国家国民を護るのではなく、経済利権を守るためのものになり果ててしまった。大部分の政治家の支援者と言うのは、政治家が支援者の利益のために口利きをしてくれるから支援者になっているのである。

 もちろん労働組合も経済的利権集団である。末端の組合員ですら賃上げという利益を受け取ることができる。幹部ならなおさらである。彼らが組織の維持拡大に狂奔するのは、その功績により組織内の地位が上がり、地位が上がれば報酬も増える。組合のトップは組合費を納める末端の労働者からすれば、驚くほどの高額報酬を得ている。何せ彼らには、会社や官公庁の幹部と対等に渡り合うにはそれと対等の給料をもらわなければならない、という論理がある。もちろん大多数の末端の労働者は誠実にボランティアとして働くのはもちろん、選挙の時期にはプラスアルファの組合費まで喜んで納めているのである。

 消費税が導入されたころ、当時の社会党の党首は、消費税が高いことをアピールするために、買いものをしているところをテレビで映させた。彼女が買って見せたのは、何と2万円のブラウスであったのは忘れない。現実に消費税で家計が圧迫されて困る人たちは、2万円のブラウスは間違えても買わないのである。金銭感覚が違うのである。はしなくも彼女が大金持ちで多額の組合費をいただく労働貴族であることを証明した。

橋下元大阪市長が無党派層に人気があったのは、彼が経済的利権と無関係に見えるからである。彼は定見があるのではない、その時に合理的と思ったこと、大衆受けすることを喋るだけである。この点で、案外小泉元総理と、その息子にも似ている。郵政民営化は、アメリカの指示によってやったのをカッコよく見せただけのことである。国民のうち政党に所属して支持している人たちは、結局、政党によって自身の経済的利権を保護拡大してくれていることを期待しているのである。

 無党派層、というのはこのような経済的利益の配分にあずかれる立場にない人に過ぎない。早い話が政党によるおこぼれにあずかることのできない人たちである。日本のあらゆる組織が経済利権集団化している限り政治はその利権を維持拡大する事が目的なのだから、無党派層は政権の中心には存在し得ない。結局日本の政治は国家国防を考えるものにはならない。

自民党の堕落は保守合同を果たして、共産勢力の支配の危機が消えた時から始まった。党是であった自主憲法制定は忘れられたばかりではなく、平和憲法擁護の自民党議員すら例外ではなくなった。共産主義勢力の危機が解消されたために、自民党は族議員として、各分野の利権勢力の代弁者になっていった。全てではないが、国防族と言われる人たちですら、○○重工と言った国防産業の利益代弁者さえ含まれると言う具合である。真の政治改革とは、政治家をこれらの利権集団から切り離すことであるが、私にはまだその方法が分からない。

戦前の日本は二大政党政治であったが、政権獲得に汲々とするばかりで国家国防外交に資する事はなかった。野党政友会は統帥権干犯、と唱えて与党から政権奪取するために国防すら政局に利用したのである。その歴史を閲すれば日本では二大政党政治などは幻想にすぎないのは既に証明済みである。満洲で排日と言う言葉では表現できないほどひどい暴力によって日本および日本人の利益や、生命財産が失われつつあるとき、政党政治は何の対策もせずに対中融和策を行ったために、かえって排日は悪化した。結局現地居留民と日本権益保護の義務を負わされた当事者である関東軍が立ちあがらざるを得ないはめに陥った。

 日本では国家存亡の危機に際して、二大政党以前に、政党政治自体が何の役にも立たなかったのは既に歴史が証明済みではないか。大政翼賛会は政党政治の終焉だと批判するのは現代の常識である。しかし事実は国家存亡に際しても権力闘争を続ける政党政治の愚にあきれ果てた日本人の最低限の知恵であったとも考えられるのである。日本では「民主主義の本家」と考えられている米英ですら、第二次大戦はルーズベルト政権とチャーチル政権の独裁で乗り切ったではないか。

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