毎日のできごとの反省

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シャッター通り商店街考

2016-03-05 14:44:19 | 社会

 地方に行くと、確かに、俗に言うシャッター通り商店街が多い。その点だけ見れば地方の商店街は疲弊しているように見える。東京でも同じ景色が見えるが、都心などの地価がべらぼうに高そうなところを見るとそうではない。これは地方でも同じで、博多などの大都会の駅前周辺に行けばシャッターが下りている店は少ない。これは、大都会の地価の高い所では、うまくいけば儲かる可能性はあるが、失敗して利潤をあげられなければ撤退せざるを得ず、その後に成功をもくろんだ新規参入者に入れ替わるからである。

ところが駅から少し離れて地価が低そうな所に行くと、やはり商店街は活気がない。数年前に見た、阿波池田駅前の目抜き通りの商店街は典型的なシャッター通りであった。ところが、商店街の住民やその周辺を見ると、貧しくて困っているようには見えない。都会でようやく一戸建てに住んでいる住民の方が、よほど窮屈で貧相な住生活をしているとしか思われない。地方のシャッター通り商店街の住人の方が実態としては、よほど豊かではなかろうか。

 総武線のある駅から100m余りの、商店街の入り口の一等地に八百屋があって、お年寄りが老猫と一緒に店番をしていた。不思議なことに、この店に客がいたのを見たことがなかった。これはシャッターを下ろしているのと同じだが、このお年寄りは裕福そうであった。こんなところにシャッター通りの秘密があるように思える。

 シャッターを下ろしてしまった店は、後継者がいないとか、儲からないとかの理由で確かに、商店の営業を維持することが不可能になったのであろう。その場所で商店という業形態を維持できなくなったのである。大規模店舗法が改正されて大規模店舗が出店しやすくなったために、小規模店が維持できなくなったから、というのが定説であるが、果たしてそうだったのだろうか。

 小地方都市に住んでいる消費者の立場になって考えてみよう。大規模店舗が制限された小地方都市では、小規模店でしか買い物ができないとすれば、極めて限定された商品しか手に入らない、魅力のない街になってしまう。マスコミの発達した現在では、大都市の消費生活の華やかさが、全国津々浦々でも見えてしまうのである。

 商品の選択肢が狭い上に、都会なら高い者から安いものまであるのに、価格の選択肢まで狭くなる。都会にいれば必ず物価が高いと言うわけではない。その上に何とかモール、というのは単なるスーパーではなく、買い物ばかりではなく、飲食や映画、ゲーム施設などのレジャー施設もある。

要するに街の商店街に代わって新しい商店街が、それも都会に準じた商店街が登場したのである。消費ばかりではない。雇用も創出している。このような商店街の形態がベストだと言っているのではない。ただ旧来の駅前個人商店街形式にだけこだわるのは、消費者にとっても働く者にとっても、現代の日本では得策ではなかろうと思うのである。

変化の波に倒されたのは小規模店舗だけではない。日本のスーパーのはしりであった、ダイエーすらイオンに子会社化された。世の中は変化する。変化こそ、社会のエネルギーのひとつの源泉なのである。もちろん一方で変化しないものが価値のある場合もあるのだが。シャッター通り商店街、というものをいろいろ見た小生の、とりとめのない雑感である。


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1 コメント

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シャッター通り商店街について (コナン)
2016-06-24 11:48:55
はじめまして。
シャッター通り商店街のキーワードで閲覧しました。

開店しているが事実上は
シャッターを占めているのと同じ
という観点がすごいと思いました。

私は、シャッター通りが復活しにくい原因について、
日本人は一般人の個人が儲かっているのを嫌うから
だと思います。

大規模店舗で惣菜をたくさん買っても、
総菜コーナーのパートのおばちゃんは
金持ちにならないですよね。

個人商店の総菜屋が売れまくって、
その総菜屋が金持ちになるのを想像すると、
そもそも値段が高いのではという気になって、
やがてその個人商店に買いに行かなくなる
という傾向を否定できないです。

それに気づいたのは、
中国では個人商店の方が客がいて活気があって、
大規模店舗は客が少ないという現実を
私は見ているからです。
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