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平成27年9月22日、とうとう、サンフランシスコ市議会が、慰安婦像設置案を採択してしまった。その決議の中には「日本軍によって拉致され、性的奴隷の扱いを強要された・・・」云々という文言が入っている。以前にも一部の日本人学者らが、「日本軍の性奴隷」ということを米国で吹聴していたことさえある。
この日本人たちは、性奴隷sex slaveと言う言葉が、欧米人にどういう印象を持たれるか分かっていないのであろう。彼等は奴隷といえば歌の「恋の奴隷」というようなたとえか、女郎や売春婦の類を性奴隷と認識しているのではなかろうか。だが、実際についこの前の近代において、実際に奴隷を使ったことのある欧米人にとっては違うのである。
奴隷は人間ではなく、物である。酷使して使い捨てるのである。アフリカから運ぶのにも、穀物を積むように山積みにして、換気どころか排泄の考慮もない。だから半数以上は途中で死ぬか、使い物にならないと言って瀕死の黒人は海に投棄された。それでも効率よく沢山運べれば儲かるからである。英国人は植民地インドの織物職工を、自国民と競合させないよう手を切り落とした。まして物でしかない奴隷なら、どんな苛酷な目にあったのか我々日本人には想像がつかない。
日本や米国でsex slave と吹聴している日本人は、自分がいかに恐ろしいことを言っているか分からないのである。以前、ある朝日新聞の記者は日本が植民地支配を謝罪すれば、謝罪しない欧米に比べ道徳的に優位に立てる、などと書いたことがある。これまでの経緯からそんな馬鹿げたことは絶対ないことは証明されている。だが彼らは戦前までの日本の歴史を、どこまでも暗黒なものだと洗脳されていて、謝罪するなり性奴隷なりと言いつのれば、言った自分だけは良き日本人になれるのだと信じているのであろう。
だがそうでないことは、慰安婦問題が米国で話題になるようになると、在米の邦人がいじめにあうようになっていることから分かる。彼等自身はそれらの犯罪を犯していたことはない。しかし米国人にとっては、日本人のDNAに残虐性があるからと思うのである。今オリンピックを前にして、おもてなしや日本の治安の良さ、など日本人の人間性の良さが強調されている。しかし、一方で性奴隷などという言葉が定着すれば、日本人は普段はおとなしいが、残虐性を秘めている怖ろしい民族である、という認識を持たれるのである。いくら、おもてなし、などと言っても片方で、それをぶち壊しつつあるのだ。