毎日のできごとの反省

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俯仰天地に恥じる

2014-11-23 13:40:33 | 自虐史観

 「加害と赦し」という本が出版された。「わが南京プラトーン」という著書で、当時の上官の嘘の虐殺事件を書いたとして名誉毀損で訴えられて敗訴した、かの東史郎氏とその支援者が、裁判の弁明を行ったものである。この本に「東日記を改竄した二審判決」という項があったので、国会図書館で判決のコピーを入手した。この判決は本の改竄どころか面白い指摘が多数なされていた。

 ①東氏は日記の原本は展覧会に貸したときに紛失されたと供述しているが、展覧会側はそのようなものはなかったと言っており信憑性がない。

②東氏らは300cc程度のガソリンで事件の再現実験を行っているが、自らの供述とも異なる少量で実験を行ったのは「作為的にしたものと推認せざるをえない。」

③東氏は一審では手榴弾が爆発するまでの時間を十五から二十秒と供述したが、そのようなものが存在しないことが指摘されると供述を変えた。当初の供述は殺人を準備するのにその位の時間を要することから逆算した作為による。

④東氏は現場を訪れて更に記憶がはっきりしたとして、本に書いていないことまで供述しているが、現場は当時とは風景が一変しており、「極めて不自然であり…右供述は到底信用することができない。」

⑤東氏は使用したガソリンを1合と供述したのは実験に合わせたと考えられ、本による袋の燃え方の記述と合わず「信用できない」

⑥ガソリンを抜き取った自動車の位置の供述を変更したのは、元のままでは事件を実行できないと指摘されたためである。

⑦一審では袋をかついで投げたと供述しているのに、二審では蹴り落としたと変更した。これは自らの実験で人の入った袋を放り投げるのが困難と分かったためである。

 以上のように判決では裁判官が東氏のことを、虚言癖のある信用ならない人物だと判断していることが分かる。判決によれば東氏は作家ないし新聞記者志望で文才もあり、戦地から友人に戦況を書いた手紙を送ったところ、感激したので雑誌に発表したいと言われたところ、拒絶して「そうするとしても、もっともっと訂正せねばならない」と書き残している。要するに東日記は「事実や出来事の記録ではなく」「従軍回想記ないし戦記」のたぐいで一種の文学である。

 驚いたことに昭和二十一年に東氏は「青年団報」というものに、当時の風潮を憤り「日本共産党の指導者を口を極めて批判するとともに、天皇制に対する熱烈な賛美に満ちて」いる文章を投稿したということを判決は暴露している。

 かの家永三郎氏も戦後の一時期までは、熱烈な尊皇の文書を発表したことが知られ、時流に合わせた卑劣な変節漢だというのが事実である。要するに東史郎なる人物は本来尊皇思想の持主であったが、文才があるため世に文章を発表する希望があったので、チャンスが来ると時流に迎合した「日記」を公表したが、嘘がばれた、というところであろう。

 「加害と赦し」でははるかに多い文字を要しているにもかかわらず、判決に関する反論は少ない。判決の方はよほど短いが簡潔かつ論理的な記述であり、実質的な内容は遥に多い。この本では再現実験を行って事件が可能だとしている。ところが、二審判決では実験自体が事件の再現性がないことを論証しているのにもかかわらず、これに対する反論が全くない。かくの如き次第で、実は東氏に関しては、南京大虐殺派の本多勝一氏らもあきれて相手にしていないとのことである。

 俯仰天地に恥じず、という言葉がある。嘘で塗り固めた、東史郎の行動は、これと正反対で、俯しても仰いでも恥の塊である。自身が有名になりたいと言う虚栄心のために、日本人全体を貶めて恥じない。東の子孫自身にしても、残虐な日本兵の子孫として給弾されることもあろう、ということに些かな思いもいたさないのである。

 



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