毎日のできごとの反省

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戦争犯罪人が威張るとは

2015-07-03 14:01:08 | 自虐史観

 平成13年頃だから、かなり以前の話である。高山市で元憲兵隊の「従軍慰安婦係」だという人が、シンポジウムに参加して「従軍慰安婦」問題について証言したという。アジアに大罪を犯したとか、政府は慰安婦問題を隠そうとしているなどと語気を強めた、と報道されている。

 私は彼の態度に疑問を感じる。その言葉を素直に聞く、聴衆にも疑問を感じる。彼は第三者ではない。彼は慰安婦を扱った当事者である。彼の言う「犯罪を犯した」うちの一人である。彼は犯罪者として追及されるべき立場にある人間である。

 ドイツではナチスの関係者は現在でも時効がなく、経歴がバレれば戦犯として処罰さるという。またベルリンの壁から逃亡する市民を射殺した旧東ドイツの一兵士までが、命令に従っただけであっても処罰されると言うのである。以前、自称元日本兵で、戦時中に犯した戦争犯罪を告白して、国内各地で講演をする者がいた。

 そこで、彼の支援者が、彼をアメリカに渡航させて、同様に戦争犯罪の告白の講演をしようとしたところ、先方から許可が下りなかったという。アメリカは、元ナチスの戦争犯罪者の入国を禁止していて、彼はそれに準ずる者とされたのである。これが常識というものであろう。

 ところが、彼と彼の支援者は、戦争犯罪の勇気ある告白をしに行くのに、なぜ入国させない、と怒ったのである。国内で戦争犯罪の勇気ある告白をすれば、拍手喝さいを浴びる、という奇妙な事態が続いていた。それで彼らの常識は倒錯してしまったのである。「告白者」は罪を悔いているのではない。拍手喝采を浴びて得意なのである。非人道的犯罪者(!)がである。

 冒頭に書いた元憲兵氏は、慰安婦制度を非人道的行為として、戦争犯罪同様に看做しているのなら、従軍慰安婦問題の関係者は彼本人も含め、処刑する法律を制定して責任を追及しなければならない、と主張すべきなのである。最低限、私は取り返しのつかない重大な犯罪を犯した、と悔悟すべき張本人なのである。それが、何とその犯罪者が、正義の味方のように、語気を強めて政府を責めていた、というのだ。

 時効が過ぎて処刑される心配のない殺人犯が、真犯人は私です、と名乗り出たところで、勇気ある証言だと感心する人がどこにいるだろう。

 聴衆も、目の前で悪辣な犯罪に加担した張本人が堂々と後援しているのを聞いたら、ごうごうたる非難や罵声を浴びせるであろう。けれども不可解なことにそうはならなかった。その非道な犯罪者は「アジアに大罪を犯した」などと他人ごとのように述べたのである。これは奇怪なことではないか。

慰安婦問題で、米国にまで行って日本軍は悪いことをしたと、運動して回る反日日本人がいる。彼等は「従軍慰安婦の像」なるものを米国内に建てる運動をしている韓国人と協働している。

 その結果、アメリカ在住の日本人が虐めにあっているという。当然であろう。米国人にしてみれば、性奴隷なる残虐なことを行った民族である日本人には、そんな遺伝的体質があるから他の日本人も同様に、残虐な体質があると考えるのである。

反日日本人自身は、素晴らしい正義の行為をしているつもりであろうが、彼等には同じ残虐な日本人に過ぎないのである。哀れなことに、反日日本人は米国人から自分もそのように見られている、ということに永遠に気付かない。

 



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