欧米にしても支那にしても、海外への進出とは他民族を犠牲にして、自己の最大限の利益を求めることである。すなわち侵略である。世界史的にはそれが当たり前である。もちろん支那やロシアが現に行っているように、現在でもそのことは不変である。それも自己とは必ずしも自国全体ではない。海外へ行った個人個人と考えるべきである。そもそも欧米人にも支那人にも、国のためになどという精神はないのである。
その中で、維新から敗戦までの日本だけが例外であった。確かに日本も朝鮮や満洲に進出した。しかしそれは地政学観点から日本を守る、防衛的なものから始まったし、経済的利益を得ようとするようになってからも、防衛的な考え方が基本であった。確かに日本人とて色々な手合いがいるから、大陸でろくでもないことをした人間もいる。
しかし、それは例外である。例外を極大に見せれば、例外には見えない。プロパガンダによって、例外を日本人の全体像であるかのように見せられているような状況に、現代日本は陥っている悲惨な状況にある。いずれにしても、日本は自国の為に防衛的なことをしながらも、他民族を思いやり、結果としてもアジア、ひいては全世界の植民地を解放した。世界史的に稀有なことである。モンゴルがヨーロッパまで進出して、初めて世界がつながったことに匹敵する事績である。モンゴルによって世界史が始まった、と言ったのは岡田英弘氏である。
支那のスプラトリー侵略を言うが、それが世界の常態であり、日本は例外なのである。最近ドイツの第四帝国化をいう論者が現れた。当然であろう。英国が失ったのは植民地であり、本土ではない。他の連合国側の西欧諸国も同様で、第二次大戦で旧来の本土を失った訳ではない。それどころか、東ティモール問題やミャンマーでは、隠れてかつての宗主国としての権利を行使している。
それに比べ敗戦によってドイツが失ったものは大きい。領土や人間の損失ばかりでなく、西欧が行ってきたユダヤ人迫害、という罪を最大限にしたうえで、あたかもドイツだけの罪とされて、名誉まで失った。ドイツは名誉回復を画策しているのだろう。日本と違ってドイツは敗戦には慣れているのである。
日下公人氏と宮脇淳子氏が「日本がつくる世界史」という本で現代世界に流布している世界史は嘘と不公平ばかりであるが、公平で本当の世界史が書けるのは日本人だけだ、と述べている。その根底には、小生が述べたように、日本が維新以後、世界へ多大な貢献をしている、という認識があるはずである。