毎日のできごとの反省

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玉ノ井異聞

2020-05-08 17:26:47 | 東京の風景

 以前の話だが、平成27年9月26日のテレビ番組の、アド街ック天国は、向島百花園だった。9月半ばに萩のトンネルがピークで、見に行ったばかりなので、期待していた。東武線の東向島駅下車で、番組でも紹介されていたが、旧駅名は玉ノ井である。玉ノ井といえば永井荷風が通って、墨東奇譚の舞台となった、往年の花街である。

 東武線、東向島駅(当時玉ノ井駅)

 

ここは、玉ノ井の近く、墨田区の鳩の街である。ここも玉ノ井と同じく花街だったが、売春防止法施行とともに普通の商店街に生まれ変わったのである。

 

 歌手の木の実ナナが、地元だと言って話し出した。近所に玉ノ井の女郎が住んでいたのである。ご出勤のときは、真っ赤な口紅を塗って出ていくのが羨ましくて、早く大人になりたい、と思ったそうである。

それが昭和30年代の売春防止法の施行で、花街が閉鎖になる当日の話である。閉鎖の時間になると、蛍の光の音楽が流れてきて、ご近所の女郎たちが泣き出した、というのである。性風俗を全く知らない小生でも、ホロリとくる話である。嫌な職業から解放されるなら泣く者はいまい。この逸話だけで日本の女郎、すなわち売春婦がいかなる身分か分かる。

 女郎は決して性奴隷ではない。日本に奴隷がいたことはない。米国にまで行って慰安婦を性奴隷と言いつのる、反日日本人はよく考えるべきである。米国人は、奴隷が人間扱いされない、如何に悲惨な人たちか、歴史的記憶があるはずである。まして性奴隷とは奴隷の中でも最低である。性奴隷と言う言葉によって米国人に日本人は残酷な民族だと言う間違いを広めると同時に、いいつのる自分自身をも貶めていることに気付かないのである。おそらくこれら日本人は、性奴隷と言う言葉を、もののたとえとして使っているのに過ぎない。彼らにとっては、現代の性風俗嬢も彼らにいわせれば、「性奴隷」なのである。これほどの言葉のすれ違いもなかろう。

  永井荷風は向島界隈の女郎部屋に入り浸っていた。荷風が晩年、現金と預金など金融資産一切を入れた鞄を常に持ち歩き、その鞄を落としてしまったと言うエピソードは有名である。小生がママチャリで玉ノ井周辺をうろうろしているとき、なぜかスーパーに、その事件の詳細を記したパンフを見つけたのである。総額二千万円余の落とし物を、占領軍米兵が発見して届け出て、多額の返礼を期待したら、数十万しかもらえなくて吝嗇にあきれて憤慨した、というようなエピソードが書かれていた。

 戦後も玉ノ井周辺の娼家で散財して、年老いてからは娼婦たちから、金回りのいいお爺ちゃんと好かれた荷風は、結局、今ならば何億のカネを鞄に常に持ち歩いて残して、孤独死したのである。遊び人永井荷風の面目躍如と思う次第である。荷風の遊びは半端ではない。若い頃落語家に弟子入りして、朝寝坊夢之助の名で一年ばかり高座に上がっていたのを、親にバレてやめさせられたことさえあったのである。小生は漱石全集と、二葉亭四迷全集は読破したが、荷風は読みたいと思いつつ文庫本で済ましているから限界がある。終生鴎外の漢籍を師として博識に依拠した、永井荷風の現代口語文は、鴎外漱石をも越える名文と思うのある。はて玉ノ井から脱線しました。丁度時間もよろしいようで。

 



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