毎日のできごとの反省

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「南京事件」の探究・再考

2015-10-24 14:47:49 | 自虐史観

 美津島氏という方のホームページで、小生の「『南京事件』の探究」の書評を引用していただいた。そこで、以前にも書いたが「南京事件」という言葉について論考してみようと思う。

まず「南京大虐殺」と言う言葉は、プロパガンダの用語であって、歴史上の事件に使われるものとしては不適切であると考える。しからば「南京事件」である。歴史上の事件である、というからには、特異なもの或は歴史上の意義を有するものでなければならない。「南京事件」とは、南京攻略戦の際に日本軍が犯した、不法殺害、略奪、強姦、放火などの行為をいうものとされるのが、一般的認識であろう。

しかし、都市攻略において、一般民衆が存在する限りにおいて、これらの行為は皆無ということはない。米軍の沖縄攻略戦やマニラ攻略戦においても、南京におけるより遥かに大きな規模で、これらの不法行為がなされている。米軍はフィリピンの民間人を不必要に殺し過ぎた、と陰口を言うフィリピン人はいる。それならばなぜ「那覇事件」や「マニラ事件」と呼称されないのであろうか。

根本的原因は米軍が勝者で、日本やフィリピンがそのような事件を取り上げることが許されないからである。しかし、米国は、一般民衆が巻き込まれた以上、戦闘の被害は生じるし、強姦事件もあったが、偶発的で仕方ない程度であった、という弁解位用意している。現に「天王山」という本で米国人の著者は「米軍にも残虐行為はあったが、日本軍よりましだった」と言う主旨でうそぶいている。

被害に遭った人たちからすれば、仕方ない程度、などと言う言葉は許せるものではない。だが国際法適用上の現実なのではある。国際法の大家の立作太郎氏の「支那事変国際法論」でも、戦闘中に非戦闘員が被害にあう場合で、国際法上許される限界に言及している。南京攻略での日本軍行為は多くの場合、国際法上合法か、不法があっても極めて小規模であって、都市攻略の際の状況としては特別なものではない。日本軍の南京の攻略の歴史的意義は、中華民国の首都が日本軍によって占領され、蒋介石が首都を簡単に放棄して逃亡したことにある。すなわち歴史上は「南京攻略」である。

確かに松井大将は不法行為を嘆いたが、敵国首都攻略という重大時の際に、大将は完璧に不法行為を防止しえなかったことを言っているのであって、潔癖がなせる発言である。故に歴史上、戦史上も南京攻略戦における不法行為は「事件」と呼ばれるべきものではなかった。従って小生は資料の引用等やむを得ないとき以外は「南京大虐殺」はもちろん「南京事件」とも言わない。南京大虐殺などはプロパガンダに過ぎない、という人達ですら「南京事件」と言う人がいるが、それは南京攻略の際に、日本軍が歴史上の事件と言うべき不法行為をした、と認めてしまっているのである。

むしろ、敗戦直後のドイツで、米ソ軍が行った、何十万という規模の強姦と、百万単位の殺害の方が、なぜ歴史的事件として取り上げられないのか怪しむ。日本に於いても、敗戦直後関東地方だけでも、万単位の強姦事件があった。もちろん市民殺害もである。しかも日独で行われた連合国の犯罪は、戦闘が完全に収束して、勝者が完全に支配している中で行われた悪質な事件であった。人道的な米軍などと言う言葉は、GHQの洗脳である。日本人は米軍が占領中に行った、多くの不法行為を忘れてはならない。むろん、小生は反米感情を抱き続けよ、と言っているのではない。事実を忘れるべきではない、といっているのである。


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