木造建築と地震・・・・構造計算用データベース?

2008-02-08 11:36:17 | 構造の考え方
ここしばらくの話のついでに、一昨年(2006年)あった話を書いておこう。
同年7月、国交省住宅局木造住宅振興室なる部局が、各県の住宅担当部局にあて、上掲のような依頼をしている(担当者名等の部分は省略)。
そして、まわりにまわって、それについての「意見」を述べてくれないか、との依頼が茨城県建築設計事務所協会からあった。

そこで、国交省の「依頼」の趣旨を読んで、不明や疑義のある点をまとめ、当方の「意見・提案」を書き、提出したのが以下の文(表紙は省略)。
中味はかねて書いてきたことと重複し、少し長いが、お読みいただければ幸い。

もちろん、先回触れたごとく(例のごとく)、受け取った旨の連絡はなく、したがって、もちろん、当方の疑義や意見への応答はない。その後、どういう結果になったのかも不明。

   註 昨年には、今度は県の農林部局から、木材のスパン表なるものの
      作成依頼があった。スパンいくらのときの標準材寸はこれこれ、
      という表を、各県ごとにつくるのだ、とのこと。
      それはまったく意味がない、といってお断りした。
      いったい、行政のエライ人たちは何を考えているのやら・・・。



はじめに

「伝統的木造軸組住宅」(以下、「伝統的工法」と表記)への関心が高まってきた今、データベースを構築することは、時宜にあった試みであるとは考えます。
ただ、趣旨に若干の疑義と不明な点がありますので、意見を述べさせていただきます。

Ⅰ:「伝統的」の概念と「伝統的工法」の理解のされ方、その現状

「伝統的木造軸組住宅のための構造計算用データベース構築」にあたっては、先ず、以下の点について確認しておく必要があるのではないでしょうか。
 
1.日本各地で長年にわたり培われ、用いられてきた木造工法が、なぜ「伝統的」と呼ばれるようになったか、その経緯について。
2.現在、木造の「伝統的工法」、およびその工法による建物を具体的に知る人が少なくなっている(知る必要を感じない人が多くなっている)が、なぜこのような状況が生じたのか、その経緯について。

この点についての見解を以下に述べます。 

1.「伝統的」「伝統的工法」の概念について

建物をつくる技術・工法は、世界各地域で、地域なりの歴史があります。
そして、その技術・工法の歴史は、連続的で断絶がないのが普通です。
また、技術・工法は、世界各地域間での交流が行われますが、その際、他地域の技術や工法を鵜呑みにして採用することはなく、自国・自地域に適合するものだけを採用する、あるいは適合するように改変して採用するのが普通です(日本の場合、奈良時代の大陸伝来の技術への対応に、すでに見られます)。

このことは、国内に限っても同様で、地域に応じて、地域なりの特徴ある工法・技術として結果しています。
したがって、「伝統的」traditionalというとき、その概念は、元来、そのような歴史を顧みての概念、すなわち「その地域特有の」という意味であって、単に「古いもの」という時間的概念でないことは言うまでもありません。

けれども、日本では、「伝統的工法」とは「現行法令が規定する工法」と技術的に無縁な過去のもの:文化財的なもの(現在では無用なもの)であり、法令の規定する工法より劣るものとされてきたため、一般の間に、「古いものは知る必要がない」という考え方が根付いてしまいました(建築教育でも「伝統的工法」からの脱却が説かれてきました)。
実際、「伝統的木造軸組工法」と「現在法令が規定している木造軸組工法」とは、技術史的に見ると連続性を欠き、その間には大きな「断絶」があると言ってよいでしょう。
しかも、この「断絶」は、必然的に生じたのではなく、1950年制定の建築基準法および関連法令の規定策定によって生じた、いわば「人為的な断絶」である、との認識が必要なのではないでしょうか(Ⅱ-2、3項において、詳述します)。

2.「伝統的工法」を知る人が少なく、誤解も多い
 
「建築士のための指定講習会」などの受講者で、「伝統的工法」でつくられている建物を知っている、「刻み」(部材の加工作業)の現場を見たことがある、「継手・仕口」について知っている、という受講者は、全体の10%にも満たないのが実情です。
これは、現在建築実務にかかわる建築士の多くが、すでにほとんど1950年以後に生まれた世代であり、教育の場面で「法令が規定している木造軸組工法」のみを学び、「伝統的工法」については建築史上の過去の単なる一事例として知るだけで(それさえ知らない人もいます)、疎遠な存在になっているからです。

さらに、枠組工法の導入後、木造軸組工法を《在来工法》と通称するようになってからは、「伝統的工法」と「法令が規定している木造軸組工法」との区別さえ、分らなくなっているように見受けられます。

このことは当然、建築関係者以外の一般の人びとの木造建物についての見方にも影響を与えています。
たとえば、「筋かい」がない建物は危険、あるいは「筋かい」さえ入っていれば安全、という見方は、一般の人びとの間にも広く流布し、昔の建物は、どれも地震に弱いとさえ思われています。
この原因は、一に、建築関係者の発言によるところが大きいのです。最近の「耐震補強」の推進にあたり一般向けに出されている広報や「簡易耐震診断法」も、大きな誤解を生みだしているように思えます。
たとえば、茨城県下では、どう見ても強固な、差鴨居を使用して丁寧につくられている農家住宅が、耐震診断法に従うと壁量不足で危険な建物に該当してしまい、説明に苦慮している事例が多数あります。
   
以上のことから、データベース構築にあたっては、「伝統的工法」とは何か、「伝統的工法」と「現在の法令の規定する工法」とはどのような関係にあるのか、そして、今、なぜ見直しの機運が生じているのか、その経緯等について、客観的に整理し、広く世に開示することが先ず必要と考えます。


Ⅱ:「データベース化の必要性」の論拠について

「依頼文」中に述べられている「データベース化の必要性」についての論拠には、下記の点で、疑義があります。

1.「地域特性に即した多様性こそが特徴である」との認識から「全国一律の仕様が必要である」との結論を導く論理は、はたして妥当か。
2.「全国一律の仕様が定められていない」ことが「伝統的木造軸組住宅」の普及を阻害している、との理解・解釈は、はたして妥当か。
3.「伝統的木造軸組住宅」の工法を「現行法令の軸組木造についての考え方、規定」で解釈することは、はたして妥当か

この点ついての見解を以下に述べます。

1.「全国一律の仕様が必要」とする認識の問題点

「依頼文」中にある「伝統的木造軸組住宅は、地域特性に即した多様性こそが特徴であり長所である」との認識については、まったく異論の余地がありません。
これまで、なぜこの点についての認識を欠如していたのでしょうか。

しかしながら、この「認識」から、「個別に構造耐力上の安全性を確認するための構造計算を容易にするために、全国一律の仕様策定のための構造計算用のデータベースを整備する」という考え方に、なぜ至り得るのでしょうか。論理的に無理があります。
「全国一律の仕様」が設定されたならば、「伝統的木造軸組住宅がもつ地域特性に即した多様性という特徴・長所」は、「一律」の中に埋没し、それぞれの地域の「特徴・長所」が消失してしまうことは明らかで、「本計画」の趣旨にも反することになります。

実際、現行の法令は、風や断熱(保温)、地盤などについては地域別の規定を設けてはいますが、構造にかかわる基本的な条項は全国一律で、かならずしも地域の特性に適しているとは言いがたいのが実情ではないでしょうか。
たとえば、台風に遭遇することの多い沖縄地域では、軸組の基礎への緊結が規定されてから、台風による建物倒壊の事例が増えた、というのが、地元の建築技術者の間では常識だと言います。
その他にも「全国一律の規定」により生じる問題は、多々あるのではないでしょうか。

大事なことは、「伝統的木造軸組住宅は、地域特性に即した多様性こそが特徴であり長所である」ことを、歪めずに、ありのままに理解することなのではないでしょうか。

2.「伝統的木造軸組住宅」の普及を阻害している真の要因

「依頼文」では「伝統的木造軸組住宅」普及の阻害要因として、「全国一律の仕様が定められておらず、構造計算のための必要なデータ収集に多額の費用を要する」ことが挙げられています。
この「構造計算」とは、現行法令の規定している「構造計算」のことと思われます。
しかし、木造建築についての現行の構造計算の考え方は、はたして、「伝統的工法」の特徴に即したものなのでしょうか(3項でも触れます)。

周知のように、「伝統的工法」は、「仕口・継手によって部材相互を一体の立体に組上げ、外力に対しては、その立体全体で抵抗する」点が特徴です。

この方法は、長年にわたる現場での経験から得た「木材は同種同寸の材でも性質が異なるが、一体の立体に組み上げると異なる性質は相殺され、また相乗作用によって外力に対して一層強固になる」という事実についての知見を前提に生まれたものと考えられます。
このことは、日本の建築の歴史を振り返ると明らかで、掘立て方式から礎石上に軸組を据える方法に転換して以来、足固め、長押、貫、土台、通し柱、そして差鴨居の活用へと、段階を踏んで「架構の一体化・立体化へ向けての技術」が発展し、それとともに「継手・仕口」も各種の工夫・考案が積み重ねられてきたのです。
特に、貫や差物が、全国各地の建物にくまなく、しかも早く普及している事実は、「架構を一体の立体に固めることの利点」を、人々が強く認識していたからに他なりません。

なお、「伝統的工法」は、部材相互が、いわゆる「相保ち(あいもち)」であるため、一部材が損傷しても直ちに全体の破損に至ることはなく、しかも当該部材を修復できるという特徴がありました。これが「伝統的工法」を長持ちさせてきた大きな理由でもあるのです。
これに対して、現行の法令の規定する工法では、一部の損傷(特に耐力部の損傷)が、直ちに架構全体の破損へと至る可能性が高く、また修復も容易ではありません(むしろ不能と言ってもよいでしょう)。

ところで、「伝統的工法」の体系化へ向けての技術的な革新は、現場における数々の経験で培われた技術者の「直観」に拠っています。その蓄積の結果、近世初頭には、この技術・工法は、体系的にほぼ完成の域に達していた、と見てよいでしょう。
これは、当然、構造力学や構造計算が確立する遙か以前のことです。
鉄材を使う建築工法において、I型断面の梁が考案されたのは(J・ワットが最初の考案者とされています)、「断面二次モーメントの概念」が確立する半世紀も前であることと通じます。
近代建築学は、この「直観」に支えられて体系化した「伝統的工法」を、「構造計算により構造耐力上の安全性を確認する」ために「定式化」して理解しようと試みました。
そのためには、軸組架構内の力の伝わり方を数値化して解析しなくてはなりません。

ところが、木材は力学的性質が使用木材ごとに異なり、さらに「くせ」の違いもありますから、個別架構ごとに、使われている各材料の性質や「くせ」などを調べ上げなければならず、それゆえ、得られる結果も「一般解」ではなく「個別・特殊解」です。
「依頼文」中にも「・・・(全国一律の仕様がないため)個別に限界耐力計算等の構造計算を行う必要があり・・」とあります。
そこで、「一般解を得ること」を目的に、「一体に組まれている木造架構」を各面に分解し、「耐力を有する部分」と「耐力を有しない部分」とに分け、「耐力を有する部分の量:壁量」で架構の強さを定量的に測定する方法が考案されます。
たしかに、こうすれば、木材の性質いかんにかかわらず、数値化:定量化が可能になります。これが現在の「法令の規定する軸組工法の考え方」の基本に他なりません。
しかし、このときすでに、「一体の立体に組むこと」に意味があった「伝統的木造軸組工法」は、「似て非なる」姿に置き換えられてしまったことになります。
さらに、この考え方が推進された結果、「耐力部分さえ一定の量さえあれば架構の強度は確保できる」と考えられるようになり、「架構全体を一体の立体に組む」ことは重視されなくなりました。
現在進められている「耐震補強」も、「耐力壁」部分にかかわる軸組の補強が主で、架構全体の一体化・立体化について考慮されているとは言えません。 

以上のことから明らかなように、「伝統的木造軸組住宅」「伝統的工法」が普及しない原因は、「構造計算を容易に行うことができない」からではありません。
むしろ、「定量化できないものを、定量化・数値化し計算するように求める」という「無理」に原因がある、との認識が必要でしょう。

現在、書院造を範とした武家住居、農家住宅に多くみられるL型に縁をまわすなどの開放的なつくりの建物をつくることは、「法令の耐力壁量の規定」の下では不可能です。
しかし、このような「伝統的工法による建物」で、地震、台風などに遭遇しながらも、100年以上、架構に致命的な損傷を受けず、現存している例が数多くあります。

そこで、この事実を踏まえ、これらの建物では、技術者たちは、どのようにして「架構の安全性の確保、その確認」を行っていたのか、その事例を広く収集・研究し、そこから「伝統的工法の考え方」を抽象する、いわゆる「疫学的」研究・検討を行う方法があるのではないか、と考えます(後述、Ⅲ章参照)。

3.「伝統的工法」を「現行法令の規定」で律することには無理がある

2003年12月の告示第1100号改訂で、「小舞土塗り壁」等の壁倍率が見直されました。
この改訂についての解説書に、「差鴨居も改訂の対象として検討したが、耐力壁として扱うには無理があり、結論は持ち越された」旨の注目すべき文言があります。
これは、「伝統的工法」を見直すにあたり、「現行法令の木造軸組工法の考え方」、つまり「耐力壁の確保」を援用した、ということです(「小舞土塗り壁」などの実物実験も、当該「壁」部分だけを切取った部分模型で行われています)。

すでに2項でも触れたように、「伝統的工法」は、「部材を継手・仕口で一体に組上げ、一体に組まれた架構全体で外力に抵抗する」点に特徴があります。
したがって、部分だけ切り取って考察すること自体が、すでに、「一体に組まれた立体架構」という「伝統的工法の特徴」に反することになります。

「伝統的工法」では、軸組架構の強度を「耐力を有する壁」にのみ期待する考え方は採っていません。もちろん壁に耐力がないわけではありませんが、それだけに依存する考え方はまったく採らないのです。それゆえ、壁がほとんどなくても、地震などの外力に耐えられる建物をつくることができたのです。
東大寺南大門はその典型で、現行法令の規定によれば現在では建設が認められない建物ですが(高さ約25m、耐力壁に相当するものはなく、しかも軒の出約5mの瓦屋根で重心位置が高い・・・)、800余年も無事に建っています(ほとんどすべての部材が当初材です)。
この南大門をはじめ、東大寺の鎌倉復興の建物で初めて使われたとされる「貫の技法」は、その効能が認められ、以後広く全国に普及し、社寺はもちろん住宅建築でも用いられるようになります。
また、最近の大地震でも、壁のない四脚門が多数、被災を免れています。
それは決して偶然ではありません。
これらの明らかに現行法令の規定に反する建物が、なぜ地震に耐えることができるのか、その事実を認識するとともに、その理由を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

以上のことから、「伝統的工法の見直し」にあたり、「法令の木造軸組工法の考え方」を援用することは妥当ではなく、これ以上の「矛盾」の拡大を避けるためにも、この考え方からの転換が、早急に必要なのではないでしょうか。 


Ⅲ:「伝統的工法」再考のためにデータベース化が望まれる資料

「依頼文」には、「データベース化にあたっては、国土交通省が実験等を通じて収集できるデータには限りがあるので、各地域の研究機関や木造住宅関連団体などが保有している『伝統的木造軸組住宅の新築』や『民家の移築・再生』のデータの提供により、データベースの充実を図る」旨、述べられています。

たしかに、これはデータ収集上の一方法ではありますが、「現在の具体的実施例」についてのデータに関して言えば、事例としては数量的に自ずと限界があり、さらにそこで得られるデータは、「伝統的工法:伝統的木造軸組住宅」のデータではなく、いわば「偏ったデータ」にならざるを得ないのではないでしょうか。

なぜなら、現在各地で行われている「伝統的木造軸組住宅の新築」や「民家の移築・再生」は、いずれも現行法令に適合するように設計施工せざるを得ないために、いかにして耐力壁量を確保するかなど、「法令に合わせるための策」が施されています。
すなわち、「伝統的工法で建物をつくっている」のではなく、「伝統的工法風の建物をつくっている」のです。したがって、それらから得られるデータも、「伝統的工法:伝統的木造軸組住宅のためのデータ」ではなく、「現行法令の下で、《伝統的工法風の建物》をつくるためのデータ」になってしまうのではないでしょうか。

こうして得られた「現行法令の下で、《伝統的工法風の建物》をつくるためのデータ」が、万一、「伝統的工法:伝統的木造軸組住宅のためのデータ」であるかのごとくに扱われ、流布してしまうと、「伝統的木造軸組住宅」:「伝統的工法」は、さらに歪められて理解されるようになり、取り返しのつかない重大な結果を生じてしまうのではないでしょうか。

すでに触れたように、「伝統的木造軸組住宅」:「伝統的工法」による建築の実例は各地に多数存在し、その多くは国指定、都道府県指定、あるいは市町村指定の「文化財建造物」として保存されています。それは、住宅に限っても、農家、商家、武家住宅・・と幅が広く、多くの事例があります(なお、近年の「登録文化財」制度によっても、多くの「伝統的工法」による建物が登録・保存されるようになっています)。
指定され保存・修理が行われた文化財建造物については、「保存修理工事報告書」が調査主体(国あるいは都道府県、市町村、建物所有者など)から刊行され、刊行総数(すなわち建造物数)は、すでにかなりのものになっています(ほぼ半世紀にわたる成果です)。

これらの「保存修理工事報告書」には、その建物の建設年代、使用材料や工法・技法、他の類似事例との関係などの解説が、詳細に調査され報告されています。
「保存修理工事報告書」から得られる「伝統的工法」についての知見は、具体的かつ実証的で、技術的な面に限ってもきわめて大きなものがあり、その考え方の多様さ、事例ごとの様々な問題に対する工夫などは、現在の設計・施工実務にも十分通用する、多くの示唆に富んでいます。

しかし、この「保存修理工事報告書」は一般に市販されていないため、大学の研究室や限られた大図書館以外では、直接手にとって見ることはできません(古書店で購入できる場合もありますが、すべてではなく、しかも高価です)。
その結果、この貴重な資料は、活用の機会を限定され埋もれてしまっていると言っても過言ではありません。「報告書」を閲覧する方は建築史学関係の方々が主で、現在設計・施工の実務に関わっている方は、ほとんど利用していないようです(むしろ、利用できない状況と言った方がよいでしょう)。
それゆえ、この貴重な資料が、より広く、共通の知見として活用される方策が考えられてよいのではないでしょうか。

そこで、今回の「伝統的木造軸組住宅のための構造計算用データベース整備」計画の一環として、関係各機関(国交省、文化庁、都道府県教委、市町村教委等)の連携による「文化財建造物保存修理工事報告書のデータベース化」の推進の提案をさせていただきます。
このような作業は民間では行いがたく、貴職をはじめとする行政に於いてこそできることではないかと推察いたします。このデータベース化が進み、広く一般に公開されることになれば、「伝統的木造軸組住宅」:「伝統的工法」の理解と普及促進にとって、計りしれない効果が期待できるのではないでしょうか。

現在、(財)文化財建造物保存技術協会から、協会が調査・研究にかかわった建造物についての「文化遺産オンライン・建造物修復アーカイブ」が、試験的にインターネット上に公開され、現在160事例が紹介されています。
広く一般に公開される点で、これまでなかった非常に注目すべき、そして歓迎すべき試みですが、ただ、現在のところ、当該建物の一般図、竣工外観写真、解体工事中の写真などに限られているため、技術・工法などの詳細について知るには、それぞれの報告書に接する必要があります。

「伝統的工法」について認識を深めるために、「文化財建造物保存修理工事報告書のデータベース化」の提案をさせていただき、「意見書」を終らせていただきます。

なお、内容に疑義、不明点等がありましたら、何なりとご連絡ください。[以上]
コメント (3)
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木造建築と地震:補足・・・・パブリックコメントという「形式」

2008-02-07 06:07:39 | 構造の考え方
先回の「木造建築と地震・・・・驚きの《実物》実験」の末尾の註で、「研究者」との間の質疑応答が一方的に打ち切られた話について簡単に触れた。
それを書きながら、この頃よく行政機関が行う「パブリックコメント」が頭をよぎった。
多分、「一方的」な点が共通しているからだろう。ただ、長くなるのでそこでは書くのをやめた。

「土塗壁・・・・の壁倍率に係る技術解説書」には、この壁倍率改訂にあたってなされたパブコメで寄せられた「意見・質問」とそれに対する国交省の「考え方」が2頁にわたる表で示されている。
ただし、どれだけの数の「意見・質問」が寄せられたかについては記載がない。
それゆえ、「意見・質問」が、表に記載された項目に全て要約されているかのように理解されるだろう。
しかし、そんなことがあるわけがない。無視された「意見・質問」がかならずあるはず。

私も一度、バカを見るのを承知で「意見」を述べたことがある。
しかし、その「意見」が受け取られたのかどうかさえも知らされず、後に公表されたパブコメの「結果」には、私の「意見」に該当する項目はなかった。

パブコメではなくても、意見を求むという依頼に応じて意見を送っても同様で、受け取ったという通知はもとより、それに対してどのように考えるか、つまり応答は何もない。つまり、なしのつぶて。

こういうのを見ていると、一見「民主的」な装いをとってはいるが、実態はそうではないことがよく分る。
要は、これもよく行われる「公聴会」と同じ、単なる「民主的様相をとるための形式的行事」になってしまっているのだ。例の「タウンミーティング」に至っては、サクラが用意されていたではないか!

   註 「民主的」の字義  新明解国語辞典 第五版 による

      「どんな事でも一人ひとりの意見を平等に尊重しながら
      みんなで相談して決め、だれでも納得の行くようにする
      様子。⇔独裁的」

しかし、どうしてこのように「民主的」を装うのか。これは興味深い現象と言ってよい。
「そんなやり方は民主的でない、独断的だ」と言われることを恐れているからだ。もう少し端的に言えば、民主的云々なのではなく、単に、「文句を言われない」ための「予防線」。民の目がこわいのだ。
ただ、そこで彼らは居直る。民の目はごまかせばいいのだ、と。
そして、「形式」さえ整えておけば、なんとかごまかせると思う。

しかし、民衆をそんなに甘く見てはなるまい。そのしっぺ返しは必ず当の本人にかえってくる。

君たちは少しも偉くはない。ただそう思い込んでいるだけだ。単に、国という機関に属し、国は個々人よりエライのだと思っているに過ぎない。
しかし、国は、個々人がいなければ存立し得ない。このところを、この肝腎なところを、忘れてはいないか。

そして、ある種の研究者、国の施策の策定にかかわる研究者たちは、国の施策にかかわる、というただそれだけのことで、自らがどえらい地位にいるかの錯覚を抱き、振舞うようになる。
先回紹介した「実験」もその一例と言ってよい。まるで、自分たちがすべてを差配できる、かの錯覚を抱いている。

「御用学者」という語がある。
新明解国語辞典による語意は次のようになる。

「政府や有力な企業の言いなりになって真実をゆがめ、時勢の動向を見て物を言う無節操な学者」

まことに見事な解説。ただ、現今の建築技術に関する場面では、「国の言いなり」の策定そのものにかかわり、さらにそれを「保持すべく挺身する者」、という一項も加えなければなるまい。
何故挺身するのか。
その内容から判断して、「学」のためではない、ことだけは確かである。

   註 ここへ来て、TVでは、また連日の如く「お詫びの時間」。
      いつも思うのだが、
      民間の、つまり企業の人たちが頭を下げるのはいつものこと。
      しかし、お役人や学者が、謝るのを見たことがない。
      過ちを素直に認めるのを見たことがない。
      多分、思考の構造がそうなっているのだろう。自分たちは
      世の中で一番エライのだと思っているのだろう。
 
もう少し明るい話を書きたいのだが・・・・。

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木造建築と地震・・・・ 驚きの《実物》実験

2008-02-05 00:03:46 | 構造の考え方

[註記追加:2月5日 14.40][訂正:2月5日 17.51][文言追加:2月6日 1.54]

先日(1月6日)、昨年末に行われた「中近東に多い煉瓦造建物の耐震法研究のための実験」の内容について論評をさせていただいた。

このところ実験が多いようで、先月末の1月29日には、「伝統的木造住宅の構面振動台実験」が行われている。
こういう実験があったことを最初に知ったのは、1月29日のNHK・TVの夕方のニュース。その「きょうの主なニュースの項目」で見かけたのだが、肝腎の内容は見そこなった。
そこで、NHK・オンラインで調べたところ、実験主体が建築研究所であることが分り、建築研究所のHPには、この実験に関するプレスリリースが載っていた。

上の二段組箇所の左側がNHKのニュースの内容。
一段組の箇所の文(研究趣旨)、図(試験体の図)および二段組部分の右側の写真(試験体外観)は、プレスリリースからの転載。なお、図中の色付き文字は、筆者の追加。

「オンライン・ニュース」には映像は紹介されていないから、文中の「居間に見立てた、高さおよそ5メートルの箱型の建物」を読むと、大きい試験体なのだ、と思ってしまうが、そうでなかったことは「プレスリリース」を見ると明らか。他にも誤解を生むだろうと思われる表現があるが、まあ、これはご愛嬌、としておこう。

   註 ニュース冒頭にある「本来、地震に弱いとされる
      伝統的な木造住宅・・・・」という文言は、実験主催者が
      そういう説明をしたのではないだろうか。
      もしそうだとしたら、その知見が疑われてよい。
                           [註記追加] 

しかし、「プレスリリース」で「伝統的木造住宅の・・・」と謳った今回の実験の「趣旨」と「試験体」を見て、「ちょっと待ってくれ・・」と私は思わず言葉を発した。
いったい、何を考えているのだ・・・!?

それは、先年「復権した」「小舞土塗壁」などの「基礎データ?」収集のために為された「実験」を知ったときと同じであった(「土塗壁・面格子壁・落とし込み板壁の壁倍率に係る技術解説書」平成16年2月 日本住宅・木材技術センター刊 参照。実験者は同一研究者グループのようだ)。


以下、私の率直な感想・所見を記してみる。

1)「伝統的木造住宅」とは、どのようなものを指しているのか。

図や写真で分るように、試験体は、1.5間(5.46m)間隔で立つ3本の柱に「桁」を載せ架け、柱脚近くに「足固め」、鴨居レベルに「差鴨居」(プレスリリースは「指鴨居」と表記)を設けたものを「構面」と呼び、その「構面」を1間(1.82m)幅で2枚並べ、その両端:小口を厚12mmの構造用合板でふさぎ、天井面に厚24mmの構造用合板を張ったもの(床:足固め位置にも厚12mmが張ってある?)。図にはないが、写真で見ると、桁には両端に梁?とおぼしき材が乗っている。[天井の構造用合板の厚さ訂正、床については写真には見えるが不明 以上訂正]

さて、この試験体のどこを「伝統的木造住宅」と言うのだろうか。

先ず、組立てられた試験体全体は、明らかに、「伝統的な工法」では考えられない、あり得ない架構(1間幅の渡り廊下ならばないわけではないが、そのときは、両端はふさがない)。
NHKニュースが「伝統的な木造住宅の居間に見立てた・・」という言い方をしているのは、1間幅の居間などあるわけがないから、実験主催者からそのような説明でもあったのか(実験を見た記者がそう思うわけはないだろう)。

この試験体に、あえて「伝統的な」ものを探すとすれば、「差鴨居」と「足固め」という名称。ただ、柱との仕口を明示されていないので、本当に「差鴨居」「足固め」であるかどうかの判断はできない。
なぜ、詳細を明示しないのだろう。そんな《専門的なこと》は世に知らせる必要がない、と思っているのなら、世の中をバカにしている証。

   註 「伝統的」とは何か、を正しく説明する、説明できるのが
      「専門家」の責務。ごまかしてはならない。

「伝統的な工法」の「差鴨居」「足固め」は、通常、直交する方向にも入るもの。
この試験体のような場合には、両端部にも正統な仕口で「差鴨居」「足固め」が入り(普通は中間の柱相互にも「足固め」が入り、時には同位置に「差鴨居」も入る)、桁には梁が正統な仕口(「渡りあご」など)で取付くのが普通。そのとき、端部:小口面はふさがない。

1間幅でも、このような架構になっているのならば「伝統的な架構の試験体」と言えるだろうが、実験の試験体は、どう考えてもそうとは言えず、むしろ、《在来工法》の一部を《伝統的な工法風》にしてみただけ。
つまりこれは、「伝統的木造住宅」の実験には相当しない。

こういう試験体による実験を「伝統的木造住宅・・」の実験、などと言うのは、私だったら憚る。
まして、こういう実験で、「伝統的木造建築物の耐震設計法の検討に用いられ、今後の普及に役立てられる」などと言うのは、正常ならば、言うのもおこがましい、と思うべきなのではあるまいか。

2)材寸は何に拠って決めたのか。

この実験は、柱を150mm角とすることを前提に行われているのではないか。

NHKニュースの「・・通常より5センチほど太い材木が使われ・・」という文言は、おそらく実験者から、そのような解説があったからだと察せられる(記者がそのように判断するとは思えない)。
おそらく、実験者側に、「伝統的木造住宅」は、「通常」よりも「柱が太いものだ」との「予断」があるのではないか。

たしかに、古い農家や商家などには、柱の太い建物がある。それは、細かな細工ができなかった頃の話。時代が下れば構造的に必要な寸法、妥当な材寸になる。
今、民家というと、骨太のイメージでとらえられることが多い。
しかしそれは、江戸末~明治初めのある時期、建屋をステータスシンボルと考えた時代につくられた建物を「民家」の代表と誤解したからで、「差鴨居」を用いるようになる近世の普通の商家や農家の住宅では、柱は決して太くはない(不必要に大きな材を用いないのが常識)。
1800年代中ごろの差鴨居を多用している商家の建物をみると、いわゆる大黒柱もなく、仕上りで4寸3分(約130㎜)角程度が標準的な寸法であることを以前に紹介した(07年5月30日「日本の建築技術の展開-29」の高木家の架構参照)。
また、「差鴨居」を用いず「貫」に拠る建物でも「大黒柱」はなく、平均4寸3分角の柱(サワラ材が主)であることも紹介した(07年5月24日「日本の・・技術の展開-27」の島崎家)。

NHKニュースの「通常より5センチほど太い・・」の「通常」は、法令の「105㎜以上」を指しているものと考えられるが、それが「通常」になったのは、法令がそのように規定してしまった後の話で、「伝統的な住居」では、仕上り4寸以上が「通常」だったのである(これについては、07年6月13日に紹介した、桐敷真次郎氏の論説「耐久建築論:木造建築の耐久性」を参照)。

そうであるとすると、実験者には、「伝統的木造住宅の柱は5寸角(以上)」という歴史的な知見を欠いた「先験的判断」「予断」があったということになる。

あるいはまた、差口の納めの関係から、柱は「差鴨居」「足固め」の材幅よりも大きくなければならない、という「予断」があったのかも知れない。
ただ、この試験体で、どのような仕口を「伝統的な」ものとして採用しているのかは説明がない。
しかし、私のこれまでの経験では、「差鴨居」の通常の取付け方:仕口(竿シャチ継)は、スギ材でも柱径が曳き割り4寸以上(仕上り3寸8分)あれば、問題なく刻み施工することができる。

   註 スギ材だから5寸:150mm必要、というかも知れないが、
      よほど目の粗いスギでないかぎり、問題にはならない。
      むしろ、105㎜角以上という法令をこそ改めるべきだろう。

   註 「差鴨居」を使わない「書院造」の系譜の建物の場合でも、
      つまり「貫」に拠る工法でも、通常、柱径は5寸以下で、
      住宅に近い建物では、仕上り4寸3分角程度である。
      これについては、07年2月26日「建物づくりと寸法-2」で
      いろいろな建物の柱径を収集、紹介。

   註 105㎜角の柱は、主に仮設あるいは応急の建物で用いられた
      のではないか、と思われる。


3)なぜ「差鴨居」上の部分:「下がり壁」を「壁」にするのか。

試験体では、「桁」~「差鴨居」間の「下がり壁」部を全面「壁」とすることにしている(プレスリリースでは「垂れ壁」と表記)。
しかし、「差鴨居」を用いる場合、必ずしも「下がり壁」部分に全面「壁」を充填するのではなく、そこに「欄間」を設けることが多い。
むしろ、それこそが「差鴨居」の利点とさえ考えることができる。
逆に言えば、「下がり壁」部分の扱いを任意にできること(壁にすることも、開口にすることも任意)こそ、「差鴨居」工法のはずだ。

したがって、もしも実験をするならば、「下がり壁部分に壁がないことを前提にした実験」にしなければ意味がない。


以上、私が「ちょっと待ってくれ」と思ったのはなぜかについて、いくつか記してきた。

先に資料として出した「土塗壁・・・の壁倍率に係る技術解説書」に、「長寿命木造住宅推進方策検討委員会」は当初、「土塗壁」「面格子付き壁」「落とし込み板壁」とともに「差し鴨居」を、法令の掲げる規定と同等以上の耐力を有する仕様、として新たに提案したが、最終的に壁式構造として評価できる前三者が認定された旨の説明がある。
察するに、この実験は、「伝統的な工法:差鴨居工法」の復権を目指す研究者の「善意の」いわば復活戦なのだろう。
しかし、この「善意」は、決して善意にはならず、結果としては悪意に変ってしまう類のものだ。

なぜか。
「伝統的工法」を、いわゆる《在来工法》:「耐力壁依存工法」の《原理》:「壁式構造」として捉えるという考え方を採っているからだ。
すでに何度も触れてきたが、いわゆる「伝統工法」は、根本的に「壁式構造」の考えを採っていない。それとはまったく逆の考え方だ。

先回、「紙箱はなぜ丈夫なのか」という一文を書いた。
そこで、薄い紙でつくられた箱が丈夫なのは、それが立体になっているからだ、と書いた。各面が互いに関係しあって、薄い紙なのに強い構造をつくりだすのだ、と書いた。そして、いわゆる「伝統的な工法」の考え方は、まさにその考え方。

これに対して、法令の定める工法、いわゆる《在来工法》=「耐力壁依存工法」は、立体物の効能を捨て、部材の足し算に置き換えた結果生まれた《考え方》によるもので、それは「数値化信仰」の為せる結果である、と分析した。

つまり、いわゆる「伝統的工法」の真意を捻じ曲げて、それを《在来工法》の《理屈》に添わせよう、それがこの実験の本意と考えざるを得ないのである。

このような「似非・擬似伝統的試験体」での実験を基に、「伝統的な木造建築物の耐震設計法の検討」に用いたり、「今後の普及」に役立てられたりしては、はなはだ迷惑なのだ。
私はそれを恐れる。長い間培われてきた現場の工人たちの「知恵」を排斥し、萎縮させるものだからだ。
あなたたち一介の研究者に、なぜそんな権利があるのだ。

それゆえ、この実験は、端的に言ってしまえば、下記のようにまとめられよう。
① 「似非・伝統的木造住宅」を「伝統的木造住宅」と詐称している。
② 実験者の「思い込み」に基づいた「世を惑わす」実験である。

では、なぜこのようないわば「いい加減な実験」が大手を振ってまかり通るのか。
それはきわめて単純だ。
「国家、権力の支え:《権威》、法令制定の《権利》を与えられている」(と思っている)からだ。
これは江戸時代だったら、あり得ない話。今とは違って、工人たちが正統、正当に生きることができた時代だったからだ。《現場を知らない学者・研究者》などがいなかったからだ。そういう輩は必要のない時代だったからだ(似非技術者ではなく「地方巧者」が尊重・尊敬された時代であった)。

そして、こういう「国家の後ろ盾」がなくなったならば、これらの諸「研究成果」は、瞬く間に意味を失うだろう。そのことを、どれだけ自覚しているのだろうか。

では、なぜ彼らは、こういう実験を大手を振って行えるような《地位》に付けたのか。
これこそが、明治以来永遠に続いている「学閥」のなせること。これはすでに何度も触れてきたが、明治以来、何の進歩も進展もないらしい(たとえば06年12月23日「学問の植民地主義」参照)。

書いていて、だんだん寒気がしてきたからこのあたりでやめよう。

ただ、多くの方々に「真実」だけは、「見て」欲しい。「見抜いて」欲しい!
そう私は思っている。

   註 このような一文を読まれると、多分、なぜ直接抗議なり
      異議を実験者に向けて行わないのか、と不審に思われる方が
      おられるだろう。
      大分前、私は某大学の木造の権威:研究者に質問をした。
      ところが、残念ながら、数度の質疑応答の結果、最後には、
      当方の質問に対する応答は途絶えてしまった。
      つまり、無視された。無視が通用する世界なのだ!
      なぜ無視できるのか?
      それは彼らが《権威》に安住しているからだ。[文言追加]
     
      それ以来、不審、不思議と思う方々が世の中に増えること
      こそが大事だ、と思うようになった。

      私は建築学会の会員でもない。40年以上前は会員だった。
      しかし、ある大会で、発表者に質問をした。ところが、
      それは大会終了後、個々人でやってくれ、と遮られた。
      「学会」とは何だ?皆で論議をするところではないのか?
      そうではなかったのだ。
      「建築学会」というのはそんなものなんだ、そう私は理解し、
      以来、私は建築学会員であることをやめた。
      この判断は間違っていなかった、と今でも私は思っている。

   註 唯一、この実験で評価できるのは、
      架構を基礎に緊結しない場合の実験もあわせ行った点である。
      そして、これまでの「しがらみ」を捨てて、実験を
      本物の「伝統的工法」の架構で行えば、より良かったのだ。
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紙箱は なぜ丈夫なのか

2008-02-02 12:13:17 | 構造の考え方
例えば菓子箱のような薄い紙を折ってつくった箱でも、菓子を入れることはもちろん、箱の上に物を載せたり、横から押してみても、結構丈夫なことは誰でも知っているはずである。
かつては荷物搬送用には木箱などで荷物をくるんでいたけれども、今ではほとんど段ボール箱になっている。軽くて丈夫だからである。

仕事場の雑物入れにしている45×38cm×高さ33cmのリンゴが入っていた段ボール箱などは、上面の縁のあたりに足を載せるなら、踏み台代わりになるくらい丈夫である。

なぜ薄い紙でも箱状になると丈夫になるのだろうか。
その理由として、世の中には、今、二つの考え方があるようだ。

一つは、六面体という立体になっていると、たとえ薄い紙でつくられていても、力が箱に加わると、面相互が関係しあって力に抵抗するから、という考え方。
たとえば、ある面Aが押されて凹むと、同時に面Aに隣接する各面も歪もうとし、それはその面に隣接する面にも影響を与え・・・、という具合に互いに影響しあう。
逆の言い方をすれば、面Aに接する面、そしてさらにその面に隣接する面・・・が、つまり稜線を介して接続している各面が、いわば協力して面Aが凹むのに抵抗している、と理解することができる。
この様子は、薄い紙でつくられている菓子箱やティッシュペーパーの箱などで実験すれば目に見えて分る。
そして、日常の暮しを普通に体験している人なら、「立体物の強さ」、と言うより「薄い材料でも、立体に組むと丈夫になる」という事実を身をもって知っているはずだ。
そして、箱が、どの程度の力にまで堪えられるかは(別の言い方をすれば、ある重さの荷物を入れるには、段ボールの厚さをどれだけにするか、は)おそらく経験によって知見を得ているのではないだろうか(経験知)。

   註 段ボールおよびその製品についてはJIS規格がある。

     
ところが、一方で、このように考えたがらない人たちがいる。
それは、なにごとも数値で示されないと信じられない、分った気になれない、という人たち。

   註 ほぼ同じ厚さの二冊の書物を25cmほどの間隔で置き、
      A4判のコピー用紙を長手に架け渡す。当然紙はたわむ。
      紙を二つ折りにして逆V型にして架けると、たわまない。
      これは、《構造計算》ができない人でも、知っている。
      ところが、計算して(数値化して)確認できないかぎり
      「分らない」とする人たちがいるのである。

      I 型鋼は、断面二次モーメントの概念が生まれる前に
      発案されたことは大分前に触れた(06年10月16日)。
      しかし今は、断面二次モーメントが I 型鋼を生んだ、と
      思っている人が多いのではないだろうか。

箱の一面を押したときの各面の挙動を数値化することは容易ではない。
面Aに加えられた力が、どのように隣接する面に波及してゆくのか、を簡単に数値化できないからだ。
例えば、力が面Aの全面に等分布で加わるのか、局所で加わるのか、しかもそれが面上のどの位置に加わるのか・・・によって、他の面への影響のしかた、波及の様子はすべて異なる。
当然、面の材料:紙の厚さ、紙の種類、段ボールならその断面構成・・・によっても異なる。これを数値化、数式化することは、一筋縄ではゆかないことは容易に想像できる。

そこで、この人たちは、数値化を容易にする、ただそれだけのために、箱の強さは、各面の強さの足し算である、と考える。
例えば、ある面Aを押す力に抵抗してくれるのは、面Aに直交している面(箱の場合、4面ある)が、分担して押される力に堪えているのだ、という考え方。
この考え方では、箱を分解して「面それぞれの強さ」を知ればよいことになる。

この分解した面を、現在の「構造の専門家」は「構面」と呼んでいるようだ。
つまり、立体は「構面」の「集合」、「構面」の「足し算」である、という「理解」。
その際、面相互が接続しているということには目をつぶる、つまり、ある面に生じた変化は、その面に接続する面には伝わらない、と見なす。

そこで、面Aに直交している板面を箱から切り離して、面に平行の力(厳密に言えば、面Aを押す力を面ごとに分配する)で押してみる、つまり面の小口に力を加えてみる。
当然ながら、面は簡単に座屈を起こす。
先の踏み台代りにもなるリンゴ箱の側面をばらして、その小口に乗れば、簡単に折れてしまう、ということ。このことは、段ボールよりも薄い紙を考えればもっと分りやすい。
それを避けるには、分解する前、つまり箱の状態のときよりも、数等、面の紙を厚くしなければならない。
ということは、薄い紙・段ボールで足りるのに、この方法で考えると、より厚い紙・段ボールが要るということになる。
計算で保証された厚さの紙で元の箱の形に戻すと、元の箱とはまったく別の、箱だけでも重量が増えた箱になる。別の言い方をすれば、ムダに材料を使うことになる。
たしかに数値化されたが、いつの間にか別物、似非、擬似のものになっていたわけである。

実は、この数値化のための「方法」こそ、現在の木造建築を律している《構造学》の考え方:「耐力壁依存の考え方」の「原点」に他ならない。


さて、以上は、実は、次回に書くことの事前準備。

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