私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ジンバブエをどう考えるか(5)

2008-08-20 16:06:44 | 日記・エッセイ・コラム
 コンゴ、ケニヤ、ジンバブエ、これらのアフリカの国々のどれをとっても大多数の日本人にとって余り興味のある國ではありますまい。こうした国々に私がこだわるのは、その何処からも、すこし目を凝らすと同じことが見えてくるからです。アメリカが、アングロ・アメリカがはっきりと見えてくると思うからです。それにもう一つ、日本のマスコミがわれわれ一般大衆に提供するニュースとニュース解説が如何に不十分あるいは不適切であるかを痛感したという事があります。
 目から鱗が落ちるという言葉は新約聖書から出ているそうですが、ジンバブエの場合に限らず、世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます。
 ジンバブエ状況の復習をしましょう。前々回のブログ『ジンバブエをどう考えるか(3)』(2008年8月6日)に次のように書きました。
■ 2001年12月に成立した問題の法律S.494[The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act.(ジンバブエの民主主義と経済を回復する法律)] が、欧米の気に入らないマルクス主義者ローラン・デジレ・カビラのコンゴ政府に援軍を送り(1998年)、国内ではとうとう白人農地の強制接収を開始した(2000年)ジンバブエのムガベ政府に対する、懲罰制裁を目的とする立法であったことは、上の黒人女性議員シンシア・マキニーのシンボリックな反対発言に加えて、当時のアメリカ駐在のジンバブエ大使Simbi Mubakoの抗議発言を読めば、明白です。■
1960年代、アフリカ大陸でヨーロッパ植民地が黒人の独立国家となる嵐が吹き荒れる中、英国植民地「南ローデシア」だけは、時代の流れに逆行して、1965年,アパルトヘイト政策を実施する白人支配国家として独立を宣言し、1970年には「ローデシア共和国」の国名を名乗りました。耕作に適した農地の80%を全人口の2%の白人地主が所有し、黒人の低賃金労働と機械化に依存する大規模農業が営まれていました。当然のことながら、黒人たちは黒人国としての独立運動に立ち上がり、紆余曲折のあと、1980年独立を果たして正式に「ジンバブエ」が誕生し、総選挙でムガベの社会主義的政党ZANU(Zimbabwe African National Union) が圧勝してムガベは首相になりました。人々の予想に反して、ムガベは黒人と白人の共存路線を選び、白人の農地を黒人に与える農地改革も7年間凍結する事とし、農業大臣や商工大臣には白人を起用して国家建設を進めたので欧米での評判は上乗でした。 上掲のムバコ大使の発言に描かれている通りです。しかし、1987年大統領となったムガベはZANU本来の“過激”な政策を強引に押し進めはじめます。1998年、マルクス主義者カビラのコンゴ政府が東の隣国ルワンダの侵攻を受けた時、カビラの要請で援軍を送ったのはその典型です。続く1999年、7年どころか20年間も手を付けなかった白人所有農地の黒人への分配を宣言し、2000年には強制接収を始めました。アングロ・アメリカ勢力がムガベのジンバブエつぶしの決心をした時点を1999年~2000年とすることに反対する国際関係史専門家は、もし彼らに学問的良心があるならば、一人もいないと私は考えます。
 ジンバブエの場合、「アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体」を求めれば、それは明らかにモーガン・ツァンギライと彼が率いる野党MDC(The Movement for Democratic Change、民主的変革運動) です。始めからムガビ政権の打倒を目標とするMDC が結成されたのが、丁度、1999年であることを注目して下さい。現在、2008年夏の時点で、世界のマスコミが我々に与えているジンバブエ政情は次のようなものです。:
■2008年3月29日の大統領選挙ではMDCのツァンギライ議長が47.9%、ムガベ大統領が42.3%の得票で、過半数に及ばなかったので、6月27日に両者で決選投票が行われることになった。ところが敗北を恐れたムガベ側は暴力で野党の選挙運動の弾圧を始めたので、ツァンギライ自身も危険を感じてオランダ大使館に保護を求め、立候補を取りやめた。その結果、ムガベが自動的に連続5回目の大統領当選となった。
現在、南アフリカ大統領ムベキの仲介で与野党の連立政権の樹立が試みられているが、難航している。(8月20日現在)■
こうした報道に付随して、悪鬼のような独裁者ムガベに対するあらゆる非難攻撃が欧米で、そして日本でも行われていて、その一例として『ジンバブエをどう考えるか(1)』に、週刊朝日7月18日号の「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」という記事を引用しました。
 マスメディアの報道から受けるのは「ツァンギライが大の善玉、ムガベが大の悪玉」という明快そのものの印象ですが、1999年にどのような政治的勢力がMDCを形成したか、その指導者ツァンギライとは如何なる人物かを、過去にさかのぼって、少し詳しく調べてみると、上にも書きましたように、「マスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます。」
 簡単に言ってしまえば、MDCはジンバブエのムガベ政権を打倒し,昔の言葉で言えば、英米の傀儡政権に変える(Change)ために、英国政府と米国政府が協調して打ち立てた政党であり、ツァンギライは英米が選んだパペットです。この基本的構図を我々一般大衆に見えにくくしている二つのファクターは、国際的な労働組合組織とNGO団体がツァンギライとMDCを支持してムガベ叩きに精を出していることです。MDCのもともとの母体はジンバブエ国内の労働組合的組織でした。しかし、1999年に強力野党MDCを発足させたのはジンバブエ国内の黒人労働者たちの自然の声の盛り上がりではありません。それをはっきり見抜くのは大して難しいことではありません。MDCの発足には英国政府の閣僚や大使レベルの人々が積極的に参画していますし、ジンバブエ国内の白人勢力もはっきり目に見える形で参加しています。具体的にはMDCの出発当時の公式政策を見ることです。その最大の目標は、もちろん、ムガベ政権の打倒ですが、市場経済、公共サービスの私企業化、ムガベの農地改革の中止、コンゴからの撤兵など、世界銀行、世界貿易機構、そして、英米政府がジンバブエに求める政策がすべて含まれていました。基本的内容は今も変わっていません。ムガベは84歳、棺桶に片足を突っ込んだ老独裁者は、現在の連合政府工作がどのような形で決着しようと、間もなく歴史の舞台から消えて行くでしょう。MDCとツァンギライの時代が来れば、ジンバブエが英米お気に入りのネオリベラル路線に乗って進むことは間違いありません。MDCの発足以来、野党MDCと与党ZANUとのどちらがより暴力的であったかを歴史的に辿るのも意義があります。米国、英国、EU諸国に追い詰められて狂い立った最近のムガベの過剰反応を別にすれば、過去には、ツァンギライの方がはるかに暴力的非合法的だったのです。調べてみれば分かります。
 オーストラリアやドイツやアメリカの労働組合団体がMDCとツァンギライを支持しているではないか、と反論なさる方々もおいででしょう。しかし、ご存知でしょう。欧米の大企業が全世界を産業的経済的金融的に支配する今、これらの國の労働組合運動勢力はひと昔まえのそれとは別のものになってしまっています。
 「最近のニュースでは、ジンバブエの国民の多くが餓死しそうになっているのに、ムガベは英米のNGO団体からの緊急食糧援助を拒否しているそうではないか。まさに狂気の沙汰だ」とお考えの方もあると思います。表面を見る限り、まるで馬鹿げた狂気の沙汰です。しかし、ここでも、私個人としては、ムガベの靴に足を入れてみることが出来ます。ムガベは欧米のNGOから散々煮え湯を飲まされてきました。野党MDCの結成以来、欧米の多数のNGOは援助を選挙の票集めの武器として、積極的にMDCをprop up してきたのです。それにこれらのNGOは直接間接に英国政府や米国政府から資金を得ています。もはや、多くの強力なNGOsは、実は、nongovernmental organizationsではないのです。この点も、私たちが世界の現実を見据えるために必須の知識です。このNGOの問題について、別の所で、興味深い発言に出会いました。アフガニスタンで地道な活動を続けているRAWA(The Revolutionary Association of the Women of Afghanistan)という女性運動団体があります。Justin Podur というカナダ人の作家がRAWAの代表者の一人にインタヴューした記事を読んだのですが、RAWAは決して自らをNGOと呼ばず、アフガニスタンで活動しているNGOに対してきびしいコメントをしていましたので、その一部を原文で引用します。
■Most NGOs that are larger, or bigger aid agencies, are funded by governments and influenced by those governments. The smaller ones often get involved in fraud and corruption - they work not for the Afghan people but for their own purposes. Millions of dollars of funds go to NGOs and wasted in overhead, salaries, office expenses, and so on. They collect huge salaries, they have no long-term projects, they spend huge amounts for security expenses and vehicles.
NGO-ism is a policy exercised by the West in Afghanistan; it is not the wish of the Afgan people. The NGO is a good tool to divert people and especially intellectuals from struggle against occupation. NGOs defuse political anger and turn people into dependent beggars. In Afghanistan people say, the US pushed us from Talibanism to NGO-ism! ■
ペシャワール会を代表してアフガニスタンで奮闘している中村哲さんも、何処かで似たようなことを言っておられました。私たちも、このあたりで、NGOsなるものをよく考え直すべきかもしれません。
 今回のブログの冒頭に「世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます」と述べました。応用例題を二つ出しておきます。(1):ルワンダのポール・カガメ大統領とルワンダ愛国戦線。(2):グルジア(英語ではGeorgia)のサーカシュビリ(Saakashvili)大統領と国民運動党。

藤永 茂 (2008年8月20日)



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1 コメント

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【2ch】日刊スレッドガイド : マンガの設定よりも... (まー)
2008-08-22 04:20:01
【2ch】日刊スレッドガイド : マンガの設定よりもひどい国
http://guideline.livedoor.biz/archives/51109193.html

ニュースには取り上げられなくても、一部の(2chや軍事オタク政治オタク系のブログ)暇人たちには今ジンバブエはもっとも「面白い国」として写っているようです。


すごい偏向がまかり通っているようですけど。

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